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『絶対正義』の聖女は救われたい  作者: まな板のいわし
第5章 「最後の希望」
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第18話 授けられた言の葉

 世界には四つの国があり、その中で唯一フィオリア王国が特別だと言われている理由がある。それは、始祖エーテル降臨の地であり、世界樹を擁している国でもあるからだ。


 世界樹は大地に神樹を育て、瘴気や穢れを祓い、命を繋いでいるとされている。それが始祖エーテルより賜った、原初の祝福だ──と、シーニュが淡々と説明してくれた。


『君も聖騎士の端くれだ。基本の伝承くらい、教養として身につけておいた方がいい』


 とは言われたものの、神をあまり信じていないアルエットにとって、子守唄以外に使い道のなさそうな情報は、あまり興味を唆られなかった。あとで聞かれたときに何も頭に入っていないとさすがに叱られそうなので、とりあえず入るだけ頭に叩き込んだ。大体こんな感じだった気がする。



 フィオリア王国の王都トランチェレスティナから南東、馬車で数時間ほど行った先に、世界樹と世界樹を祀る神殿がある。今日はここで年四回執り行われる、『四季の儀』という祭祀のために来ていた。


 白い石造りの神殿は広く、エルシーの護衛として傍に控えながら進む。最奥の大広間に辿り着くと、爽やかな風が髪を梳くように撫でていった。


 大広間の天井は吹き抜けとなっており、見上げると巨大な世界樹がそびえ立っている。その枝葉の隙間から、故郷の夏よりも眩い日差しがさやさやと零れ落ちてくる。白と緑と木漏れ日に満ちた空間は穏やかで、清々しくて、心が安らいでいくような雰囲気があった。


 ボーっとしてたら張っ倒されそう。


 あまりにも静かで落ち着きすぎて、少し眠くなってくる。護衛以外の仕事をアルエットは与えられておらず、魔物もいないため、ただひたすらにエルシーを見つめる以外にやることがなかった。


 今日は四回ある儀式の中の『昇幹(しょうかん)の儀』という夏の祭祀の日らしい。四季の儀はとても重要なもので、大司教のコルモランや司祭長といった高位神官たちも同行していた。彼らはエルシーと共に儀式の準備を進め、それが終わると、エルシーを中心に輪になって跪き、祈りを捧げ始める。


「生命の息吹を擁せし枝葉は、陽光と共に昇りて高みへと至れり」


 エルシーの鈴のように澄んだ声が、錫杖の音と共に大広間に凛と響いた。しなやかに片足を踏み出し、舞を踊り始める。それに合わせて神官たちが立ち上がると、指先で空を切り、法陣のようなものが描かれていく。


「星辰の涙に触るるとき、蒼き空の色滲みて、乾きを染める。清浄と祈りの歌声は、風となりて吹き巡る」


 木漏れ日がエルシーを照らし出し、銀糸の髪が清流のように煌めく。風が舞うように音はなく、ただ錫杖の音と彼女の声だけが天へと昇り、まるで世界樹が耳を傾けているようにも見えた。


「昇幹の時よ、目覚め給え。昇幹の時よ、応え給え。我らに、神の祝福が与えられんことを──」


 祝詞と舞の奉納が終わり、静けさの中に世界樹の枝葉のざわめきが降りてくる。堂々とした舞の美しさに思わず拍手しかけて、頭を後ろから叩かれた。


「あんたアホすぎ。空気読めよな」


 隣からフィンチの声がして左へ視線を向けると、あからさまに見下したような眼差しでじっとりと睨まれていた。


「いや、なんていうかこう……圧巻の舞って感じで、つい……」


 へらりと笑って誤魔化そうとしたが、今度は右隣から軽く背中を叩かれる。


「見せ物ではない。止めてくれたフィンチに感謝しておいた方がいい」


 気づくと右隣のシーニュから、冷ややかな視線を向けられていた。彼は元から感情が薄くて冷ややかではあるが、輪をかけて冷たい。こういうときだけ無駄にわかりやすくなくていいのに、と思わざるを得ない。


「はい、すみません……フィンチ先輩ありがとう。助かったよ」

「フン。あんたのためじゃない。神官に“これだから騎士は”って小言言われるのが面倒なだけだっての」


 フィンチの言葉に、ようやくアルエットは納得した。あの高位神官たちに詰められて、くどくどと説教はされたくない。フィンチとシーニュに軽く叩かれて小言言われている方が数万倍マシだと思った。


 エルシーと神官たちが儀式の片付けをし始め、騎士たちも撤収のために慌ただしく動き出す。アルエットはエルシーを傍で護衛するため、頃合いを見計らって声をかけようとしたときだった。


 上から降ってきた何かがアルエットの目の前をひらりとよぎり、思わず指先で捕まえる。摘んでいたのは手のひらよりも少し小さく、丸めの形をした薄い葉だった。


「世界樹の葉、なのかな……?」


 そう感じた瞬間、草木の青い匂いがより一層深くなったような気がした。思わず周りを見回したが、世界樹以外の木はなく、遠くから葉が運ばれてきそうなほどの強い風も吹いていない。


 葉を上に軽く掲げてみると、薄い葉が光を受けて鮮やかな薄緑色に透ける。細かな葉脈に縁取られたそれは、まるで教会の窓を彩るステンドグラスに似た美しさがあった。


「どうしたんですか、アルエット」

「あ、エルシー! 様……お疲れ、さま……えっと……でした?」


 危うく二人でいるときのように呼んでしまいそうになり、慌てて敬称を付け足す。神官に気づかれていないか確認したが、チラリと視線を向けられた程度で終わり、静かに胸を撫で下ろした。


「アルエットもお疲れ様です」

「私は立って見てただけだよ。それよりエルシーの舞が凄すぎ! 思わず拍手しそうになっちゃった」

「ふふ、ありがとう。さっき上を見ていたみたいですが、何かありましたか?」

「これが降ってきたんだよね。見て」


 先程手にしたばかりの葉をエルシーに見せると、陽だまりのような色の目を、不思議そうにぱちくりと瞬かせた。そのまま彼女は、世界樹を仰ぎ見る。


「もしかして、世界樹の葉……ですか?」

「わかんない。でもたぶん、そうかも?」

「わたくし、世界樹の落ち葉を見るのは初めてです」

「え、十二年聖女やってて初!?」


 聖女に覚醒してから十二年、四季の儀は年四回あるため、相当な回数この神殿に来ているはずのエルシーが初めて見たという落ち葉。パッと見は何の特別感もないただの葉が、途端に希少なお宝に見えてくるのだから不思議なものだ。


「そ……そんな珍しいなら、記念に持って帰ってもいいかな? 怒られちゃう?」

「落ちてきたものですし、いいと思いますよ。もしかしたら、始祖エーテルからあなたへの贈り物かもしれませんね」

「え〜ホント? じゃあ貰っちゃおうかな……あっ、エルシー……みんなには内緒にしといてね」

「わかりました。二人だけの秘密にしておきましょう」


 エルシーはそっと人さし指を唇に当て、いたずらを隠す子供のように笑う。いつもは大人っぽくて静かな女性という印象だった彼女の、おてんばだった子どもの時代の面影を垣間見たような気がした。


「世界樹ありがとう、もらってくね。さて……どこに入れとこうかな……」


 どうやって保管しようか悩み、ふと制服に入れていた手帳の存在を思い出して取り出す。支給されたものの、何に使えばいいのかわからなかった手帳がようやく役に立ちそうだ。適当に手帳を開き、まっさらなページに世界樹の葉を挟むことにした。



 * * *



 無事に『昇幹(しょうかん)の儀』を終え、アルエットはエルシーたちと共に、トランチェレスティナ中央教会へと戻ってきていた。アルエットは先に馬車から降り、教会の敷地内とはいえ周囲の安全を確認する。エルシーがシーニュの手を借りて馬車から降りると、ようやく公務が一つ終わったと実感し、アルエットはふっと小さく息をついた。


「エルシー様、お疲れ様でございました」


 一足先に戻っていたコルモランや神官たちがエルシーを出迎える。高位神官は若年から老年まで揃っており、特に一回り二回り年上であろう存在が恭しく頭を垂れる姿は何度見ても慣れない。もちろんアルエットではなくエルシーに彼らは頭を下げているのだが、それでもだ。


「皆さんのおかげで、今回の祭祀も無事に終えることができました。ありがとうございました」


 穏やかに笑ってコルモランたちに応えていたエルシーの表情が、突然固まる。胸元を押さえて俯いたかと思うと、足元をふらつかせ、とっさに隣にいたシーニュが支えた。


「エルシー、大丈──」


 心配になって彼女の顔を覗き込み、アルエットは目を見開く。エルシーの黄金色の瞳が、なぜか今は、この夏空を映したかのように澄んだ空色へと染まっていたからだ。


「エルシー様、その瞳は……! まさか、神託が下りたのですか……!」


 コルモランや神官、聖騎士たちまでもが一斉に色めき立ち、ざわつく。その声は押し潰されそうなほどの熱と圧迫感を持ち始めていた。彼らにとってこれが見慣れた光景だからなのかもしれないが、エルシーがふらついたことを誰も心配しない。


「大丈夫です。ありがとう、アルエット。シーニュも」


 エルシーの瞳は、まだ空色のまま戻らない。けれどもう顔色も悪くなく、どこか安堵しつつも使命感に満ちたまっすぐな眼差しをしていた。


「たった今、始祖エーテルより神託を賜りました」


 エルシーはシーニュの手を離れ、数歩前に出る。誰もが息を呑み、まるでそこに神が降り立ったように跪いた。


 焦がれるような無数の瞳が、爛々とした光を帯びてエルシーだけを見上げている。彼らの熱狂は留まるところを知らずふくれ上がり、空気さえも熱を帯びて、濁流のようにうねっている。喉がひりひりと焼け付いていくような息苦しさにただ一人取り残され、飲み込まれていくような心細さが募った。


 上手く息ができているか、わからない。俯きかけたアルエットの背中に、そっと誰かの手が触れる。ハッとして振り返ると、夕闇の空のような柔らかな茜の差した紺色の瞳と視線が合った。


 『絶対正義』の影響を受けないシーニュの瞳だけが、この場で唯一静けさを宿して凪いでいる。アルエットは彼に冷静さを分けてもらうようにして、落ち着きを取り戻していく。吸い込んだ息の隙間から、どっと冷たい空気が体の中に雪崩込んだ。

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