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第29話 滅びに咲く花

 星誕祭の日から、三週間が過ぎようとしていた。その間に近衛騎士隊長三人から、『絶対正義』に関する報告がなされた。


「『感情視認』で心の陰りはわかる……けど、何度その状況を見ても、俺はおかしいと思えないんだよね。なんでここで嫌な気持ちになってるんだろうって……」


 サイラスは『感情視認』の加護を使用し、エルシーの感情が負に傾いた状況とその場面に対する印象を観察していた。特に多いのは、感謝を述べられたときや演説終了直後だったという。けれど『絶対正義』に影響されているサイラスには、エルシーへの異様な熱狂ぶりへの違和感は抱けないようだった。


「事実と感情を見つめてきて、気づいたことがありますの。『絶対正義』と名付けてはいますけれど、エルシー様の判断は『正しくて間違わない』というよりは『どこまでも心優しくて清廉潔白』という印象をあたくしは抱きますわ。元々の振る舞いが慈悲深く善良ですから、混同されやすいところではありますわね」


 ロンディネが事実と感情を分けるように意識して導き出した答えは、『絶対正義』の概念を修正するものだった。彼女の意見に、サイラスとフィンチも納得したように同意していたことからも、『何をしても正しく見える』というよりは『何をしても慈悲深く見える』というのが正確なのだろう。


 ここまでの意見を合わせて考えた結果、単純に感情で思い込むだけでなく、価値観や認識そのものにも影響し、状況を歪めて捉えるようになるのではという仮説が立った。


「エルシー様はなんでかわかんないけど、『絶対正義』の力が強烈に働き続けてるっぽいんだよね。歴代聖女と何が違うんだろ?」


 歴代聖女の文献をあたっていたフィンチが情報を共有した。様々な文献や歴代聖女の功績、それがどのように伝えられているのかなどを加味した結果、多かれ少なかれ歴代聖女たちにも『絶対正義』の加護は存在していたのではないかと彼は推測した。ただ、歴代聖女の『絶対正義』はエルシーほどの影響力はなさそうで、そこに違和感があると話してくれていた。


「私が見てて思うのは、影響って結構個人差あるなーってことかなぁ。三人みたいにわりと平常心保ってる人もいれば、会ったその場から平伏(ひれふ)す勢いの人までいてビビるというか」


 最後、アルエットがこれまで見てきた感想を全員に伝えた。これまでの出来事の中で、いろんな人の反応を見てきた。どんな人なら影響が弱いのか、そこまでの傾向は掴めていない。


「歴代聖女が皆、エルシー様のようではなかったと判明したのは大きい。エルシー様の力が強く出てしまう原因を解明できれば、一気に解決へ傾くかもしれない。この調子で引き続き頼む」


 『絶対正義』の分析は若干の進展を見せたものの、まだ解決方法は見出だせていない。けれど確かに、綻びを掴みかけている。歴代聖女程度まで『絶対正義』の影響力を弱めることができれば、皆がそう考えていた。



 * * *



 今日は公務もなく、アルエットはサイラス隊に混じって訓練を続けていた。ほぼ毎日続けてきたおかげで槍の扱いもずいぶんと上達し、筋力も体力も底上げされている。怪我を負って以降、投げナイフの練習も始めたが、こちらも上々だ。


 アルエットが投げナイフの練習をしてくると、シーニュがまっすぐこちらへ向かって来るのが見えた。来るときは大体歩いているのに、走っているのは珍しい。傍まで来ると、彼は屋外訓練場にいる騎士全員を招集した。


「エルシー様に神託が下りた。残念だが、今回は“滅びの神託”だそうだ」


 その瞬間、にわかに騎士たちがざわついた。それはいつもの恍惚とするような異様さとは違う方向性の……不穏さと恐怖を()()ぜにしたようなものだった。


「サイラスとジェリノット。俺と共に教会の会議室へ来てほしい。すまないが、今回はアルエットは外してほしい。任務には同行してもらうが、内容は後で話す。今から遠征の準備だけはしておいてくれ」

「行こう、ジェリノット」

「了解した」


 いつもは穏やかで柔らかい雰囲気のサイラスや、堂々とした笑みで皆を鼓舞しているジェリノットからも、一切の笑みが消えている。彼らの焦りと深刻さの滲む表情に、アルエットもただ事ではない事態なのだと察し始めていた。



 その日の夕方、遠征の準備も済ませたあと、アルエットはエルシーの執務室に呼び出されていた。待っていたのは神託を受けたエルシーと、アルエットの責任者でもあるシーニュは当然として、近衛騎士隊長三人とジェリノットがいた。


 室内の空気はいつになく重い。この顔ぶれなら、一つ二つ軽口を交わしていてもおかしくないのに、全員が固く口を閉ざしていた。


「えっと……私が呼ばれたのって、神託の内容を共有するってことで……よかった?」


 誰も話を切り出す気配がなく、アルエットの方から呼ばれた理由の確認をすると、シーニュが短い返事で肯定した。


「それで、神託の内容は?」


 エルシーへと視線を向けて尋ねると、エルシーは微かに震える唇を引き結ぶ。罪悪感のような、悲しみや苦しみのような……なんとも言えない苦悶を静かに滲ませて、目を伏せた。そうして一つ、ゆっくりと呼吸し、目を開く。覚悟を決めた強い黄金色の眼差しが、アルエットを縫いつけた。


『北の地、(あか)き村にて破滅が芽吹く。やがて穢れ満ち、地の果てまでを蹂躙(じゅうりん)す。彼の地を浄化の炎で清めよ。さすれば厄災は眠り、世界に光が差すだろう』


 エルシーが口にした神託の言葉に、アルエットは凍りついた。以前聞いた神託と照らし合わせるなら、北の地は北の国であるシュネーノルディア王国のことで間違いない。そしてシュネーノルディアにおいて「紅」の名を冠する地名は、ロート山周辺に限定される。


「北の紅き村なんて……ロートヴィルしかない……」


 理解と拒絶が、喉の奥から迫り上がり、言葉になる。第二の故郷とも呼べるロートヴィル村が、破滅の危機に瀕している。伯父や伯母、従兄弟たち、村の人たちの顔が浮かんでは消える。優しくて、温かな人たち。彼らが……一体何をしたというのか。


「でも神託の通りにすれば、また前みたいに解決できるってことだよね?」


 前回のセーレバラでの神託は、瘴気災害を収束させるためのものだった。被害は出ていたが、初期対応も良かったおかげで犠牲者を出すことなく終わった。今ではほぼ元通りの生活に戻っていると聞いている。


 浄化の炎というものが何かはよくわからないが、とにかく村を浄化できさえすれば、“厄災は眠りについて”無事に解決するはずだ。まだ落ち込むには早すぎる。そう思っても、誰一人アルエットの言葉に同意する者はいなかった。


「“滅びの神託”は、確かに厄災を防ぐための神託だ。だが、わざわざ“滅び”と冠して区別するのには理由がある。厄災の芽吹いた土地は浄化しても穢れたまま、向こう十年は元に戻らない」


 丁寧で端的なシーニュの言葉が、冷たいナイフのように心に突き刺さった。理解したくないのに、できてしまう。


「“滅びの神託”は今回で三回目なんです。ここにいる方で過去二回とも経験があるのは、わたくしとジェリノットだけですが……一度目は神託がなんのことなのか、どこのことなのかもわからずに完全に後手になってしまいました」

「あれは酷かった。アレーニア王国のヴェルティムって、ちっさい集落だったが、厄災の花で町中やられちまって、全部焼き払うことになったんだったな」


 エルシーとジェリノットは沈痛な面持ちで、一度目のヴェルティムの町でのことや、“厄災の花”について語ってくれた。厄災の花は突然芽吹いたかと思うと急激に成長し、バラのように蔓を伸ばしてその土地を蝕む。


 ある程度の規模になると瘴気を放つようになり、その勢いは放置していればいずれ世界を飲み込んでもおかしくないほどだという。それが神託の『やがて穢れ満ち、地の果てまでを蹂躙す』にあたる部分だと解釈されているらしい。


 厄災の花の核ごと焼き払うことで侵食を食い止められるが、地中に張った根を浄化しきることまでは難しく、不毛の地になってしまうのはそれが原因だった。


「二度目はネブラクシア王国のネロックだったね。場所を割り出すのは早かったし神託の翌日には動いたけど……」

「到着した頃には結構わさわさ咲いてたんだっけ。村の半分は土地がダメになって、結構離れた人も多いって聞いてる」


 サイラスとフィンチの口ぶりから、二度目のネロックのときもあまり結果は良くなかったようだ。一度芽吹いたら、その土地は絶望的。そう考えて間違いなさそうだった。


「じゃあ、ロートヴィルは……」


 鼓動がうるさくて、息苦しくて呼吸が浅くなる。指の先に震えを感じて、握りしめた。冷えきった手のひらにじっとりと、冷たい汗をかいていた。


「浄化のためには、厄災の花ごと汚染されているもの全て焼き払う必要がありますの。あなたにはつらい現実でしょうけれど、侵食度合いによっては家一件残さず焼き払われてしまいますわ」

「で、残るのは焼け野原に不毛の地。最悪、村は放棄することになるから、覚悟はしとけよな……」


 ロンディネとフィンチが、覚悟を問うてくる。希望も現実逃避も許さない、現実と向き合う道以外の全てを断ち切られた。今のアルエットにとってその言葉はトドメのようなものだった。


 ロートヴィルが……滅ぶ……?


「燃えて……なくなるの?」


 オヴィス村が滅んだ瞬間の光景を、アルエットは思い出した。魔竜の炎が迫り、跡形もなく消し飛んだあの瞬間を。


 村が失われれば、伯父夫婦の生活は困窮するだろう。二人のことは血縁である従兄弟が支えてくれる。けれど、アルエットはもうあの場所には帰れない。食い扶持が増えれば困らせてしまうからだ。


「私は、どこに帰ればいい……?」


 アルエットにとっても、ロートヴィル村を失うことは、帰る場所を失うことを意味していた。それは場所や家の話だけではなく、家族のように大切にしていた人たちとの別れをも含んでいた。

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