3-1. 巨大なハロー効果と「虚像のプリンス」
費禕が植え付けた「現状維持バイアス」と、譙周が理論武装した「益州派の敗北主義」。この内向きに澱んだ宮廷の空気を一身に吸い込み、国家の舵取りという最も過酷な任務の頂点に、突如として一人の青年が舞い降りる。
諸葛瞻、字は思遠。建国の最大の功労者であり、神格化された丞相・諸葛亮の実子である。
後世の講談や『三国志演義』、そして一部の歴史ファンにおいてすら、彼は「綿竹で国難に殉じた悲劇の忠臣」として美化して語られることが多い。しかし、マクロな国家運営と政治力学の視点から彼の足跡を追えば、彼が実態の伴わない「虚像のプリンス」であり、その無知と権力欲が蜀漢の自己崩壊を決定づけたことが明確に浮かび上がる。
諸葛瞻の政治的基盤の異常さは、陳寿の『蜀書』諸葛瞻伝に記録された、当時の成都における「異様な熱狂」の描写に如実に表れている。
「瞻工書畫、強識記、蜀人追思亮、咸愛其才敏。毎朝廷有一善政佳事、雖非瞻所建倡、百姓皆傳相告曰:葛侯之所為也。是以美聲溢譽、有過其實。」
(諸葛瞻は書画に巧みで、記憶力が良かった。蜀の民は諸葛亮を追慕しており、皆その才能の聡敏さを愛した。朝廷に一つでも良い政治や素晴らしい出来事があるたびに、それが諸葛瞻の建策したものでなくとも、民衆は皆「これは諸葛公(諸葛瞻)がなさったことだ」と語り伝えた。このため、その美声や過剰な称誉は、彼の実態を遥かに超えるものであった)
陳寿はここで、極めて冷酷に事実を突きつけている。諸葛瞻の名声は、彼自身が成し遂げた政治的・軍事的実績によるものではない。父・諸葛亮への強烈な追慕という民衆の集団心理が作り上げた、巨大な「ハロー効果(後光効果)」による錯覚であった。彼は何か一つでも泥に塗れた実務をこなしたわけでも、前線で魏の脅威を退けたわけでもない。ただ「書画が得意で記憶力の良い、丞相の息子」であるというだけで、あらゆる善政の功績を自動的に吸収するブラックホールの中心に置かれたのである。
この「実態を伴わない熱狂」は、平時におけるアイドルの消費であれば無害である。しかし、ここは圧倒的な国力差を持つ敵国と対峙する非常時の国家である。
蔣琬は、秦嶺山脈の地形と格闘し、水路という新たな兵站網を構築する「血の滲むような実務経験」を持っていた。費禕でさえ、諸葛亮の存命時から外交や軍事の最前線で激しい交渉と調整の修羅場をくぐり抜けてきている。そして姜維は言うまでもなく、生死の境を彷徨う前線で魏の精鋭と刃を交え続けていた。
対する諸葛瞻は、こうした「国家運営の泥臭い手触り」や「戦場の冷酷な現実」を一切知らないまま、温室の中で純粋培養された。そして、周囲が勝手に作り上げた「諸葛亮の再来」という神輿の上に、何の疑いもなく座り込んだのである。
実務経験ゼロのまま、人気投票だけで最高権力者に祭り上げられた政治家が、一体どのような行動原理で動くのか。
それは「大衆迎合」である。自身の政治的基盤が「民衆からの過剰な愛と期待」のみで成立している以上、彼は大衆が嫌がる痛みを伴う政策を打つことができない。
蜀漢の絶対国是である「討賊(北伐)」は、益州の民衆に対して重税と兵役という強烈な「痛み」を要求する。諸葛亮や蔣琬、姜維は、大衆から恨まれ、批判されることを承知の上で、国家というシステムを生存させるために冷徹にその痛みを強要した。
しかし、大衆の人気を己の存在価値とする諸葛瞻に、その覚悟はない。彼が民衆の期待を裏切らず、自身の権力を維持するためには、大衆が最も喜ぶ選択肢――すなわち「戦争をやめて、益州で平和に暮らす」という益州派の敗北主義に同調するしか道はなかったのである。
かくして、父・諸葛亮が命を削って維持した「漢室復興・討賊」という強烈なイデオロギーは、実の息子である諸葛瞻の「保身と人気取り」のために、完全に解体されていくことになる。彼にとって前線で戦い続ける姜維は、もはや国家の盾ではなく、自身の人気と「平和な益州」を脅かす最も目障りな政敵へと変貌していったのだ。




