第32話 血と涙で拓く道
シーニュのいなくなった天幕内に静寂が下りる。包帯を巻かれた手のひらの上にある干しブドウを、同じく包帯を巻かれてミトンの手袋のようになってしまった手の先と親指で摘みながら口にした。
噛むごとに甘さが舌の上に広がり、じんわりと沁みる。シーニュは決して口数が多いわけではない。それでも彼の行動に、気遣いと思いやりが滲んでいる。ロートヴィル村の消滅という現実に傷ついた心にはあまりにも甘く、優しさの味が……沁みるほどに痛い。
みんなには……情けないとこ見せちゃったな。
今思い返しても、自分で自分の行動に驚いている。とにかくロートヴィル村をなんとかして救いたかった。いや、単にロートヴィル村が消滅することを受け入れられなかっただけなのだろう。
瘴気に侵されて死んでしまっても構わなかった。手に棘が刺さった痛みに怯んだのは最初の一回だけで、そのあとは痛みを感じていなかった。このまま村が燃え尽きていくところを見るくらいなら、いっそ自分もこのまま消えてしまいたいと思うほど胸が裂かれるようで苦しかった。
『君がほっといてくれと頼んでも、誰も放ってはおかないだろう』
シーニュの言う通りだった。フィンチは無謀な行動を止めようと叱ってくれて、それでも言うことを聞かなかったアルエットをなんとかしようと伯父たちを連れてきてくれた。伯父と伯母も、フィンチの声に応えて、心配して駆けつけてくれた。拠点に戻れば、聖騎士や村のみんなが心配して声をかけてくれた。
こんなにも気にかけてくれている人がいたのに、目の前の悲劇に沈んで何も見ていなかった。このまま消えてしまいたいなんて一瞬でも考えたことを、アルエットは恥じた。
つらいのは自分だけではない。自分よりも長くロートヴィル村に住み、この土地を愛してきた人たちが大勢いる。彼らがつらくないわけがないのに、まるで自分一人が不幸のどん底にいるような顔をして──悲劇の主人公面しまった。
私が絶望を叫んだから、みんな悲しめなくなった。
つらい気持ちを押し殺して「大丈夫、アルエット」って言わせて、無理に笑顔を作らせてしまったんだ。
「ホント……ゴミじゃん……」
悔しい。過去に戻れるなら、あのときの自分を自分がぶん殴って止めてやりたいくらいだった。けれど、時間が巻き戻ったりなんてしないことは、『オヴィス村の悲劇』の頃から、よくよく思い知らされてきた。
私は二度村を失ったかわいそうな人じゃない……一度村を失ったことを乗り越えたからこそ、二度目を耐えられる人なんだ。
“村を失った経験者”だからこそ、誰よりも私が、みんなを励ますべきだったのに。
これ以上、醜態を晒すわけにはいかない。だから、今は早く寝て、早く元気になって、来るであろう明日に備える。ロートヴィル村が消えるとしても、できるだけ被害を最小限に抑えるために。後世に「ロートヴィル村の対応が悪かったから、世界は破滅の危機に瀕した」なんて、語り継がれないように。
大丈夫、大丈夫……私は今、聖騎士なんだ。
エルシーたちが到着するまで、やれることをちゃんとやる。
アルエットは手のひらの上の干しブドウを一気に口の中へと流し込む。むしゃむしゃと頬張りながら、寝る前の支度のために立ち上がった。
* * *
翌朝、アルエットは陽が昇るより早く起き、身支度を済ませる。東の空が白み始める中、まだ薄暗い道を一人、村の方へ向かって歩く。厄災の花に埋もれた村を改めて直視するのは少し怖かったが、そうも言っていられない。迷惑をかけた分、少しでもできることをやろうと自身を鼓舞した。
厄災の花との境界に向かう途中、敷布に乗ってふよふよと浮いている人物が目に留まる。ずいぶんと高いところから村の様子を観察しているようだった。
「フィンチ先輩、おはよう。こんな早くから花の様子を見に来たの?」
アルエットが声をかけると、敷布の上からフィンチが見下ろしてくる。じっとりと目を細めながら、彼は緩やかに高度を下げた。
「やぁ、おはよう。鼻垂れアルエット」
「は、鼻垂れ?」
「鼻垂れだろ。見境なくして暴れて、ぴーぴー喚いて。やっと帰ってきたかと思えば、顔はぐしゃぐしゃで汚ぇしでさぁ……」
「そうかもだけど、鼻水まで出てた!?」
アルエットは思わず鼻の下を何度も指でこすった。昨日酷い顔をしていた自覚はあるが、鼻水まで垂れてたかまではちょっと記憶がない。けれど、フィンチに言われたことは何も否定できないほどその通りすぎる内容だった。
「冗談だっての。まぁ、最っ高にダサかったのは否定しないけどな」
フィンチは大きな口であくびしたあと、ニヤリと意地悪く笑った。それは決して嘲笑ではなく、からかって遊んでるだけと言いたげな、気ままな猫のような印象の笑みだった。
「はは……自分でもそう思う。だからフィンチ先輩、ありがとう。私を叱って止めようとしてくれて」
言葉は辛辣だが、その奥には論理的で現実的で“今”大切なことが詰まっている。重要なところで発されるフィンチの言葉は、いつでもそうだった。
「だったら次から、ちゃんと僕の言うこと聞けよな」
フィンチは気に食わなかったのか口の先を尖らせ、ムッと山なりになる。フンと鼻を鳴らしながら、敷布ごと地面まで降りてきた。
「上に乗れ。あんたにも見てほしいものがあるから」
「え、でも私が乗ると飛ばないんじゃない?」
「魔術で下から支えるから、敷布の上にいる限りは浮く。だから下に手とか足突っ込むなよ? 無効化されて墜落するから」
フィンチに言われるままに敷布の上に乗ると、ふわりと浮かび上がって上昇していく。魔力を無効化してしまうせいで、こんなふうに空を飛べる日が来るなんて思いもしなかった。
「すごい、高い! 遠くまで景色が見える……綺麗……」
ちょうど日の出の時間なのか朝日の柔らかな透明が混ざり、水滴のように透き通った淡い青が、夜の気配を残す淡い紺を西へと追いやる。夏の青い匂いをした風が、太陽の目覚めを告げるように髪を揺らして吹き抜けていった。高原一帯が見渡せ、少し遠くに見える天幕郡は放牧しているときの羊の群れのようだ。
「はぁ? どこ見てんの? あんたを喜ばせるために乗せたんじゃないんだけど?」
「じゃあ何を見たらいい?」
「あれに決まってんだろ。あれ!」
フィンチの指差す先へ、アルエットも視線を向ける。その先には厄災の花に埋もれた村が見えた。高い場所から村全体を俯瞰して見ると、その深刻さと絶望具合がよくわかる。
厄災の花は一晩でさらに侵食したようで、拠点になっている天幕郡へと向けて距離を縮めていた。そんな中、最前線の近くに、小さな穴でもあいたように土の色が露わになっている部分があった。
「あそこだけなんでか厄災の花が生えてないんだよね。あんた勘は良いから、なんか面白いこと気づかないかなって思ってさ」
「何もピンとこないけど、とりあえずあそこは私が昨日引き千切ったとこだね。もしかして、千切ると再生しない……みたいな?」
「んなわけないだろ。ちょっと確かめてみたいことがあるからついてきて」
空からの観察は終了し、敷布ごと地上に降りる。空を飛ぶなんて滅多にない経験だっただけに、もう終わってしまうのが名残惜しかったが仕方ない。フィンチの後ろに続いて歩いていった先は、厄災の花の最前線だった。
「フィンチ先輩、近づくと瘴気で危ないんじゃなかったっけ」
「緩和術かけてもらってるから平気。あんたは……まぁ昨日なんともなかったっぽいし、たぶん無効化してるんだろ」
なんだか雑な扱いを受けたような気がするが、実際あれだけ厄災の花の中にいたにも関わらず体に支障がなかったということは、本当に瘴気を無効化できているのかもしれない。
「それより、ちょっと厄災の花を触ってみてほしいんだけど。千切らなくていいから」
「わかった」
アルエットは厄災の花を指先でそっと触ってみた。すると、触れたところからじわじわと色が抜けて白く変色していく。少し力をかけて押すと、ボロッと灰のように崩れた。昨日は無我夢中で引き千切っては後ろに投げ捨てていたせいで、こんな変化が起きているなんて気づかなかった。
「何これ、どうなってんの? こんな現象初めて見たんだけど。『無効化』のせいってのは間違いなさそうだけど……」
「他の人が触ってもこんなふうにはならないの?」
「ならないね。なるならそもそも炎で焼く必要なんかないだろ」
フィンチは内ポケットからハンカチを取り出すと、白くなって崩れた厄災の花を包んで観察を始める。彼がそっと指で触ると、カサカサと使用済みの木炭のような音を立てながら脆く崩れていった。
「『無効化』が厄災の花を枯らす……なんでだ? まだわかんないけど、これは世紀の大発見になるかもしれない……! 解明できたら村が滅びることもなくなるかもね、アルエット」
「ほ、ホントに!? じゃあ、ロートヴィルは……!」
「枯れる仕組みがわかればって条件つきだから、期待しすぎんなよな。けど、大きな一歩になるのは間違いない。僕、もっと近くで観察したいし、とりあえずシーニュに報告してくる。アルエット、その槍であのハゲてるとこまで道作っといて!」
「え、道……? え?」
そう言うなり、フィンチは敷布に乗って凄まじい速度で天幕の方へ帰っていってしまった。ぽつんと取り残され、フィンチの勢いに呆気に取られたまま思わず相棒の槍を見つめる。
まだ朝食を食べていないのだが、フィンチの頼みに応えようと、槍に『無効化』の力を付与してバサバサと厄災の花を薙ぎ払う。これでロートヴィル村を救えるのなら、一食くらい食べ損ねたってどうってことはない。
あんなに憎くてたまらなかった厄災の花が、白く砕けてバラバラに散っていく。手で引き千切るよりも断然槍の方が範囲が広く、灰のようになった花を踏みつけて砕いてやると胸がスカッとした。
アルエットは昨日の失態の分も取り戻すような気持ちで、更に槍を振るう。まるで曇天の空に光が差すように、一薙ぎするたびに絶望が晴れていくような気がした。




