第3話 フォーク騎士、拝命──依頼内容は“盾”
目を覚ますと、アルエットはどこかの部屋のベッドで寝かされていた。体が想像以上に重怠く、ひとまず顔を動かして周りを確認しようとした。
「あら、お目覚めみたいね。エルシー様、意識が戻ったようよ」
ベッド脇にある丸椅子に座った女性の、薄く紅を引いた唇が小さく弧を描く。ピンクブラウンの髪がふわりと揺れ、眼鏡の奥の柔らかな桃色の瞳が穏やかに細まった。
「アルエット……具合はいかがですか?」
「エルシー様、不用意にアルエットに触れないように」
アルエットを覗き込んだエルシーが、シーニュに静かに窘められて申し訳なさそうに身を引く。触れないように、とはどういうことだろうか。
「アルエットも、極力エルシー様には触れないように」
「それは、なんで?」
「それはワタシからお話するわね」
まるで子供の患者にかけるような優しい声と都会の洗練された女性といった雰囲気に、少し気後れしそうになる。そわそわとぎこちなく、心の置き場を見失っていた。
「えっと……」
「ワタシはエルシー様の専属医のフレイヤよ。フレイヤ・ホリホック・フラマン。キミのことはエルシー様たちから少しだけ聞いているわ」
「よ、よろしく……」
「えぇ、こちらこそ」
よく見れば、フレイヤは真っ白な白衣を羽織っている。たおやかで優しげな笑みに、戸惑ってばかりの心が緩やかに落ち着いていった。
「それでね、キミが倒れた理由なんだけど、長旅の疲労と加護による生命力の過剰消費が原因ね。加護の力は使いすぎると負荷がかかって、足りない力を生命力で肩代わりしようとするのよ」
「そう……なんだ?」
細かいとこはよくわからないけど、という言葉を口にするのは憚られた。けれど、言っている意味はフワッと掴めたような気はする。
「詳しい話は二人から聞いてくれる? ワタシは席を外すわね」
「ありがとう、フレイヤ。終わったら呼びに行きますね」
「お願いね。食堂にでも行って時間を潰してるわ」
そう言ってフレイヤは部屋を出ていってしまった。先ほどの口ぶりから、二人には内々で話しておきたいことがあるのだと察していた。
「起き上がらなくて構いません。横になったままで聞いてください」
アルエットはその言葉に甘えることにし、横になったままエルシーを見上げる。エルシーとシーニュは顔を見合わせると、エルシーが一つ頷いた。それはまるで、親の許可を取る子供のような不安定さの混じった雰囲気だった。
「あなたが倒れたのはきっと、わたくしの加護の力を無効化したからだと思います。触れたことで力が大量に流れ込み、負荷がかかってしまったのでしょう」
「だが、そのおかげで君がこの依頼に相応しい人間だということもわかった」
二人の瞳の奥に、明らかな期待の炎が灯っている。その期待はアルエット自身に向けられているはずなのに、実感が湧かない。それでもそのまっすぐな瞳に、緊張と圧のようなものを感じずにはいられなかった。
「聖女の加護は、“何をしても正しいと思い込まれてしまう”効果を持っている。そのせいでエルシー様は過剰に神聖視され、何をしても讃えられてしまう」
「わたくしたちはこの力を『絶対正義』と呼んでいます」
「絶対、正義……? 言葉の圧、すごいね……」
言葉だけ聞くとダサ……いかにも“幼い少年”が大好きそうな単語だという印象しかなく、思わず笑ってしまいそうなものだった。けれど、成人した大人に真顔で告げられると、さすがに笑えない。いろんな意味で。
「それくらい強烈な効果がある、ということだ。影響を受けない君は、そのうち嫌でもわかるときがくる」
正義に絶対などない。けれど、エルシーという存在が全て正義にしてしまうというなら、強烈な効果というシーニュの表現も決して大げさではない。『絶対正義』という言葉選びは間違っていないのだろう。
「なんとなくは……わかったかなぁ。けど、見ての通りぶっ倒れちゃったし、力を消してあげられるわけでもない。私、役に立てそうかな? 田舎帰ろっか?」
苦笑して肩を竦めて見せると、エルシーはおとなしそうな雰囲気に似合わずぶんぶんと首を横に振った。直後アルエットを捉えたその瞳は、水面から照り返す反射光のように眩い光を宿し、熱っぽく閃いた。
「わたくしはずっと……わたくしをただのエルシーとして見てくれる、あなたのような方を待っていたんです……!」
「えと、それはそうなんだろうけど、役に立てるかは別というか……」
「……お願いです。わたくしと、お友達になってくれませんか?」
一瞬何を言われたのかわからず、アルエットは固まった。いや、言葉の意味は理解できた。ただそれが、わざわざシーニュがロートヴィル村まで迎えに来た理由なのかと驚いていた。
けれどエルシーの手が固く握りしめられていることに気づき、小さな願いに込められた切実さを察した。騎士団長を動かすほどに、本気なのだと。
「先程お話しした『絶対正義』の力のせいで、わたくしはありのままに誰かと会話することすら難しいんです。こうして気を許して話せるのはシーニュだけでしたから……」
「……うん? シーニュ?」
語尾に向かって、声が小さくなって消えていく。悲しげに下がる眉と落ちる視線。僅かに伏せられた瞳は、空に雨雲がかかるように寂しさの影が落ちる。
友達になりたいという願いの理由は大体わかった。『無効化』の能力を持ち、『絶対正義』の影響を受けないアルエットとなら、対等な友情を築けるだろうと考えたのだと。
では、シーニュは何なのか。二人の口ぶりから、彼もまた『絶対正義』の影響を受けていないということで間違いなさそうなのだが。理由がわからず、無意識にシーニュへと視線を向けていた。
「……俺の加護は『攻撃反射』だ。エルシー様の『絶対正義』は、精神攻撃と判定されているらしい」
「なるほど。だからシーニュも影響されてないんだ」
「これまではシーニュだけが力に惑わされず、わたくしを理解してくれる唯一の人でした。あまり笑わないけど誠実で、いつも正しく導いてくれていたんです。一人だったら、どこかで折れていたかもしれません」
『絶対正義』の力などなくとも、聖女というだけでもきっと敬遠されてしまう。エルシーはこんなにも気さくで話しやすい人なのに、意図せず孤立してしまう孤独や悲しみに晒されている。
それはアルエット自身にも、少しだけ身に覚えのある経験だった。ある日突然、理不尽に両親と村を奪われて一人になった。『無効化』の力はアルエットを“いくらでも魔力を浴びせていい囮”にし、治癒術すら跳ね除ける力は時に“神に見放された”と言われ、憐れまれた。
対等に見られないことの苦痛や孤独を知りながらも、対等に大切にしてくれる人がアルエットの心を癒やした。だから今度は自分が、エルシーにとってそんな存在になれたら……という思いをほんのりと抱いた。
「どうか君も傍で、エルシー様を守ってほしい」
守るという言葉はまだしっくりとは来ないが、何かできたらいいなという思いは確かに胸の内に生まれ始めている。
「わかった。でも、お願いとかそういうの抜きで友達になろうよ。きっかけを作るためには、こういう形しかなかったのかもだけどさ」
「ありがとう……ありがとう、アルエット」
「改めてよろしく、エルシー」
「……はい!」
エルシーは声を震わせて、手をそっと胸元で握りしめる。心の底から嬉しいと言わんばかりに、噛み締めるように目を伏せて微笑んでいた。
「再三言わせてもらうが『絶対正義』のことは他言無用だ。俺たちはこの『絶対正義』の影響を抑える方法を探している。影響されないからこそ、君にも協力してほしい」
「……そっか。それができたら、シーニュや私以外の人ともありのままにやりとりできるようになるもんね。わかった。やれることはやってみる」
ただ『無効化』でエルシーと友達でいたらいいというだけでは、確かに解決にならない。何が達成されれば任務終了になるのかわからない中で、一つの指標ができたのは大きかった。
「それから、ここからは君の“表向き”の依頼内容の話になる。無論こちらも、君の力を借りたいと思っている」
「ちょっ……まだあるの?」
てっきりエルシーと友人になって傍で仕えることだけだと思っていただけに、更に上乗せしてくるとは思っていなかった。まだ何にも使われていないが、擦り切れるまで使い倒す気なんじゃないかという疑念さえ生まれてきている。
「俺の魔力の暴走と『攻撃反射』の無効化を頼みたい。どちらも制御が難しく、人に向くと脅威になる。君は皆を守るために、補佐として働いてもらいたい」
「確かに無効化はできるだろうけど……そんな上手くいくかな……」
アルエットの不安などお構いなしに、シーニュは強引に話を進めていってしまう。ここまで来たのだから腹は括るべきだが、あまりにも都合良く上手くいくイメージを思い描いていそうな気がして心配になる。
「どの道俺もエルシー様も、一人では力を御しきれない。だから手探りで構わないし、万事上手くやらなくていい。とにかく君がいれば望みの一部は叶う。これほどありがたいことはない」
「んん〜……そういうことが言いたいんじゃないんだよねー……」
すっごい圧っ……重……空気に重量感じるんだけど……
「いつ起きるかもわからないのに、どうやって防いだらいいのって話」
「問題ない。君には聖女近衛騎士になってもらうと伝えただろう。俺の補佐官になれば、滞りなく果たせる」
「わたくしも突然聖女となった身ですので、あなたの気持ちはわかります。このようなことを強いるのは心苦しいのですが……どうかお願いできませんか?」
「いやいやいや、待って? それって“騎士団長補佐”ってことでしょ?」
聖女近衛騎士というだけでも、この上なく分不相応だったのに、騎士団長補佐の肩書きまでつけるつもりらしい。錆びたスコップに金メッキ加工して、「これを伝説の秘宝とする」と言われたような気分だ。
「冷静に考えなくても厳しいでしょ……てか無理! まず雑草の私には肩書きが重すぎる!!」
戦場に立ったことがないわけではない。普通なら死んでいてもおかしくないようなところから生き残ってきた。けれどそれは戦って勝ち抜いたからではない。アルエットはあくまでも囮でしかなく、常に丸腰で棒立ちしていただけだ。
「大体さ、魔術も武器も使えないんだけど? 戦いとか無縁だし、問題大アリでしょ! 他の人だって認めないって!!」
それを聞いたシーニュは少し考えたあと、顔色一つ変えず真顔でこう提案してきた。
「ひとまず槍を使うといい。君の農業用フォークによく似てるだろう」
どう考えたっておかしいでしょ!!
農業用フォークと槍が同じであって良いはずがない。真顔で冗談かましやがって、「頭イカれてんの?」と罵倒したくなるほどだ。
「似てるから何!? 私が持ったって、猫じゃらしにしかならないよ!」
「そう言うわりに、フォークで魔物を刺していたようだが。馬術もなかなかだった」
ちょっと待って……この人、あのときいつから見てたの!?
「とはいえ、気負う必要はない。ひとまず見た目が整っていれば十分だ。そもそも君に期待しているのは戦闘能力ではない」
とりあえず対外的に見た目だけ取り繕って、シーニュの制御装置兼エルシーの友人として、聖女近衛騎士になれということらしい。
騎士としてエルシーの傍にいるなら、ただの友達というわけにはいかない。エルシーに何かあったとき、魔術や加護を使用した加害行動から『無効化』の力で守るなど、そういう対応だって必要になってくる。
つまりアルエットへの依頼を全てまとめて一言で表すなら、“盾になれ”ということだ。
「そういう問題だけじゃない! てかさ、囮に使わないって言ったくせに、盾にはするんだ? 酷い! 人でなし! 騙された!」
「騎士というのはそういうものだ。俺もエルシー様の盾をやっている」
「なりたくてなった人と一緒にするな! ズレたこと言って、とぼけやがって……」
それをただの村人に強いるなと言いたいのだが、『無効化』に目をつけられ、白羽の矢を立てられた時点でもう避けられない運命だったのだ。こうなったらアルエットは、“囮”だろうが“盾”だろうが“騎士”だろうが、望まれるままにこなすしかない。
エルシーの友達も、シーニュの補佐も、『絶対正義』の抑制も、まだ自分に何ができるかはわからないが、それを掴んでやる。
助けてって言っても助けてもらえない苦しさは、よくわかる。モーガンとリタが、見返りなく助けてくれたように、今度は自分が誰かを助ける番なのかもしれない。
ダメならダメでいい、やる前から及び腰でどうするの、アルエット。
どうせ、なるようにしかならないんだから。
「ったく、どうせ拒否権ないし、やってやりゃいいんでしょ!? フォークでも槍でも、大砲でも! 君の好きなもの、なんでも担いでやるーっ!」
「大砲は無理だろう」
アルエットは開き直り、決意と嘆きを込めて腹の底から叫んだ。その声は部屋の中で虚しく響き……シーニュとエルシー以外の誰にも伝わることはなかった。




