表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『絶対正義』の聖女は救われたい  作者: まな板のいわし
第3章 『絶対正義』の歪み
10/22

第10話 まやかしはやがて真実へ

「それは……わたくしが聖女になった瞬間に、人間ではなくなったと言いたいのですか?」


 エルシーの言葉が切なさと空虚を伴って、ロンディネへと向けられる。けれどロンディネは特に動揺した様子もなく、夕日よりも紅い瞳は冷静にエルシーを見つめていた。


「それは誤解ですわ。ただ、聖女という存在は、普通の人々とは一線を画していると言いたかっただけですの。実際、エルシー様は誰にも扱うことのできない『聖属性』の力をお持ちでいらっしゃいますわ。あなたが人間なのはあたくしもわかっております。けれど……比べものにならないほどに特別なんですもの。同じというわけには参りませんわ」


 エルシーの思う“聖女と人間”と“理想”。ロンディネの思う“聖女と人間”と“理想”。その価値観が絶望的に噛み合っていない。


 ピリッと張り詰めた空気の中、シーニュは静かにため息を零した。それは呆れでも苛立ちでもなく、もっと淡々とした、空気を静かに吹き流していくものであった。


「エルシー様もロンディネも、間違ってはない。互いに思い描く理想が違うだけだ。だが、ロンディネは少しエルシー様の心に寄り添うようにしてほしい。『絶対正義』を和らげ、過剰な信仰心に歯止めをかけたい」

「なるほど、そういうことですのね。わかりましたわ」


 ロンディネは確かに間違ってはいないが、それを許容していれば現状が変わらないのも事実だ。この異様な狂信を止め、エルシーの本当の姿が届くようにするには、一つずつ紐解いていかなければならない。ロンディネの納得がその一歩になるよう、アルエットは祈るような思いだった。


「シーニュ……! ありがとう……やっぱりあなたは、いつもわたくしたちを正しい方へと導いてくれますね」

「……俺は自分の考えを口にしてるだけだが」


 安堵したような笑みで、エルシーは熱っぽく瞳を潤ませてシーニュへと感謝していた。けれどその瞳が、それだけではないような……ほんの僅かな違和感がある。それを言い表す言葉は見つからず、黙ったまま飲み込む以外になかった。


「アルエット、初公務の感想は?」

「え? うーん……強烈! こんなの毎回浴びて、よく正気でいられるねぇ!」


 シーニュに問われ、率直に答えることにした。最初の『祈赦(きしゃ)の儀』から個別診療まで、全部狂気じみていた。


 落ち着いていて、人の心がわからないわけでもないロンディネでさえ、エルシーの心に寄り添うことをしない。聖女近衛騎士の隊長が、エルシーの心を蔑ろにしていることに気づかず、盲目的に『聖女像』を語るのはおかしいと感じていた。


「おかしくなりそうだからアルエットを招いたんだろう。わざわざ傷口に塩を塗り込むような言い方を選ぶとは……君自身の正気を疑いたくなるな」

「えー、じゃあなんて言えばいいわけ? みんな救われて幸せそうだし、大成功だったね! とか?」

「誰が皮肉で返せと言った。言い方を考えるべき、という意味に決まっているだろう」

「シーニュの言い方も、なーんか回りくどいよねぇ。他人(ひと)のこと言えないと思うけど」


 言い方を考えた結果この回りくどさを招いているなら、率直に答えてしまった方が面倒な行き違いもなくていい。それに感想なのだから、感じたままに答えるのが筋というものだろう。


「てか、いいの? ケチつけるなら、私の貴重な意見……財布の紐みたいに固〜く締めちゃうよ?」

「アルエットの考えは間違っていません。これからも素直に話してください」

「ありがと、エルシー。だってさ、シーニュ」


 エルシーを味方につけ、勝ち誇ってシーニュを見据えると、彼は肩を竦めて小さなため息をついた。そんな冗談とも本気ともつかないやり取りの中、ロンディネだけがじっと思考に耽っていた。


「……ここではあたくしの考えが少数派ということですわね。エルシー様は『祈赦の儀』を成功させ、人々のために祈り、赦しを与えたのですもの……これだけ厚く感謝されるのは当然のことではありませんの?」


 アルエットたち三人の反応が納得できないのか、ロンディネは疑問をひとりごとのように口にした。ロンディネの言葉は、言葉の範囲だけでは間違いがない。けれど、そもそもの“前提”が間違っているのだ。


「ロンディネ……わたくしは“皆さんと共に祈っただけ”です。私が赦したわけでもないし、治癒術を施しただけで奇跡だって起こしていません。『絶対正義』の力は、わたくしを必要以上に尊いものにしてしまう……それだけのことなんです」

「言われてみれば確かに、赦しは始祖エーテルより与えられるもので、エルシー様は祈っただけですわね……どうしてあたくしはそんなふうに拡大解釈するようになってしまったのかしら……」

「自身の中にある感情や考え、価値観を疑うことは容易ではないからな」


 祈っただけなのに、神としての赦しを与えた。治癒術を施しただけなのに、誰にも成し得ない奇跡を起こした。したことありのままではなく、拡大された功績が、あたかも本当にエルシーがやったことであると信じ込まれてしまう。


 そうして人々に共有され、真実となったまやかしを誰もが信じ、疑えない。誰もおかしいと気づけないからこそ、その熱狂ぶりにエルシーは孤立して追い詰められていくのだ。


「えぇ。『絶対正義』の話を聞いてから、感情と事実を分けて考えるように意識してはいますのよ? けれど、一人で気づくのにはやはり限界がありますわね。こうして指摘されるのが一番理解しやすいですわ。アルエットの考えは、逐一共有した方が良いとあたくしから提案させていただきますわ」

「そうだな。サイラスやフィンチにも後で共有しておこう」


 会話が一段落したとき、外から微かに何かの気配が近づいてくるのを察知した。それはやがて足音だとわかり、小部屋の方へと近づいてくる。


「誰か来るね」

「君、なかなか良い勘を持っているな」

「まぁね。狼を警戒して動物の気配には気を配ってたし、狩りの真似事もさせてもらってたから、聴力と視力は結構自信あるよ」

「野生の勘ということですわね」


 軽く言葉を交わすうちに、小部屋の前で足音が止まる。小さく扉がノックされ、エルシーは入室を許可した。


 部屋に入ってきた人物は二人。一人は白髪混じりの栗色の髪に、藤色の瞳をした男性……『祈赦(きしゃ)の儀』で最初に挨拶をしていた大司教のコルモランだ。もう一人はアルエットたちと同年代くらいの若い男性で、栗色の髪に水色の瞳をしている。服装から、彼も神官であることがわかった。


「本日もお疲れ様でした、エルシー様」

「えぇ。コルモラン大司教も、メサンジュもお疲れ様でした」

「それでそちらが──」


 挨拶も早々に、コルモランの視線がアルエットへと向く。柔和な笑顔ではあるが、その瞳の奥に困った子供を見るような感情が見え隠れしている。


「シーニュ騎士団長が選任したという新人の騎士殿ですかな?」

「そうです。彼女に何かご用が?」


 アルエットが答えるよりも早く、シーニュは庇うように一歩コルモランの方へと進み出る。コルモランはシーニュの警戒を察したのか、感情の色を沈め、静かに首を振った。


「騎士団長補佐ともなれば、我々と関わることもあると思ってな。いつもの挨拶のついでにと思っただけのことだ。名前くらいはシーニュたちから聞いているかもしれないが……私は大司教を務めさせてもらっている、コルモラン・ヒパティカ・パーンだ。こっちが……」

「父上、自己紹介くらい自分でさせてください」

「おぉ、悪かったな」


 先程の困ったものを見るような雰囲気は全くなく、むしろどこか人懐っこい表情に変わったことに戸惑う。どちらを信じていいのかと迷ううちに、もう一人の男性が自己紹介を始めた。


「コルモランの息子で司祭長を務めている、メサンジュ・エキザカム・パーンと申します」

 同じ髪色をし、どこか似た雰囲気の柔らかな笑みに、メサンジュがコルモランの血を色濃く引いていることがわかる。二人とも物腰が柔らかく丁寧で、少しだけ緊張してしまう。


「アルエット・カルミア・スティーリア。シュネーノルディア王国のロートヴィルから……来てて……えっと、家は畜産農家やってます」

「ほぉ、カルミア。意味は『大きな希望』。良い霊名を授かりましたな」

「おぁ……そ、そうなんだ。聞いたことなくて、知らなかった……」


 エーテル教では十歳になると霊名を授かる、『祝福の儀』というものを皆が受ける。それ以降は、霊名を名前と姓の間に入れて名乗るようになるのだ。


 かつて世界が瘴気に覆われ滅びを迎えようとしたとき、始祖エーテルは世界中に生命の息吹を吹き込んでそれを祓った。そのときに世界を覆い尽くしたのが草花や木々であったと言い伝えられている。その言い伝えから、霊名として花の名前をもらうことで神の祝福を一欠片授かるという儀礼が誕生したのだと聞いたことがあった。


 アルエットも十歳の誕生日を迎え、『カルミア』の霊名を授かった。けれどその意味を両親に尋ねようと思いつくよりも早く……『オヴィス村の悲劇』は起きてしまったのだ。


「あの、教えてくれてありがとう」

「礼を言われるほどのことでもない。それより、あなたはまだここに慣れていない。困ったことがあれば、周りを頼るようになさい」


 お礼を言いながら頭を下げると、コルモランは目元を緩めながら、ポンとアルエットの頭を撫でた。まるで幼い孫にそうするような慈しみを感じる手つきで、気恥ずかしくなる。もう二十歳の立派な大人だというのに。


「では私はこれでお暇しようかね」

「父上、私は少し彼らと話してから参ります」

「ふむ……わかった。それでは失礼する」


 コルモランは頭を軽く下げ、部屋を後にした。息子と名乗ったメサンジュだけが残り、改まった様子でこちらに向き直る。


「すみません……父上はあまり、アルエット殿が騎士になることに賛成していないのです」

「ぅ……やっぱり。そんな気がしてた……」


 最初の眼差しはやはり気のせいではなかったのだ。あんなに親切に笑顔で接してくれたのに。大司教、恐るべし……人間不信になりそうだ。


「あっ、誤解しないでいただきたいのは、敵意のようなものではないということです。騎士をしていると、やはり荒事を避けては通れません。田舎で穏やかに暮らしていた君が、深く傷つくことになってはいけないと度々口にしておられたので」

「そ、そっか。はぁ……ちょっとホッとした……」

「私はもちろん、シーニュ殿からあなたの必要性を伺い、理解しております。シーニュ殿はいろいろなことを一人で抱えていますから、どうか支えてあげてください」

「えっと、頑張ります……?」

「えぇ。父上には私からもよくよく伝えておきます」


 メサンジュは一つ頷くと、朗らかに笑った。コルモランもメサンジュも、近衛騎士たちのように優しそうで、ようやく一息つけそうだと思えた。


「では、私もこれで失礼いたします」


 パタンと音を立てて扉が閉まり、ゆっくりと足音は遠ざかっていく。まるでそれに合わせるように、アルエットの中からシューッと空気が抜けていった。


「な、なんかよくわからないけど……緊張した……」

「ふふ、コルモラン大司教もメサンジュも、わたくしが聖女になったばかりの頃から気にかけてくれていた人たちなんです。親切で優しい人たちですから、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」


 これまでのアルエットの世界は聖騎士団だけだったが、エルシー自体は教会の人間だ。聖騎士団だけでなく、神官側とも関わりが深い。


 けれどその最高責任者であるコルモランと、その息子であるメサンジュに敵意はなさそうで安堵する。ようやく自分の存在が、教会という場所に根を下ろし、馴染み始めている。そう思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ