第16話 突き刺さるナイフ
ロンディネが手に入れた魔法薬の効能は凄まじく、アルエットの腕の傷は驚異の回復力を見せていた。傷口が塞がるまでに最低でも三週間はかかると言われていたのに、帰還して一週間を過ぎた頃には傷口が完全に塞がっていた。
『無効化』を持つ体にどういう理屈で魔法薬が効いたのかは……なんかフレイヤが説明してくれていた気もするが覚えていない。ただ庶民には手の出ない高価な薬には凄まじいものがあるということ。そしてあの拷問のような痛みを耐え続けた価値があったと感じながら……塗られた瞬間を思い出して身震いした。
塞がった皮膚はまだ薄く、赤い痕になっている。触れると少しピリピリと痛むが、フレイヤからの許可も得られたことで今日から少しずつ訓練に復帰することを許された。
サイラス隊の騎士たちから贈られた見舞いの花だらけの自室を後にし、指定された時刻に屋外訓練場に顔を出す。すでにサイラスたちの隊が訓練を始めており、今は槍を使った打ち合いをしていた。
「今日から復帰か? よかったなぁ」
「アルエット、もう無茶すんなよー?」
「おかえりー、アルエット」
「ありがとう!」
サイラス隊の騎士たちが、一人一人声をかけてくれる。何気ない言葉がくすぐったくて、温かくて、まだここにいても大丈夫だという安心感を与えてくれていた。
治癒術すら消してしまう『無効化』を目の当たりして、もっと憐れみの視線を向け続けられるものだと思っていた。けれど想像していたほどのことにはならず、みんな花を持って見舞いに部屋に来てくれた。今のアルエットの部屋は、たくさんの心配で彩られている。
「シーニュ、サイラス、今日からよろしく」
「あぁ」
「よろしく。と言っても、まだ本格的な復帰は無理って聞いてるよ。だからはい、これ」
サイラスは小さな黒い箱型のポーチのようなものをアルエットへ差し出す。受け取ると、見た目に反してやや重く、中を見てみると薄い刃のようなものが大量に収納されていた。
「投擲用のナイフだ。俺とサイラスで相談し、君に最適な補助武器を選定した。視力、聴力、勘の良さ、近距離で戦う危険性を考慮し、遠距離で対応できるものを採用した」
「狩りの経験があるって言ってたから弓への転向も考えたけど、魔術が使えないから、矢の本数が尽きたら丸腰になる。だから槍は継続しつつ、投擲武器を補助にしたらどうかって。このナイフは軽くて、一度に大量に持ち運べる。あとはあなたが実用レベルまで上達してくれさえすれば……ってところだね」
一枚取り出すと想像以上に薄く、風に舞う木の葉を想起させるような形をしている。キラキラと太陽を照り返す銀が美しく、曲線的でかわいらしい。
「それで、これはどう使えばいい?」
「貸してくれ。手本を見せる」
差し出されたシーニュの手のひらにナイフを置くと、彼は刃の部分を指先で挟んだ。その先には藁を人の形に模し、胸のあたりに的を括りつけたものが立てられている。
そのまま静かに狙いを定めながら肩から腕を引き、踏み込みと共にナイフが放たれる。目にも留まらぬ速さで飛んだナイフは見事、的の中央付近に刺さっていた。
「わーぉ……」
「さすがシーニュ。何やらせても卒なくこなすよなぁ」
「サイラスは?」
「あー、俺はこういうのはダメだね」
サイラスは苦笑しながら肩を竦めて首を振った。何をやらせても卒なくこなすと言われるのだから、シーニュは苦手な武器なんてほとんどないのかもしれない。思えば、サイラスはカエルが苦手だが、シーニュにも何か苦手としているものがあるのだろうか。
「ぼんやりしてないで、君も投げてみるといい」
「えっと、投げ方の説明とかコツは……」
「……聞きたいのか? アルエットは感覚派だと思っていたが」
「まぁ一応、言葉でも理解しておきたい……かも?」
チラっと窺い見ると、シーニュは無表情でじっとアルエットを見下ろしているだけだった。わかりにくい……が、わかる。あまり乗り気じゃないということが。シーニュは一つため息をつくと、渋々といった様子で口を開いた。
「初心者は刃を持った方が安定するから、そちらで練習するといい。ナイフは投げる位置と握る位置で回転数が変わり、上手く刺さる角度を探す必要がある。体の軸は──」
「ごめん、やっぱいいや! とりあえずやってみるね!」
「君が説明しろと頼んできたはずだが」
スッと冷えたシーニュの目は見なかったことにし、ササッとナイフを一枚取り出す。先程シーニュがやっていたのを真似て指で挟んだ。腕だけでなく、肩を使って振りかぶりながら足を踏み込む。怪我をした左腕にも力が入り、ビリッと痺れるのをこらえ、狙いを定めて指を離した。
音もなく回転して飛ぶナイフは的から大きく外れ、藁の部分へと突き刺さる。再度シーニュの手本を確認し、そこからみっちりと投げナイフの訓練に明け暮れた。
サイラスたちは警護の任務につき、夕暮れの訓練場にはアルエットとシーニュの二人だけが残されていた。
訓練に負傷した左手は直接使用しないとはいえ、少しずつ復帰とは一体なんだったのかと問い詰めたくなる。とはいえ訓練のおかげで、投げたナイフの大半は布に、その内半分は的の円の中にかろうじて当たるようになっていた。
「初めてにしては上出来だ。やはり君は飲み込みが早い」
「こんだけ投げればそりゃそうなるでしょ……右腕怠すぎて震えるし上がらないし、これじゃあフォークも持てないよ」
「さすがに農業用フォークは重いからな」
「そっちのフォークじゃなくて、食べる方に決まってるでしょ。急にボケないでよ」
「違ったのか」
あくまでも恍けるシーニュの背中を、重怠い右腕で軽く殴りつけた。固い背中にバシッと拳が当たると、シーニュは少し嬉しそうに声を出して笑った。
「はは、元気な右腕だな」
「人の気も知らないで暢気なことばっか言いやがってー……」
恨みがましく睨みつけると、シーニュは微かに目元を緩めて鼻で笑った。それがまた地味に癇に障る。
「そういえば、ココアを使ったクッキーを焼いた。執務室に食べに来るか?」
「……え、それ本当!?」
ココア。クッキー。その甘美な言葉に、ジリジリと焦がされるような悔しさも、ほろりとほどけて消えていく。
「行く! 行く行く〜!」
以前食べた、シーニュお手製チョコチップクッキーの味を思い出し、思わず頬が緩む。今日の訓練の疲れすらも吹っ飛びそうなほど、心も舞い上がっている。早速くたくたの足が、スキップのリズムを刻み始めていた。
* * *
食堂で夕食を食べたあと、そのままシーニュの執務室へと向かった。室内にあるソファへと座ると、シーニュはバスケットいっぱいのココアクッキーを目の前のローテーブルへと置いてくれた。
早速一枚手に取り、口へと運ぶ。サクサクと軽い口当たりは何度噛んでも変わらず、ずっと歯触りがいい。以前食べたチョコチップはチョコのとろとろ感が濃厚だったが、ココアクッキーの方は口いっぱいに広がった風味が鼻まで抜け、ふんわりと心が満たされていくようだった。
「おいし〜い……!」
「君は本当に食べさせがいがあるな」
「そう? じゃあ私も嬉しい、シーニュも嬉しいで最強だね!」
「……そうだな」
シーニュは紅茶用の湯を沸かしながら、立ったまま執務机の書類の束へと手をつける。内容に目を通しては、机の上へと置いていく。
「その書類は?」
「今日溜まった分の報告書だ」
「なんか、ごめん」
「別に謝る必要はない。アルエットの指導も職務の一つだからな」
そうしている間に湯が沸き、シーニュは慣れた手つきで紅茶を淹れてくれた。エルシーの部屋にあるものと違い、真っ白で無骨な感じのティーカップだった。カップの中が注がれた紅茶の柔らかな紅に色づき、ふわりと湯気が頬に触れた。
一口飲んでからソーサーへと戻し、手をソファに手をついた瞬間、左手にズキリと痛みが走る。赤く残る傷痕を右手でそっとさすると、ひりつくように熱を帯びた気がした。傷を気にしていたのがバレたせいか、シーニュは書類から視線を外す。
「まだ痛むか?」
「力を入れるとズキッとする感じ」
傷口こそ驚異の早さで塞がったものの、まだ完璧に治りきったわけではない。薄く塞がっただけの皮膚が強くなってくるのも、痛みの名残りが消えるのも、もう少し先の話になりそうだ。
「……守りきれず、すまなかった。アルエットが怪我を負ったのは俺の落ち度だ。二度と君が負傷しないよう、守ると約束する」
「何馬鹿なこと言ってんの? ちゃんと自分の職務を全うして、私じゃなくてエルシーを守ってよ」
「別にエルシー様を二の次にするという意味ではないのだが……」
「私に労力を割くなって言ってんの」
シーニュは妙に責任を感じてしまっているらしいが、今回の怪我は完全にアルエットの落ち度だ。シーニュはアルエットの安全を確保しようとできる限りのことを尽くしてくれていたと思っている。
「はぁ……どうせなら私も、シーニュみたいな反射の加護だったらよかったな。そしたら、こんな怪我もしなかったし。父さんも母さんも……村のみんなも、死なずに済んだかもしれないのになー」
『無効化』はエルシーのためには役に立っているのかもしれない。けれどアルエットの人生で、アルエットの望む形で役に立ったことなど、ただの一度もなかった。
もし『攻撃反射』だったら、魔物の爪による攻撃を跳ね返して魔物を殺せたかもしれない。もし『攻撃反射』だったら、魔竜に立ち向かって、父や母、オヴィス村が消し飛ぶ前に炎を反射して、魔竜を殺せたかもしれない。
もし『攻撃反射』だったら──私はたった一人ぼっちで、生き残ることもなかったかもしれない。
無傷で、誰も死なせず、失いたくなかったものを失わずに済んだ世界にいられたかもしれない。そんな想像を、どうしてもしてしまう。そんなアルエットの思いに反して、シーニュは静かに問いかけてくる。
「本当に羨ましいと思うか?」
その一言に込められたシーニュの感情を、アルエットは読むことができなかった。けれど僅かに影が差した眼差しから、少なくともシーニュは、自身の『攻撃反射』を良く思っていないことだけは伝わってきた。
「ごめん。さすがに無神経だったかな」
「いや、そうは思ってない。ただ俺は──」
シーニュはそこで躊躇うように一度口を閉じた。視線は逡巡する思いを表すように逸れ、微かに口を開いては閉じる。ゆっくりまばたきを繰り返したあと、どこか熱を灯したような眼差しでアルエットを見て、言葉を紡ぐ。
「──むしろ君の、『無効化』の力が……羨ましい」




