第20話 蝕まれる命
神託を受けて数日後、アルエットたちは王都トランチェレスティナの南西に位置するセーレバラという田舎町を訪れていた。
『西の地の乱れは、湧き出ずる水面の底に沈む。穢れの欠片、折り重なりて蝕む。人の地よりせせらぎを辿りて、光をもって浄化せよ』
エルシーの神託は、西の国であるフィオリアのセーレバラを中心に起きている瘴気災害に関するものではないかと解釈がなされた。
セーレバラの町は昼間にも関わらず、ほとんど人が出歩いていない。澱んだ重苦しい空気と、奇妙なほどの静けさ。風に乗って、微かな人の呻き声が聞こえてくるような気さえした。
程なくして、病院代わりになっている小さな教会へと到着する。教会の中は薄暗く、床には横になれないほど所狭しと人が収容されていた。
街にいる人々のほとんどが程度の差はあれ不調を訴えており、重症者のみがここに集められていると聞いている。疲れきった目をした彼らの体からは、奇妙な黒い棘のようなものが生えていた。
「エルシー様! 王都より遥々、我々を救いに来てくださったのですね……!」
治療にあたっていた現地の神官の一人がこちらへ近づき、膝をついて祈るような眼差しでエルシーを見上げる。ずっと対応に追われてきたのか、彼の目の下にはうっすらとクマができており、顔色も良くなく、元の状態は知らないが少しやつれているような印象を抱いた。
彼の声でエルシーの存在に気づいたのか、呼応したように患者や治療していた神官たちの視線が一斉に集まっていく。
「エルシー様……エルシー様……」
「どうかっ、救いを……!」
ぎらぎらと目を見開き、救いを求める掠れた声であふれ返っていく。熱っぽく縋る姿に、アルエットは溺れていくような心地になった。
エルシーは……まるでロープだ。崖下に落ちた者たちの無数の手が、エルシーという一本のロープを掴んで登ろうとしている。そんな強烈な希望と逼迫感を混ぜ合わせたような、息苦しい熱さがこの場所に渦巻いていた。
神託絡みということもあり、今回の任務には神官だけでなく高位神官も数人随行している。高位神官の命令で神官たちはすぐに患者の緩和治療を開始し、現地の神官から詳しい情報を共有してもらうことになった。
* * *
「我々も都度手を尽くしたのですが、穢れは数日すると復活してしまい、神官からも瘴気中毒症を発症する者が出るような有り様で……」
人体から黒い棘のようなものが生える異形化、自我を失って人を襲う狂人化は『瘴気中毒症』と呼ばれる状態の典型的な症状だ。それらから原因は瘴気であると判断し、彼らは速やかにセーレバラ近郊の瘴気の濃い地点を割り出して浄化を行った。
浄化を行った直後は街の人々の状態も若干回復傾向を示すが、問題は瘴気の穢れがたった数日で復活してしまう点だという。動ける者は中堅都市の教会へ一時避難したが、罹患者は狂人化による二次被害を避けるために町に残っている。近隣の町への対応にも人員を割かれ、今は浄化を施して症状の進行を遅らせることで凌いでいるという状態だった。
「報告ありがとうございました。こちらで神託と照合して原因を割り出します。もう少しの辛抱です。わたくしたちも全力を尽くしますから、共に乗り越えましょう」
エルシーが神官に声をかけると、彼はぽろぽろと涙を零して膝から崩れ落ちた。彼もまた、この町の状況を一身に背負い、判断し、それでも緩やかに悪化していく現状に追い詰められている一人だ。エルシーは患者への対応はこちらの神官に任せ、働き詰めの彼らに休むよう伝えた。
これまでエルシーが聖女としての役目や重み、選択に悩み、苦悩している姿を近くで見てきた。けれど一度聖女として民の前に立てば、堂々たる風格と慈悲をもって勤め上げる。『絶対正義』に影響されていないアルエットでも、今の彼女の姿は紛うことなき立派な聖女であると胸を張って誇りたくなるほどだった。
それに比べて、自分には何ができるだろうか。浄化や治癒術はおろか、魔術そのものが扱えず戦闘能力も乏しい。エルシーの護衛として会議の場にも参加させてもらっているが、この状況を分析して原因を割り出すだけの知識や賢さも持ち合わせていなかった。
ただ、狂人化の症状が出たときの魔術や加護を使った加害の事例は多い。もしできることがあるとすれば、それらの加害から『無効化』で庇うことくらいだろうか。やれることが一つでもあるならひとまずそれに集中しよう、そう考えてアルエットは気を引き締めた。
エルシーを中心に、シーニュと近衛騎士隊長三人、高位神官のメサンジュともう一人、そしてアルエットは木製のテーブルを囲むようにして立っている。そのテーブルの上に、フィンチが地図を広げた。
「わたくしは、原因は水源にあるのではと考えています。どうでしょうか?」
エルシーの問いかけに、ロンディネとシーニュが頷く。正直神託の言い回しはアルエットには少し小難しくて、遠回しな印象だ。それでも『湧き出ずる』と言われれば、水の湧き出す水源が真っ先に思いつく。アルエットもエルシーの考えと同じだった。
「そうですわね。『湧き出ずる水面の底に沈む』と言うくらいですもの、その可能性が高いとあたくしも思いますわ」
「『せせらぎを辿りて』は川のことで間違いない。町から川を辿り、水源の穢れを浄化しろということだろう」
フィンチはロンディネとシーニュの言葉を受けて、ペンで川を表す線をなぞっていく。そうして、水源と覚しき場所を全て丸で囲った。
「……これ全部水源? いくらなんでも多すぎないか?」
「こればかりは仕方ありませんね。フィオリアはネブラクシアに次いで水の豊かな地なのですよ……」
「そう、メサンジュの言う通り。脳筋サイラスはちょっと黙ってなよ。ここから条件絞っていくとこなんだからさぁ」
フィンチはさらに丸を打った水源にバツを描き、彼が割り出した行く必要のない水源を可視化していく。
「今回被害が出てる町は三つ、どれもシェイラ川付近に限定されてる。シェイラ川はチェレスト川水系だけど、トランチェレスティナには被害ないし、分岐したあとに問題の場所があるはず。で、被害が出てない町より下流域に絞られてくる」
「……それでもまだこんなにあるんだね。穢れも町周辺しか検知できなかったとなると、水源全部巡るしかないのか……」
「全部だなんて簡単なこと言わないでくださらないかしら? かかる負担や時間を考慮すれば、とても現実的とは思えないですわ。どうにかしてここだという場所を特定できませんの?」
相当な数あった水源もかなり絞られたが、それでも全部行くには骨が折れそうなほど残っている。それも、山奥などの行くだけでも苦労しそうな場所も多い。確実にここに原因があると絞れるなら、それが最善だということはわかる。
「そういうこと言うから見落とすんだよなー。まずさぁ、なんで一カ所に絞ろうとするわけ? 神託にも『穢れの欠片、折り重なりて蝕む』ってあるんだから、水源全部が汚染されてる可能性も否定できないっしょ。元凶はどこかに集中してるって固定観念は捨てるべきだね」
「ふむ……なんにせよ断定は難しいな」
フィンチの言い分は一理ある。神託からは原因個所の範囲や数を断定することはできない。ただ、穢れは恐らく一カ所だけではないということがわかるだけだ。
『西の地の乱れは、湧き出ずる水面の底に沈む。穢れの欠片、折り重なりて蝕む。人の地よりせせらぎを辿りて、光をもって浄化せよ』
アルエットは再度、神託の内容を頭の中で繰り返す。すでに解釈済みの情報を言葉と結びつけていくと、『水面の底に沈む』というフレーズが、まだ厳密には意味を持っていないことに気づく。
頭に思い浮かべながら地図の水源の場所を一つずつ眺めていると……ふと閃いた。自信はなかったが、もし間違っていても一つの可能性を潰せると考えて、思いきって意見を出すことにした。
「あの、ちょっといいかな……私、もう一つ絞れそうな条件思いついたかもしれなくて。フィンチ先輩、ちょっと貸して」
「あ、おい……勝手に……!」
アルエットはフィンチからペンを借りると、水源の丸の右上に“ある条件”を元にして星印を描いていく。
「……アルエットが記した四カ所……全て泉だな」
「そう! 神託に『水面の底に沈む』ってあったよね。そしたら岸壁から染み出してる水源とかは、水面も底もあってないようなものだから違うかもって。先に泉をあたって、ダメだったら他も行ってみるってのはどうかな?」
「……へぇ。あんた、案外冴えてんじゃん」
フィンチは挑発的な強さを宿したエメラルドブルーの瞳をアルエットに向け、不敵に笑う。全員の肯定的な反応に、思い切って言ってみて良かったと少しだけ誇らしい気持ちになった。
「とりあえず水に問題があるのは間違いない。使用禁止命令を出し、水の調達は魔術で賄うよう通達する」
「わかりました。神官や住民への通達はお願いできますか」
「承知いたしました、エルシー様」
通達を高位神官であるメサンジュたちに任せると、彼らは迅速に行動を開始し、部屋を出ていった。
「あとは作戦内容を詰めて、隊の振り分けだね。どうする、シーニュ」
「あ、ちょっと待って。私の飲み水は……どこから確保したらいい……?」
水源の汚染が原因で一帯の水は使えない。それを魔術で生成した水で補うのは理解した。けれどアルエットの場合は『無効化』の加護のせいで、飲水として口にした瞬間消えてしまう。つまり使える水が断たれてしまったことになる。全員が『無効化』のことを気に留めていなかったのか、あからさまに「あ、忘れてた」みたいな顔をしていた。
「あんた、ホント面倒くせぇ体質だな」
「そんなこと言われても……」
「アルエットの水だけは、わたくしが浄化して確保しましょう。それなら問題ありません」
「うぅ〜、エルシーありがとう〜! 死なずに済んだよ〜!」
エルシーの笑顔に後光が差して見える。それはさながら、干乾びそうになりながら彷徨い歩く旅人の前に現れた、砂漠の中のオアシスのようだった。砂漠もオアシスも見たことはないが。
その後作戦が立てられ、瘴気からの魔物の発生に備え、隊を二つに統合して行動することが決まった。アルエットはエルシーとシーニュ、ロンディネの隊と共に明日はセーレバラ周辺の浄化を行う。その後二日かけて川を辿る形で都度浄化を行いながら、水源を目指すことになった。
* * *
セーレバラの町は今住民がほとんど残っていないため、町の中の開けた場所で聖騎士団は野営を行っていた。
「お疲れ様、アルエット」
「ありがとう。シーニュもお疲れさまー」
「皆すでに食事をとり始めている。君ももう今日は休んだ方がいい」
焚き火のために集めた木を置いていると、シーニュに声をかけられた。スープの器を二つ持っており、その片方を差し出してくる。アルエットはありがたく受け取ると、焚き火の傍まで寄ってから腰を下ろした。
葉物野菜を使ったスープにはトマトが使われており、赤い色をしている。シュネーノルディアの田舎に住んでいたアルエットにとってトマトは珍しく、ほとんど口にしたことがなかった。
トマトスープはどんな味なのだろうか。好奇心をくすぐられ、胸を小さく高鳴らせながらスプーンで掬い、口に運ぶ。その瞬間、シュワッと虹色に輝く靄が間近で見えた。
嫌な予感がしつつも、思い切って器に口をつけて傾けてみる。すると凄まじい勢いで器の中から虹色の霧が……まるで湯気のように発生して消えていく。口の中に入ってきたのは、恐らく野菜から出たと覚しき僅かな水分だけだった。
「わぁぁぁ! 私の、私のスープのスープが……!」
「……魔力で生成した水を調理に使ったのか」
すぐ傍に腰を下ろしていたシーニュの視線が、アルエットのスープへと落ちている。アルエットの器の中のスープは汁が消え、具だけが綺麗に残っていた。
仕方なく残った具だけを食べることにしたが、柔らかくて味はあるのに、水分は足りてない……煮物に近い食感がする。アルエットはこれをスープだと思うのをやめ、少し乾いた煮物として完食した。




