第14話 肉を切らせて骨を断つ
任務を開始したその日に乱れの原因となっている穢れの地点をエルシーは割り出した。しかしこの任務で最も危険なのはここからなのだという。
土地の浄化を行う際、魔物は力場を守るために全力で抵抗し、全てが集まってくる。浄化のために無防備になるエルシーを死守しながらも、一人で数体相手取る覚悟で挑まなければならないほどの数になるのだとか。数を極力減らしてもそうだと言うのだから恐ろしい。
翌日、禍々しい黒い靄を放つ法陣のようなものがある場所へと全員で向かった。それは森の開けた場所にあり、これを取り除かなければ、周辺地域まで魔物であふれ返ってしまうらしい。法陣ということは人為的なものであり、浄化のあとは神官たちで調査が行われ、事件か事故かを調査する予定になっていた。
「では皆さん、これから浄化の儀を執り行います。よろしくお願いします」
穢れの原因が術式ならアルエットの『無効化』で一瞬で消せるのではないかと思ったが、説明を受けるともっと複雑なものであることがわかった。法陣の効力を無効化できても、穢れは残ってしまう。土地に染み込んだ穢れを効率良く祓うために法陣を入口として使い、浄化の力を流し込んで消滅させる方法を取るとエルシーは言っていた。
エルシーは広く聖域展開をした後、自分の周囲に強固な結界を張った。当然、どちらの結界もアルエットが触れれば無効化されるため、慎重に立ち回らなければならない。こういうとき、シーニュの攻撃のみにだけ反応する加護が便利そうで羨ましくなる。
「始祖エーテルよ、生ある大地を蝕む毒を祓う力を、我に授けたまえ──」
エルシーの祈りの言葉と共に、浄化の儀が始まる。禍々しい靄が薄くなり、黒みを帯びていた法陣が微かな光を放ち始める。その瞬間──臓腑を引きずり出されるような気味の悪い咆哮が、まるで地響きのように森全体を揺さぶった。
全方位から覆い被さるように重苦しい気配が一斉に押し寄せてくる。全身が粟立ち、体が震えそうになるのをこらえながらアルエットは短槍を握りしめた。
「ぅ……押し潰されそう……」
「敏感な君には耐え難い圧迫感だろうが、大丈夫だ。無理はせず、俺の傍で戦え」
「わ、わかった……」
傍らにいたシーニュは、ただ静かに“そのとき”を待っている。まるで会議室で誰かを待っているだけのような緊張感を感じない姿に、少しだけ心がほどけていく。いつの間にかガチガチに強張っていた体も柔らかくなり、訓練でやっていた通りに動けそうな気がした。
「アルエット、深追いは禁物だよ。あなたが取り逃がしても、必ず俺たちが仕留める。訓練を思い出して、絶対に焦らないように」
「サイラスも、ありがとう」
サイラスはこちらへ背を向け、前線の方へと離れていく。気配はもう目の前だった。
──来る。
森の木々の隙間から、一斉に魔物が飛び出す。同時に空が、夜のように暗く陰った。太陽も青空も、空中を飛ぶ無数の魔物の群れに覆い隠されていく。こんな量の魔物に敵うのか。数なんて、こちらと比較しようもないほどに桁違いなのに。
そんな恐怖も束の間、空に大きな風穴が空いた。巨大な氷の結晶のようなものが炸裂し、弾け、周辺の魔物を一掃する。そしてそこから、眩い陽光が降り注いだ。
魔術……これだけ大きな氷術は、シーニュのものだ。けれど魔術を使っているのはシーニュだけではない。全員、武器での攻撃だけでなく、魔術を利用して対応している。無効化のせいで魔力由来のものを一切使えないアルエットにとって、それは盲点のようなものだった。
魔術を使えないって、こんなに無力なんだ……けど──
無力さから弱気になった心を奮い立たせる。魔術を使うのは、何も人間だけではない。魔物もそれに類する魔力由来の力を使ってくる。
アルエットの傍まで抜けてきた魔物が、こちらへ襲いかかってくる。雷撃をまとって、まっすぐ突進してくる猪のような魔物の正面に立った。
「アルエット、避けろ! そのままだと雷撃で殺られるぞ!」
「大丈夫。雷撃は効かないから!」
騎士の誰かの声だったが、アルエットは動じなかった。アルエットは衝撃に備えて腰を屈め、強く足を踏みしめて突きの構えを取る。神経を研ぎ澄まし、短槍の先にまで『無効化』の力が行き渡るように意識する。
雷撃をまとう猪の魔物を正面から迎撃して短槍を突き出すと、猪の魔物は自ら、その穂先に突き刺さった。『無効化』の付与が上手くいったのか、まとっていた雷撃が虹色の霧に変わって霧散する。
勢いのまま後方へと少し押されたものの、短槍が中程まで突き刺さると魔物は絶命し、形を保てなくなって泥状の水たまりのような形になった。魔物に武器が突き刺さる感覚は想像していたよりも柔らかく、ずぶりと沈み込むような感触だった。
偶然かもだけど、ちゃんと倒せた……!
実力はみんなに比べて劣っているけど、なんとかギリギリついていけている。今日まで訓練を頑張ってきて良かったと、努力が小さな実を結んだことを噛み締めた。
しばらく戦闘が続き、アルエットも一体、二体と着実に魔物を撃破していた。魔物は撃破すると基本残骸は残らずに消えるようだったが、たまに手のひらくらいの小さな水たまりのような状態で残るものもあった。
浄化の儀も完成間近となり、魔物の攻撃はより一層苛烈さを増していく。後方で対応しているアルエットは体力的にまだ余裕があるが、大半は前線で対応し続けており、疲労の色も濃い。
「魔物の動きが妙だ。皆、最後まで警戒を怠るな!」
シーニュは何か違和感を感じたのか、騎士たちへ注意を促す。同時にアルエットは視界の端に黒く静かに蠢くものが見えたような気がして、視線を向けた。
撃破されて黒い水たまりのようになっていた魔物の残骸が、微かに動いた気がした。ハッとして自身の周囲を見渡すと、一つだけ傍にあったはずの残骸の水たまりが消えてなくなっていることに気づく。
アルエットは考えるより早く駆け出していた。小さな水たまりが大きく広がって波打ち、また微かに蠢く。やはり気のせいではなかった。そう思った瞬間、その水たまりが黒い狼のような形を取って飛び上がる。
その狼の魔物と背を向けている騎士の間に割って入るように、アルエットは間一髪滑り込んだ。飛びかかる魔物は腕を振り上げ、炎をまとわせる。その攻撃を左腕を犠牲に受け止めた。
「──っ……!」
炎を無効化する虹色の霧の中、魔物の爪が左腕に深く突き刺さる。同時に、逆手に持った短槍で魔物の腹を突き破り、爪は腕を抉りきる前に、体ごとボトボトと音を立てて落ちて消えた。
「アルエット! おい、その怪我……!?」
背後にいた騎士が魔物を薙ぎ払い、アルエットに近づこうとする魔物をへと矛先を変えて戦闘を継続する。
「平気、すぐ下がるから。私が怪我しても、元々大した戦力じゃないし、問題ないよ」
「馬鹿か! そういう意味じゃねぇ!」
邪魔にならないよう、血の止まらない腕を押さえながらエルシーのいる後方へと足早に下がろうとした。だが、その必要はなくなっていた。
浄化の儀が終了した途端、あれだけ押し寄せていた魔物がまるで幻のように影も形もなく、飛び散るようにして爆ぜ消えた。
何とか無事に終わってくれた。その安堵からホッと息が漏れ、地面にへたり込んだ。視線が下がると、血塗れになった左腕が目に留まる。
深く抉られた傷口からは赤黒い肉が見え、あふれ続ける血が指まで伝い、地面に小さな血溜まりを作っていく。止血しないとと思い、腰の小さなカバンを漁っていると、エルシーが血相を変えて飛んできた。
「アルエット……! すぐに怪我を」
「あ、待っ──」
怪我人を見たら治癒術で救う。エルシーの中では最早条件反射なのだろう。かざした手から淡く温かな光があふれる。けれど彼女の治癒術は腕に効果があるどころか、虹色の霧に変わって虚しく消えていくだけだった。
「そんな……『無効化』って、治癒術も効かないんですか……?」
「ごめん、言ってなかったっけ……止血してなんとかするから、私のことは気にしないで」
カバンから布を取り出し、口を使って引き裂く。傷口よりも心臓に近い部分を縛ろうとしたが、右手で持っていた布をエルシーに奪われた。
「縛ればいいんですね? わたくしがやります」
「ありがとう。その後は他に怪我人がいないか確認してね。布縛るのなんて誰でもできるし」
エルシーは返事を返してくれなかった。唇を噛み締めて、眉間にシワを寄せて、黙々と布でアルエットの腕を縛る。その間、沈黙が下り、誰一人言葉を口にする者はいなかった。
せっかく、仲良くなれてきたとこだったのにな。
突き刺さるような視線の気配に、少しだけ寂しい気持ちになった。治癒術が効かないなんて、アルエットの中では当たり前で、普通のことでしかない。
けれど、それをなぜか「神に見放された」と憐れまれてしまう。騎士の仲間たちからも、そんなふうに遠ざけられてしまうのだろうか。親しくなれても、気遣われるほどに弱い存在になってしまう。優しさが対等さを奪っていく関係に、これからなってしまうのかもしれない。それだけが、アルエットの胸を小さく苛んでいた。
その後、周辺に異常がないかを確認したシーニュとサイラスがアルエットのもとへと来た。どうやら大怪我なんてヘマをしたのは、アルエットだけらしかった。
「傍にいろって言われてたのに、ごめん。危ないって思ったら、つい体が動いちゃって……」
なんとか失態をごまかせないかと笑ってみたものの、二人とも険しい表情を崩さないままじっと押し黙っていた。こっ酷く叱られると思って覚悟はしていたが、何も言われないのも逆に怖い。
「早く病院へ行ったほうがいい。サイラス、君は先にアルエットと戻ってくれ。事後処理等は俺の方でやる」
「了解したよ。アルエット、立てる? 動けないなら背負ってくけど」
「いやいや、腕なんだから歩けるでしょ! サイラス、ボケちゃったー?」
冗談めかしながら立ち上がるアルエットの額を、シーニュが軽く小突く。突然のことに対応できず、小突かれた場所を反射的に両手で押さえようとして──左腕に奔る激痛に悶えた。
「冗談を言ってる場合ではない」
仕方なく右手でだけで額を押さえ、涙目で目を瞬かせながらシーニュを見る。淡々としているようで、いつになく厳しい視線が居心地悪く、思わず目を逸らした。
その後サイラスに連れられ、途中馬を連れてきてくれた騎士と合流した。そこで馬に乗せられ、アルエットは全速力でエメルフォードの病院へと運ばれることになった。




