第2話 陽だまりに触れる代償
あれからすぐ、アルエットは隣国のフィオリア王国を目指して村を発った。馬車で街道を行き、途中の街から鉄道に切り替える。王都のトランチェレスティナへと到着したのは、村を出発してから一週間も後のことであった。
「はぁ〜、遠かったー」
「仕方ない。ロートヴィルはフィオリア寄りだが辺鄙な場所にあるからな」
停車した列車内で荷物をまとめながら呟いただけのひとりごとに、頼みもしないのに言葉を返したのはシーニュだった。それも扱き下ろし気味に。
「君んとこの領地なんだけどー? ってことで、お願い。君の権限でうちの村に鉄道通して!」
「無理だ。採算が合わない」
素っ気なく断言され、アルエットはがっくりとうなだれる。シーニュは辺境伯家の次男であり、現聖騎士団長でもある。『無効化』の加護に期待されて勧誘された今、この出会いを利用するしかないとおねだりしてみたが、無駄に終わった。
「やっぱダメかぁ……」
「統括範囲が広いから血税は無駄にできない。人の来ない山間の高原地帯に鉄道を通す利点を父に説明できるなら、考えてもいい」
「手厳しーッ!」
ロートヴィル村は不便な立地のうえ、領地内でも影が薄い弱小地方だ。フィオリア王国に比較的近いとはいえ、そんなところに鉄道を通しても……というシーニュの意見はもっともだった。
荷物を持って下車し、駅舎から駅前の広場へと出る。道中で立ち寄った街には目新しいものが多く、それだけで楽しかった。けれど今、目の前に飛び込んできた光景に思わず胸が高鳴った。
過ごしやすい温暖な気候に、高くて鮮やかに見える青い空と真っ白な雲。オレンジ色の屋根が並び、そこかしこに色とりどりの花々が咲き乱れる様は、一つの庭園のように見えた。
そしてなんと言ってもこの賑やかさ。人が多いだけでなく笑顔と活気に溢れていて、時折歌を口ずさむ陽気な声や軽快な楽器の音色が聞こえてくる。故郷であるシュネーノルディア王国の街並みよりも、不思議と世界が明るく華やかに見えた。
「すごい賑わい……今日って何かのお祭り? 街とか人とか、グラスブルグとは全然雰囲気が違うね!」
知らない世界が開けていくようで、眺めているだけでもわくわくしてしまう。その勢いで思わず家族や友人感覚でシーニュに声をかけてしまった。シーニュはこちらを一瞥すると、微かに口元を緩め、ふっと鼻で笑った。
いい年した大人が子供っぽくはしゃいで、おまけに田舎者感まで丸出しにしてしまった気がして途端に恥ずかしくなってくる。
「笑うとこじゃないんだけどなー……」
「あぁ、すまない。ずいぶんと楽しそうで微笑ましいなと思って」
だったらもっとにこやかにすればいいのに……シーニュはすでに無味無臭の無表情に戻っている。まるで用意された言葉を棒読みしているようですらある。この一週間で、彼にも感情があることはわかったが、それにしたって表情筋が死にすぎていないか、というのがアルエットの感想だった。
「グラスブルグは要塞の街で、トランチェレスティナのような華のある街とは趣が違うのは当然だ。日照時間や気候も違う」
「ふーん。お祭りじゃないんだー」
「途端に興味をなくすとは……」
どうやらこの賑わいが、トランチェレスティナの標準らしい。シーニュがひっそりとため息をついたような気がしたが、そちらは聞かなかったことにしておいた。
「アルエット。あれがトランチェレスティナ中央教会だ」
シーニュが指差す先に、レンガ造りのどっしりとした大きな建物がそびえ立っている。正面の上の方には丸いステンドグラスの窓があり、神である始祖エーテルが象られていた。遠くからでもわかる規模の大きさと荘厳さだ。
ここまで来て、ようやく実感が湧いてきた。教会に着いたら、いよいよ依頼が本格的に始まる。何一つ良いことのなかった加護の力がお金になって、役に立つのだ。
楽しく浮かれた気持ちが吹き飛び、微かな緊張と確かな決意に背筋を伸ばす。道中で準備しておいた伯父夫婦宛ての手紙を郵便屋へと出し、教会の総本部であるトランチェレスティナ中央教会を目指した。
* * *
シーニュに連れられて案内されたのはトランチェレスティナ中央教会……と思いきや、その建物の奥。教会の本堂や礼拝堂とは別に、関係者だけが入れる居住区がある敷地へと案内された。
街中の賑わいや喧騒は遠のき、同じ街にいるのか思うほど静かだ。まるで人気のない森の中へ踏み込んだような静謐さがあるような気がした。
屋外訓練場らしき場所と屋敷の間を進み、奥にポツンと建物が見えてくる。二階建てでガラス窓が多く、他よりも少し豪奢な外観だ。
「ここが聖女であるエルシー様が住まう中央棟だ」
「え、これに住んでるの? お城とかでっかい神殿とかじゃなくて?」
「君は城や神殿に住みたいと思うのか?」
シーニュに真顔で問われて言葉に詰まる。確かに住みたい場所ではない。何となく聖女というものに、そういうイメージを抱いていただけだった。
聖女様も人間だし、大きすぎる家は不便……ってことだよね?
建物には結界が張られているらしく、シーニュが水晶をかざすと淡く輝く。水晶が結界の鍵の役割を果たすようだ。
「結界が鍵代わりなの? なら私はそれなくても入れ──」
「シッ」
シーニュが振り返り、素早くアルエットの口を塞ぐ。やっぱり警備が機能してないという指摘はまずかっただろうか。
「少し考えて物を言うといい。悪用されてからでは遅いからな」
シーニュの言う通りだ。この中で聖女に何かあったとき、真っ先に疑われかねない。唆されて鍵代わりに使われるかもしれない。今まで『無効化』を“死なない力”くらいにしか思っていなかったせいか、意外と危ういものなのかも、と思い直し始めていた。
「君にはまずエルシー様と面会してもらう」
中は豪奢さはなく重厚な造りになっている。その静けさと重々しい空気に緊張し、毛を刈られた羊のように身を細くして歩いた。
二階へと上がり、最奥の扉の前でシーニュが立ち止まる。扉をノックすると、中から聞こえた女性の声が入室を許可した。
中に入ってみると、私室と呼ぶにはだだっ広い部屋だと感じた。端には執務机のようなものがあり、背面にある本棚にはびっしりと本が収められている。他にもいろいろ家具が備えつけてあり、この一部屋で生活がある程度完結しそうなほど一通り揃っている。
執務机には銀髪の女性が座っており、隣に薄茶色の髪の男性の騎士が控えている。
「エルシー様、ただいま戻りました」
「シーニュ……! 帰ってきたのですね、おかえりなさい」
何かの書類と向き合っていた聖女は顔を上げると、まずシーニュを見た。パッと花がほころぶように笑む彼女の黄金色の瞳が、蜂蜜のようにとろりと熱っぽく輝いたように見えた。一方で、後ろに控えている男性の騎士はなんとなく陰りのある冴えない表情をしていた。
「よかった。彼女も来てくださったんですね」
聖女はアルエットへ視線を向けると、淑やかな所作で頭を軽く下げ、柔らかく微笑みかけてくれた。サラッと零れた髪は銀糸のように輝き、窓辺から差す陽光のような黄金色の瞳がアルエットを見つめる。
「今日の担当はサイラスだったか」
「あ、あぁ……そうだけど」
サイラスと呼ばれた男性の騎士は何か考え事でもしていたのか、落ちていた視線がハッと上向く。返事をした瞬間、冴えない表情の陰りもフッと消えたような気がした。
「そちらの方は……」
「近衛騎士になる新人だ」
近衛騎士になる……新人……ホントに私にやらせる気……?
「あぁ……えっと、コホン……私は、アルエット・カルミア・スティーリア。シュネーノルディアの田舎……ロートヴィルから来たんだ。よろしく」
困惑を咳払いで誤魔化し、何も挨拶しないわけにはいかないと自己紹介をする。頭を軽く下げると、サイラスと呼ばれた男性の騎士も軽く頭を下げてくれた。
「俺の名前は、サイラス・ペリウィンクル・アムゼル。よろしく、アルエット」
少し癖のある薄茶色の髪に、新芽のような鮮やかな若草色の瞳をしている。何より目を引いたのは、腰あたりまである長い三つ編みだろうか。穏やかな笑顔は温かな陽だまりのようで、初対面にも関わらず何となくホッとするような印象の人だ。
「サイラス、エルシー様の警護は一時俺が預かる。騎士棟の会議室に二人を呼んで待機しててほしい。構わないか?」
「わかった。じゃあ、会議室で待ってる」
サイラスは短く返事を返すと指示に素直に従う。アルエットと目を合わせて軽く会釈し、ささっと部屋を出ていってしまった。命令に対して忠実かつ迅速な人ではあるが、外せと言われた理由が何かとか聞いたりしないものなんだなと呆気に取られていた。
「アルエット、早速依頼に関しての話をさせてもらうが、まずこちらにいらっしゃるのが聖女であるエルシー様だ」
「わたくしは、エルシー・ブルーベル・ルスキニアと申します。シュネーノルディアから遠路遥々フィオリアまで来てくださって、とても嬉しいです」
シーニュに紹介され、聖女──エルシーへと顔を向ける。この世にただ一人、『聖属性』を扱うことを許された神に選ばれし存在。けれど彼女からは神々しさや存在感よりも、童話の中から飛び出してきたお姫様のような静かな可憐さを感じていた。
握手を求めて差し出された手を見つめる。抜けるような白い肌と華奢に見える手のひら、完璧と言いたくなるほどの微笑み。それはガラス細工でできているような緻密さと透明感、そしてひんやりとした固さのようなものを感じた。
「うわっ、手ぇ冷たっ!」
「え、そう……でしょうか?」
「待って、手首細っ……血行悪そうだし、ちゃんと食べて……あ、もしかして聖女様って、肉とか食べちゃダメ、とか?」
手を握り返した瞬間、スーッと体の奥から冷えていくような奇妙な感覚に驚く。抱いた印象に近い冷たさを手のひらに感じ、思わず考えたことがボロボロと口から零れてしまった。
綺麗な人なのは確かなのだが、田舎者の自分からすれば心配になる体つきとも言えた。これで農作業でもしようものなら、一時間も経たないうちにぶっ倒れてしまいそうだ。
「あ、ごめんなさい! 悪口とか、馬鹿にしてるわけじゃなくて! いやでも、不敬ではあるのかな……とにかく悪意はなくて、ちょっと心配になったというか、言葉悪かったかもなんだけど、その、えっとー……」
目を丸くして驚くエルシーの顔を見て、アルエットは慌てて弁明を図った。言葉に詰まり、こっそりシーニュを一瞥すると、無表情のまま瞳に僅かに呆れの色を滲ませているのが見え、さらに焦る。
けれど、くすくすと肩を揺らしながらエルシーは笑っていた。笑って流してくれている、ということでいいのだろうか。先程までの笑みとは少し毛色が違い、素朴で朗らかな温かい印象を受けた。
「ふふ……落ち着いて、アルエット」
なんとか許されたと感じてホッと胸を撫で下ろす。寛大な人で本当によかった。いきなり不敬で首を刎ね飛ばされたらたまったもんじゃない。
柔らかな笑顔に、安心と少しだけ親近感を覚えたのも束の間、視界がぐにゃりと歪んだ。
握手している手の先から、体の奥まで冷えていく感覚が……止まらない。それはとめどなく血が溢れて流れ出していく感覚にも似ていて、全身から力が抜ける。
「あ、あれ……なんだろ。寒い……?」
「アルエット、どうしたんですか!?」
「この反応……っ、まさか──」
そんな間抜けな言葉を漏らしながら崩れ落ち、エルシーとシーニュの声も遠い。寒気と薄気味悪さが意識の底に滲み、視界を黒く暗く埋め尽くしていく。
──下がって。これ以上触れると死ぬかもしれない。
それが誰の声であったか、アルエットにはもうわからない。ただただ自分の中にあるものが貪られ、食い散らかされていくようだった。




