第15話 カエルが暴く恋心
エメルフォードの病院で治療を受けた後、アルエットはサイラスと共に一足先に王都のトランチェレスティナへと戻った。エルシーの専属医でもあるフレイヤの診察を受け、今は自室での静養を命じられている。少し静かに過ごせるのかと思っていたが、想像以上に来客は多い。
「あんた、馬鹿だな。こんな大怪我してさぁ、クソ雑魚じゃん」
「仕方ないでしょ。方法とか考える暇なかったんだし」
「思考力貧弱の脳筋って、突っ込む以外の選択肢がないんだよねぇ。ホント憐れ。いや、無様?」
「もー! フィンチ先輩うるさい、帰れー!」
フィンチは部屋に訪ねてきては、アルエットの失態をこれでもかとからかって詰り倒していく。けれど日に何度も顔を出しては、その度に一個だけお菓子のお見舞いを置いていくあたり、かなり律儀ではある。
「治癒術が効かないということは、腕に消えない傷痕が残ってしまうかもしれませんのよ?」
「いやまぁ、昔魔物にやられたでっかいやつも背中に残ってるし、いいかなーって」
「まぁぁっ! 何寝ぼけたこと仰いますの!? あなたは女性なのですから、もっと体を大切になさい! そもそも怪我を負わないよう慎重に行動すべきですわ! あたくしの実家のコネで、できるだけその怪我が残らないようにして差し上げます! 覚悟なさいまし!」
「あ、や……別にそういうのは──行っちゃった」
ロンディネは部屋に訪ねてきては、アルエットの体の傷のことを心配してくれる。けれどアルエットには、すでに昔、従兄を魔物から庇ったときの傷痕が背中に大きく残っている。腕の怪我が残ろうが今更な話なのだが、それでも気にかけてくれることは嬉しかった。
「は〜い。アルエットちゃん、お薬塗るわね」
「痛っ、痛だだだだっ! いだだだぁぁぁぁーっ!! 何これ、バリバリに痛いんだけどぉぉーっ!!!」
「ロンディネちゃんが取り寄せてくれた塗り薬なの。裂傷にもよーく効く希少な魔法薬よ。どのくらい効果が高いのか経過観察できるなんて、楽しみね」
「『無効化』体質だから魔法薬なんて効かないぃぃー! 私を実験体にするなーっ!!!」
「あらあら、魔法薬は魔力で治すものじゃないのよ? 魔力を与えて極限まで効能を高めた素材で薬にしてるだけだから、魔力なんて残ってないの。ほーら、自然由来の力ですよ」
「んんーっっ!! ダメ、死ぬ。死ぬならもっと楽に死なせてぇー!!」
傷を診てくれているフレイヤは全く容赦がない。おまけに他人の体で、ロンディネの用意したやたら高級な塗り薬がどのくらいの効力があるのかを観察しようとしている。治療は凄まじいが、診察だけに絞れば丁寧で優しく接してくれていた。
労られているのか、痛めつけられているのか、微妙によくわからないが、ベッドの上でただじっとしているよりはずっと良かった。
フレイヤに運んできてもらった夕食を食べ終え、手持ち無沙汰になった時間はフィンチにもらった光が灯る水晶と向き合う。もっと無効化の付与の精度を上げるために、怪我をしていてもできることで鍛錬を積んでいた。
水晶とにらめっこしていると、不意に扉がノックされる。食器を下げに来てくれたフレイヤかと思い返事をしたが、中には入ってきたのは彼女ではなくサイラスだった。
「フレイヤの代わりに食器を下げに来たよ」
「ありがとう。別に食堂に食べに行けるのに、みんな大げさすぎだよね」
実際足を怪我したわけでも、病気で動けなくなったわけでもない。左手を少し負傷した程度で、まるで重病人扱いで正直戸惑っている。けれどサイラスは苦笑を浮かべ、ベッドの傍らに置かれていた椅子に腰かけた。
「食器を下げる前に、少し話をしないか? 疲れてなければ、付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「うん、別にいいよ。時間だけはやたら持て余してるからね」
「ははは、そう言ってもらえて安心したよ」
サイラスは気が抜けたようにカラカラと笑いながら、窓の外へと視線を向けた。穏やかな若草色の瞳は、どこか切なく寂しそうな色を宿している。彼は何を話そうか迷っているのか、微かな躊躇いが沈黙へと変わっていく。
窓の外はすっかり日が落ち、深く暗い青の中に、微かな夕日の名残りが残っている。その色は、シーニュの夕闇色の瞳によく似ていた。
「……どう切り出そうか迷ったんだけど、単刀直入に聞くことにする。アルエットは……もしかして、死ぬことに恐怖心がない?」
「え? うーん、どうかな……?」
あまり深くは考えたことはなかったが、確かに死ぬことに対しての恐怖心は薄いのかもしれない。浄化の儀のときも、魔物に対する恐怖はあっても、「死ぬかもしれないから怖い」とは考えていなかった。
「ごめん、悪く思わないで。どうしても俺は『感情視認』の加護で、なんとなく視えてしまうから。死線はくぐってきたし、仲間の死も見てきた。そのときに視たものが、あなたには視えなかったから少し気になったんだ」
そういえば……と、ふと思い出す。エルシーの『絶対正義』の話をしたとき、サイラスは自身の加護を『感情視認』だと説明してくれていた。であれば、彼に嘘やごまかしはあまり通用しないのだろう。元より隠すつもりもないが。
「サイラスの言う通り、そうかもしれない。怖くないってよりは、あまり意識してないってだけかもしれないけど」
「それは、どうして?」
「私はあの日に一度……オヴィス村と死んだの。だから今を、“余生”だと思って生きてる。そのせいじゃないかな」
アルエットは暖炉に焚べられた薪の燃えカスのようなものだった。灰になった大切なものの中で、小さく残る火種のように……生きている。
「余生……」
サイラスは静かに言葉を繰り返し、黙り込んでしまった。膝の上にある固く握りしめた手と窓の外の景色を交互に見つめたあと、ぎゅう……と目を閉じて俯く。静かに吐く息が、微かに震えていた。
「ねぇねぇ、質問答えたから、私も一つ聞いていい?」
「あ、あぁ……なんでも……」
「なんでもぉ? よーし、言ったな〜?」
上向いたサイラスは、少し落ち込んだような表情をしていた。けれどこちらのペースに巻き込んだことで、それが僅かにだが緩んだようにも見えた。
「じゃあ聞くね。サイラスって、今もカエルは苦手なの?」
質問内容が意外だったのか、サイラスは目を丸くしてしばらく固まったあと、へにゃりと気まずそうな笑みを浮かべる。照れくささを隠すように腕をさすってから、口を開いた。
「もしかして、エルシー様から聞いた? さすがに子供の頃ほどではないけど、今も少し、苦手かな。あのぬめっとしたとこが……でも、なんでそんなことを?」
「エルシーが気になってるみたいだったけど、聞く気なさそうだったから。そっか〜、サイラスはカエルが苦手と。隊のみんなにも共有しておこうかな〜」
「やめような」
「……はい」
「よろしい」
表情こそ「もぅ、仕方ないやつめ」みたいな柔らかい雰囲気だが、大きな手で頭をがっちりと鷲掴みされ、おとなしくすることにした。逆らったら、粉砕されそうな気がして。
「今さ、エルシー様が……俺が今もカエルが苦手がどうか気になってたって言ったよね? 他に俺のことで、何か話は聞いてない?」
「気になるの?」
「まぁ、それは……ほら、他に弱みになること、話されてたらどうしようかな、的な?」
「ぷっ、ぶふふっ……くく、あははっ……あはっ、あははは!」
「え……」
あの恐ろしい悪魔のような教官だったサイラスが、目を泳がせながらしどろもどろになっている。もじもじもじもじと、かわいらしい反応で。普段とのあまりの落差に、アルエットは思いきり腹が捩れて苦しくなるくらい笑わせてもらった。
「サイラスって、エルシーのことが好きなんだね。だから近衛騎士になったんだ」
「な……!」
少し意地の悪い言い方をしてみると、案の定サイラスは戸惑ったように椅子から半立ちになった。微かに頬のあたりにも赤みが差し、明らかに照れている。
「顔赤いよ? 恋愛方面の好きなんだ?」
「カマをかけたな……アルエット……」
「いやいや、冷静に考えてみなよ。幼馴染が聖女になったからって、自分は近衛騎士になろうって人、早々いないよ? みんな勘づいてるんじゃない?」
「それは……本当に?」
今度は生気が抜けたように、ストンと椅子に座りこむ。普段の溌剌とした雰囲気もなければ、隊長としての威厳すらすっかり崩壊していた。
「冗談のつもり。でも少なくとも私は、何か強い気持ちはあるんじゃないかなーとは思ってたんだよね。そっかぁ、それが恋心かぁ〜」
「あなた俺より年下だろう。年寄りみたいにしみじみ言うのはやめてくれ……」
とうとう頭を抱えて項垂れてしまった。やりすぎたかな、と一瞬だけ反省しかけたが、これまで体力を絞り尽くされるような訓練を毎日課されてきた仕返しということにしておいた。
「アルエット。もし俺の想いが周知の事実だったとしても、黙っておいてほしい。俺が近衛騎士を目指したのは、エルシー様を傍で支えるためであって、恋を叶えるためじゃないから」
「……いいの、それで?」
切なげに細められた彼の切実な瞳に、見ているアルエットの心までが小さく軋んだ。だからつい、確認してしまった。
エルシーがサイラスを好きだという確信はない。けれど少なくとも、思い出を壊したくない、変わってしまったサイラスを見たくないと言うほどには大切に思っていた人だ。胸の内をひた隠しにしたまま、ただ一人の騎士として傍にいるだけというのはもったいない気がした。
幼馴染という特別な人として、エルシーを支えられる人になれる可能性をサイラスは秘めている。『絶対正義』に影響されたとしても、変わらないものを示すことさえできれば、彼は何よりもエルシーの希望になると思えたからだ。
「いいんだ。エルシー様の好きな人がシーニュだってことは……傍で見てればわかるからね」
「いや、それはないでしょ」
「え?」
サイラスの瞳に「なんでそんな即答できるの?」とありありと書かれている。アルエットはかなり本気で口を滑らせたことを後悔していた。
「俺は……エルシー様にとってシーニュが特別なのがわかるよ。『感情視認』で視えたわけではないけど、『絶対正義』が通じてない唯一の異性だったわけだし。むしろなんでアルエットは“それはない”って言い切れた?」
サイラスは恐らく、シーニュに『絶対正義』を反射された影響で熱っぽく依存するエルシーの姿を見て誤解した。けれど、エルシーの『絶対正義』が反射されているという事実は、シーニュと共に墓場まで持っていく約束をしている。
「確かに『絶対正義』が効いてないってのは特別かも。でもそれとこれとは別じゃない? シーニュって無愛想だし、口数少ないし? サイラスは話してて楽しいから! えっと、あと……そう。シーニュは仕事ではすごく頼りになるよね! だからエルシーも、ついつい頼っちゃうとこあるだけなんじゃないかなーって」
なんとかそれらしく理由をつけて説明したものの、サイラスは納得はしていないようだった。それどころか、少し呆れたように力なく笑った。
「アルエット。もう忘れてるのかもしれないけど、俺の加護は『感情視認』だよ。あなたは今……何かを隠したね」
ヒヤリと、ナイフを喉元に突きつけられたような心地がした。うっかりすっかり、サイラスの加護のことを失念していた。これはもう、どう答えても“詰み”かもしれない。
けれど、約束は守る。
もしここでサイラスの信頼を失っても、口を割るまで尋問や拷問にかけられることになったとしても、話す気はない。あくまでもアルエットの契約相手はシーニュだ。シーニュの依頼で騎士になり、ここにいるのだ。それを反故にするのなら、そもそもここにいる意味がない。去った方がマシだ。
「エルシー様が本当はシーニュが好きってこと、隠してる?」
「そうじゃない……けど、ごめん。根拠は話す気がない」
「……今の言葉に嘘はないみたいだね。仕方ない……わかったよ。俺もこれ以上は詮索しない」
想像以上にあっさりと引いてくれたことに驚きつつも、酷く安堵した。無意識に強張っていた全身の力が抜け、ふにゃふにゃとため息が漏れた。
「あはは、ホッとしてる。薄紫色に濁った靄が、クリーム色のふわふわになって視えるよ」
「そんなふうに視えてるんだ……モロバレじゃん……」
もうサイラスには考えてること全て読まれているような気がしてきて恥ずかしい。この恥ずかしいって感情すらもまた何らかの形で視えているのだろうと思うと消え入りたくなる。
「視る視ないを切り替えられたらいいんだけど、ままならなくてね。そこは申し訳ない」
「ううん、別にもういいよ。なんかサイラスが優しいし、一つ、エルシーのことで良いこと教えてあげる」
サイラスは、今もエルシーはシーニュのことが好きなのだと思っているのかもしれない。エルシーが幸せなら、自分の想いなどなかったことになって構わないと覚悟を決めているのかもしれない。
それでもエルシーの話題だと言えば、どうしても気になるらしい。ハッと冴えた若草色の瞳が、期待と真剣さを伴ってまっすぐアルエットに向けられている。
「エルシーは今もサイラスに、『エルシー』って呼ばれたがってるよ」
「……あなたが言うなら、それは本当なんだろうね」
サイラスは少しの間のあと、照れたように……小さな声で呟いた。期待と切なさを瞳の奥で抱きしめて、彼は懐かしさを滲ませて微笑んだ。
「アルエットは今を“余生”って言ったね。だったら今、あなたは何を気力にして生きてる?」
「気力とかそんな大層なものないよ。私は今日の、“今”この瞬間を後悔なく、楽しく生きたい。ただ、それだけ」
「そっか、聞かせてくれてありがとう。エルシー様が……いや、エルシーが……あなたとすぐに打ち解けた理由がわかる気がするよ」
サイラスがエルシーを『エルシー』と呼んだ。公の場で呼び捨てすることは、きっとない。けれど、もしこれから二人きりや隊長たちだけで会うときにそう呼んでくれるなら、エルシーは嬉しく思うだろう。変わってしまったサイラスとの関係が、一欠片元に戻ったのだと。
「そうだ、フレイヤから伝言を預かってたのを忘れるとこだった。食堂の終了時刻あたりに、もう一回薬を塗りに行くからよろしくって」
トレイに乗った食器を持ち上げながら、ふと思い出したようにサイラスは口にした。あまりにも聞きたくなさすぎた言葉に、思わず喉の奥が震える。
「嘘……あの痛いやつを……?」
「あっ、塗り薬は怖いんだね。アルエットが黒く霞んで視えるよ」
「嫌だッ!!! サイラス、フレイヤに断ってきて! 明日でいいって断ってきて!」
「うーん……医者の言うことはちゃんと聞こうな?」
アルエットの断末魔の叫びが自室内に響く。その悲鳴をサイラスだけが聞いていた。そうしてその数時間後、再びアルエットの部屋に元気な絶叫が響くことになった。




