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クラウディ  作者: 蕃茉莉
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第三章 雲と太陽 八:蒼穹(二)

 八月十八日六時○二分。テストを繰り返し、安全と安定を確認したサラディンは、本格的に「ナユタ」を始動させた。

 外は、雨。

「公開されている紫外線の観測状況を見ると、オゾン層はかなり広がっている。雲が消えてもUV―Cスペクトラムが一以下になる地点は、雲が晴れる」

「どのくらいかかる」

「相互通信とオゾン層チェック、それからの発雲停止。計算では二時間くらいなんだが」

「そんなに早いのか」

 グリアンは舌を巻いた。

「うまくいけばここも雲が晴れるはずだ」

 栄養補助剤を口にしている間も、サラディンはモニターから目を離さない。脳裏に、ちいさなナユタの顔が浮かぶ。サラディンは、ナユタにふたつ、嘘をついた。ひとつは自分の役目を偽ったこと。もうひとつは、オマールとサムスンが自分の役目を知っていることを隠したこと。ナユタにあてた手紙に、サラディンは「青空をとり戻しに行く」と書いた。それが、三つ目の嘘になるか、ならないか。

 一時間半が経過した。気圧計はまだ九○○hpa台を示しているが、降水量は減っている。

「雨があがるかな」

 そう言って外部モニターに目をやったグリアンが、凍り付いた。

 厚い雲の下にいくつものちいさな黒い点。それが、近づいてくる。

「サラディン」

 顔をあげたサラディンの前で、その黒点はすでに戦闘機の形になりはじめていた。

「通信情報が洩れていたのか」

 敵がこの場所を攻撃してきたということは、ここがクラウディをハッキングする拠点になっていることが知られたということだ。そうなると、ここをこのまま残すわけにはいかない。クラウディシステムの停止と起動を行うシステムが敵の手に渡ったら、元の木阿弥。クラウディがナユタからの指令を受けて動作を開始したら、装置を破壊しなくてはならなくなった。

「このあとシステムに出す指示はあるのか」

「ある」

 サラディンは苦い顔になった。

「すべてのクラウディの交流が整ったら、最後にここから発雲停止指示を出すことになっている」

「それは、難しいのか」

「スイッチひとつだ。だが今から自動化するのは時間がない」

 サラディンが苦しそうにうめいた。

「チェックを厳格にしたのが裏目に出た」

「スイッチはどれだ」

 サラディンは、管制機の右寄りにあるギアを指さした。グリアンがサラディンを見た。

「俺が残る。操作方法を教えてくれ」

「だめだ。一緒に逃げるんだ」

「もちろん、間に合えばそうしたい。間に合うか」

 サラディンは言葉に詰まった。

「ぎりぎりだな」

 システムは淡々と役目をこなしている。モニターが動き、オゾン層の確認が終わったこと、クラウディを停止させるシステムが準備に入ったことを表示した。

「もうじきだと思うが」

「間に合うか」

「微妙だな」

 グリアンが顔を上げた。すでに遠くから航空機の唸る音が聞こえている。

「サラディンはもう出たほうがいい」

「だが」

「言っておくが、これは麗しい譲り合いなんかじゃない。あんたがいなかったら、俺たちはもう、続きのシナリオが描けないんだ。だから頼む。一刻も早く逃げてくれ。頼む」

 無事雲が晴れればそれでいい。だが、もし失敗したら、再度別の場所に設備を用意して、改訂したプログラムを始動させなくてはならない。それができるのは、サラディン――ダーシャ・ノルマンと、グエンだけだ。それはサラディンにもわかった。苦い表情のまま、サラディンがうなずく。

「わかった」

 そして、サラディンはギアの隣のちいさなモニターを指さした。

「クラウディとナユタの――ここのシステムの相互確認が終わったらモニターが動く。最後に=‘Y’が示されたら、このギアを下げてくれ。クラウディに最後の指示を出して、この基地の役目は終わる。もし、=‘N’だったら、なにもせず、管制室を破壊して逃げてくれ」

 言いながらも、サラディンはモニターを凝視し続ける。だがモニターは動かない。壁面のモニターに、古代の飛行恐竜のように遠くを旋回する攻撃機の姿が見え隠れする。サラディンは操作盤の足元にあるちいさな扉のロックを解除した。

「このボタンを押すと、60秒で管制室が爆発する」

「わかった」

 グリアンがうなずく。

「サラディンはもう早く逃げてくれ。俺が集中できない」

「うん」

 すまん、と、振り絞るような声とともに、サラディンは脱出口へ向かって走った。残されたグリアンは、時計を見た。七時四十二分。秒表示を見ながら数を数える。ノルマンの計算通りなら、もうじきプログラムが動くはずだ。

「一、二、三」

 自分でも呆れるほど冷静だ、とグリアンは思った。死の恐怖を感じないのは、自分はやはり人としてなにかが欠けているのか。

「十三、十四、十五」

 グエンとサラディンのかわした「ご安全に」という言葉が、脈絡もなく脳裏によみがえった。現場での慣用句。あれも祈りだな、と思った。ひとは、そうやって知らない間に祈りを捧げる。なんのために。

「四十一、四十二、四十三」

 非常ゲートが開いたことをアラームが知らせる。小さな監視モニターに車が出ていく様子が映った。

「逃げ切ってくれよ」

 外部モニターの端に見え隠れしていた戦闘機の影が大きくなり、一気に轟音が頭上に迫ってきた。

「六十九、ぎりぎりだな、七十」

 頭上でがらがらとシールド壁が崩れ落ちる音。ぱらぱらぱら、と銃弾が弾ける音。モニターはまだ動かないが、計器ランプの明滅が早くなった。

「八十一、八十二、八十三」

 背後で爆音がし、細かな天井壁のかけらが落ちてくる。グリアンの脳裏に、イディの絵が浮かんだ。青い空を背景に、木々の葉の間から煌めく陽光。誰かがその光を見上げている。ミサキ。

ミサキ、お前に太陽を見せたい。太陽祭とは異なる、ほんとうの空を。これは、祈りだろうか。いいや、俺は祈りなんて信じない。これは願いだ。だが、祈りと願いの違いはなんだろう。

 モニターのプログラムが大きくスクロールし、ギア右側のランプがグリーンに変わった。

 =‘Y’

「さすがだぜ、ミスター・ノルマン」

 グリアンの頬に笑みが浮かんだ。

「よし」

 ギアを下げる。そしてグリアンは――リョウは、バイ、とつぶやくと、足元の赤いスイッチを押して、身を翻した。管制室のドアを開いて廊下に走り出た瞬間、だが突然膝が折れて、身体に力が入らなくなった。

「ガスか」

 やられた、と思う間もなく、意識が遠のいていく。ミサキ、とつぶやいた声は、もう声にならない。


 愛してる。太陽はお前のものだ。生まれ変わったら、俺はもっと――



 基地を脱出したサラディンは、北東に見えるビュートに向かって車を疾走させた。追ってくる戦闘機はない。背後から轟音が響き、車に向かって爆風が押し寄せる。ビュートの影に車を滑り込ませると、サラディンは車から飛び降りて基地を振り返った。戦闘機が爆風で横倒しになっている。

「グリアン」

 声が震える。いつしか雨が止んでいた。見上げれば、空が明るくなっている。

「来るか」

 そして、東の雲の隙間から、陽光が梯子のように降りてきた。

「成功だ」

 つぶやいたサラディンの耳に、はるか遠くから、車が荒れ地を削る音が聞こえてきた。身を隠そうと車に向かった瞬間、胸を拳で突かれたような衝撃とともに、サラディンは平衡感覚を失った。衝撃は、二回、三回と胸郭を突き抜けた。ぐらりとゆれた身体は、いったんビュートにぶつかって、弾かれるように砂の上に倒れる。

 血潮に砂が染まる。耐えがたい苦痛と全身の乾きに喘ぎながら仰臥したサラディンの目に映ったのは、蒼天と、そして七色のアーチ。

 あれが、虹か。

 誰かが遠くで叫んでいる。


 ナユタ、見えるか。虹だ。オーロラは、自分で探せ。お前の、旅は


 息が吸えなくなった。


 これから

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