第11話 干し肉とクッキーの共同戦線
初公務『祈赦の日』を無事に終えたアルエットは、自室へと戻っていた。夕食までの時間を持て余してしまい、なんとなく手持ち無沙汰でカーテンを開ける。アルエットの部屋はエルシーの住んでいる棟側に面しており、左側へ向くと少しだけ中庭も見えた。
眺めが良いというほどではないが、ここからなら万が一エルシーに何かあっても気づきやすいし駆けつけられる、と不謹慎なことが頭をよぎった。
いつ見ても慣れない、どっしりとした高級そうな執務机の引き出しから透明な水晶を取り出した。机の上に転がすと、水晶の中に淡く光が灯る。
これは初めてフィンチと加護の付与の訓練をした日にもらったものだ。この水晶は自然の中に漂う微細な魔力を集めて光を灯す。その光を手で触れることなく消す……つまり加護の力を集め、触れる以外の方法で無効化するための練習のための道具だった。
もらってから毎日欠かさずに練習してみてはいるが、まだ光を消せたことはない。いきなり遠隔での付与は難しいということで、まずはペンの端を持ち、その先で水晶に触れて光を消すという練習をしていた。
初公務で疲れているからと、大目に見て自室で休むことを許されたということはまだまだ半人前扱いなのだ。少しでも早く、力を物にしたい。夜休めば十分だと言い聞かせ、アルエットは椅子に腰かけてペンを握ると、水晶に先を触れさせた。
加護の、血が巡り流れていくような感覚。アルエットは手のひらに熱が集まってくるのを想像しながら、神経を研ぎ澄ます。灯っていた光が微かに弱くなり、ふるふると蝋燭の火のように揺らぐ。ふっと息を吐くと、集中が途切れたのか、水晶の光も元通りになっていた。
「初日よりは良くなってる。もう一度……」
アルエットは再び手のひらに力の流れを集め、ペンの先へと集中する。それを何度も、休憩をしながら繰り返していた。
* * *
コンコンと固いものを叩く音が聞こえ、ふと目を覚ます。室内はすっかり真っ暗になっており、眼前で水晶が淡く灯っている。どうやら練習中に居眠りしてしまったらしい。体を起こすと、コンコンと音を立てている何かが目に留まった。
「おわぁ!! なんでシーニュが!?」
コンコンと机を叩いていたのは彼の手で、月明かりに照らされたシーニュの顔が見えた。淡い金色の髪まで月光のように淡く輝き、夕闇の色の瞳がランタンの灯火のように柔らかに揺らめいたように見えた。
どこか幻想的で不思議な色に見入りそうになるのは、まだ頭が覚醒しきっていないからだろうか。眠気を振り払うようにアルエットは何度か目をこすり、頭を横に振った。
「……鍵もかけずに眠りこけるのは不用心ではないか?」
「か、返す言葉もない……」
シーニュの冷たい視線から逃げるように机から離れて明かりを点ける。パッと部屋全体が明るくなり、眩さに反射的に目を細めた。魔工学式の照明だが、田舎に流通しているものよりも最新式なのか明るさも段違いで、まるで一瞬にして朝が来たようだ。
「それよりなんでシーニュは私の部屋に?」
照明も点けずあんな起こし方をするなんて意地が悪い。不用心とまで言うなら気を使って部屋に入らないようにしたらどうなんだという文句を飲み込んだ。シーニュは相変わらず何を考えているのかわからない無表情のまま目を伏せ、少し考えているような素振りを見せてから口を開いた。
「ずいぶんと気持ち良さそうな寝顔だった。椅子の寝心地はそんなに良かったか?」
「う……最高だった……」
「なら、ベッドはもっと最高だろう。毎朝きちんと寝坊しないことを褒めてやらないといけないな」
「そんなの褒められて喜ぶのは子供だけでしょうよ……って、待って。私さ、なんでここにいるのか聞いてるんだけど?」
「それは俺が説明しなくても、伯父上からいただいた時計を見ればわかることだろう」
旅立つ前に伯父のモーガンが持たせてくれた懐中時計をアルエットは持っている。長年大切にしていたはずの懐中時計を、お守り代わりにと手渡されたものだった。
とりあえず言われるままに懐中時計を取り出して開くと、針は午後九時半すぎを指していた。記憶の最後が日が暮れる前であることから、かなり長い時間眠り込んでしまっていたらしい。
「あ、夕飯食べ損ねてる……」
食堂は九時までだ。明日の朝まで何も食べられないのだと気づいた瞬間、お腹が大きな音を立てて合唱を始める。
「時計を見て最初に思うのがそれか……聖騎士としての自覚が足らないようだが、就任したばかりの新人が初公務をやりきった日だ。今回は大目に見よう」
「くぅぅ〜……嫌味ぎっしりソーセージじゃん……」
羊の腸にミチミチに肉を詰めてソーセージを作るかの如く、シーニュは嫌味を詰め込んでくる。けれど、そこまで言われてようやく思い出したことがある。
『今日はエルシー様との茶会は休みだ。代わりに俺の執務室に来てほしい』
そう……今夜はシーニュの執務室へ行く予定になっていた。早めに任務から解放されたせいか、油断してすっぽりと忘れていた。
こんな形でシーニュに弱みを握られ……いや、勤勉なアルエットで通すつもりだったのに、一生の不覚……!
「う、すみません。不肖アルエット……いつでも行け……る……」
「ふむ、伯母上にいただいた干し肉を食べる時間くらいは待とう」
「そんなんもう残ってないよぉ。美味い美味いってシーニュが全部食べちゃったじゃん……忘れちゃった?」
トランチェレスティナへ来る道中、小腹が空いたときに干し肉を食べるついでに、シーニュに分けてあげたのがきっかけだった。シーニュの口に合ったのか干し肉の味を絶賛し始め、その後は「美味い」「酒があったら最高だな」「手が止まらない」などとほざきながら、あっという間に食べ尽くされてしまったのだ。
まさか騎士団長ともあろうお方が、こんなに意地汚いとは思いもしなかった……!
「二種類あったがどちらも本当に美味かった。片方は牛肉だったがもう片方はなんの肉だ? 変なクセはないが、少し野性味を感じる風味があった気がするが」
「私が狩った猪の肉。せっかくリタおばさんが干し肉にしてくれたのに……」
「なるほど、猪肉か。それにしても塩加減と旨味、燻製の香ばしさ……どれを取っても素晴らしかった。代金も輸送費も支払うからこちらへ送ってほしいくらいだ」
「わかった、そこまで絶賛してくれるんなら次の手紙の返事にでも書いとく。騎士団長様は食い意地が張ってて、大変意地汚なかったってね」
「是非とも頼む」
話聞いてたのか、と悪態をつきたくなるほどのあっさりした返事だ。干し肉さえ手に入れば体面なんかどうでも良いのか。良いんだろうな。涼しい澄ました顔をしているが、食い意地で恥も外聞も吹っ飛んでしまったのだ。間違いない。
「さて、干し肉もないなら俺の執務室へ。話をするから場所を変えよう」
干し肉の件で忘れかけていたが、寝坊したことを厳しい罰やお咎めもなく今回は見逃してくれた。けれど、これに甘んじるわけにはいかない。裏口入隊とはいえ、きちんと近衛騎士なのだという自覚を持たなければと頬を叩き、アルエットは身を引き締めた。
シーニュの後に続き、一階の廊下を歩く。彼の私室は一階の最奥にあるようで、他の近衛騎士隊長たちの気配もほとんど感じられず静かだ。部屋へと通されると執務机の前に備えつけられたソファへ座るように促される。
「クッキーが余ってるから、良かったら食べるといい」
「うわぁ〜! 美味しそ……じゃなくて、ありがとう。命拾いしたよ! ってこれ、もしかしてチョコレート入ってる!?」
お腹が空いて空いてヘロヘロだったので、クッキーはかなりありがたい。ローテーブルに置かれた小さなバスケットに入っていたのはプレーン味にチョコチップが混ぜてあり、見た瞬間に顔がニヤけてしまう。
クッキーを一口かじるとホロリと優しく崩れ、口いっぱいに甘さとチョコレートの香りが広がっていく。美味しすぎてふわふわと幸せな気分になった。
田舎ではチョコレートなんて滅多に手に入らないし、砂糖も高価なため、ここまで惜しみなく使って作られることはなかった。酪農でバターは潤沢にあるおかげで、クッキー自体は珍しいものではないが、こんなに甘く高級感たっぷりに仕上げたものを口にする機会は早々ない。
少々卑しいが、もう食べないというなら根こそぎ部屋に持って帰りたいくらいだ。
「食べながらで構わないから、しっかり聞くように」
「はい……!」
シーニュの表情が、改まった真剣なものへと変わる。どこか追い詰められているような切実さを内包している印象を抱いた。にわかに室内の空気がピリピリとするような緊張感を帯び、クッキーを片手に持ったままアルエットも姿勢を正した。
「ここから先の話は近衛騎士隊長でも知らない話だ。協力してくれている君を信じ、俺も相応の覚悟で話す。これから先、死ぬまで他言してはならない機密だと心得てほしい」
「おおぉ……わ、わかった……」
わかったが、死ぬまでってえらく長いな……と思う。別にわざわざ言いふらしたいとも思わないので、死ぬまで他言できなくてもたぶん問題はないが。
それにしてもシーニュにここまで言わせるほどの内容とは一体何なのだろうか。死んでも他言するなという意味なのだから、やはり尋常じゃない。重々しい空気に気圧され、思わずクッキーを食べる手すら止まっていた。そのままシーニュの言葉を待っていたが、彼はなかなか話し出そうとはしなかった。
「どうしたの? 話は?」
話すと言ったものの、シーニュは少し躊躇っているようにも見えた。本当に話して良いものかを見定めようとしているような、迷っているような、そして微かに怯えのような感情が混じっているような気がした。
それは重要機密過ぎて口に出すのが憚られるというよりは、単に心情として他人に話しにくい内容なのだろうと直感で思う。こうして見ていると表情こそ決して豊かではないが、ほんのりと表に出てくるものはきちんとあるのだと感じられた。
とりあえず待っているだけというのもアレなので、話をしやすくするために何が原因なのかを自分なりに考えてみることにした。この一週間での情報を整理していると、今日聞いたばかりの言葉をふと思い出した。
『シーニュ殿はいろいろなことを一人で抱えていますから、どうか支えてあげてください』
夕方、メサンジュから言われたばかりの言葉だった。アルエットが来るまで、エルシーの『絶対正義』の影響を受けずにいられたのはシーニュだけだった。あんなふうに周囲が歪み、エルシーが一人苦しむ中で支えてきたのは、他でもないシーニュだろう。
「シーニュはさ、ずっと一人で頑張ってきたんだね」
「え……」
「『絶対正義』の話だって、私が来るまでは隊長の誰にも言ってなかったでしょ。今話そうとしてることも、一人で抱えてきたことなんだろうなって。話しにくい理由も……わからなくもないよ。説明したってなかなかみんなに伝わってくれないし、私に打ち明けても理解されないかもしれない。そりゃ、話しにくくもなるよなーって」
シーニュのそれまでの真剣な表情がフッと崩れ、安堵したように目を伏せる。その後大きく息を吸い、肩の力を抜くように静かにゆっくりと吐きだした。
「でも私はシーニュの本当の同僚でも友達でもない。ただ、契約でここにいるだけ。全て解決できたらさよならできる、後腐れのない存在だってこと、忘れないで」
任務を共にする仲間たちにすら話せないほどの“何か”をアルエットはまだ知らない。親しいからこそ言いにくいことや言えないことがあるのは、アルエット自身にも経験があるからわかる。その場限りの相手だからこそ話せることだって、きっとあるはずだ。
親しくなって築かれていく信頼があるのなら、ただの契約関係だからこそ生まれる信頼もあるのではないだろうか。情を介さない関係は淡白かもしれないが、関係ごと切り捨ててしまえる安心感がある。
それは関係を継続しようと思うからこそ生まれる臆病さも同時に捨てられる。互いに胸に秘めたまま疎遠になってしまえば、話した事実すら誰も知り得ない闇へと沈むのだから。
「って、言っても本当に契約とか約束を守る人間かどうかの見極めは必要だよね。焦らなくても、私のこと信用できたらでいいと思うんだけど?」
言いたいことを言い終わり、クッキーを一つ摘んで一口で食べる。話すか帰されるか返事を待つ間に食べられるだけ食べておこうと、飲みこむ前に更にクッキーへと手を伸ばす。小さく息が漏れるような笑い声が聞こえ、クッキーの入ったバスケットから視線を上げた。
「今の言葉で決心がついた」
シーニュは柔らかく微笑んでいた。それは今までに見たぎこちない微笑みよりも少し力が抜けているような、それでいて少し自信のなさそうな弱気なものにも見えた。シーニュは私の正面のソファへと腰掛けると、一枚クッキーを摘んで食べる。
「頬袋みたいになってるな。これは俺が焼いたクッキーだったんだが、お気に召したようで何より」
「……!?」
「これで干し肉の件はおあいこということだ」
「……!!」
行儀悪く口いっぱいに頬張っていたせいで声が出ない。まさか手作りだとは思わなかった。美味しい……売り物にしても良いんじゃないかと思うくらいに美味しかった。
ぜひまた焼いてほしい。焼いてくれるなら干し肉のことは水に流すし、手紙の内容も別の言葉に変えてあげようと思い直した。




