第一章 ニッポン 二:ハルト(二)
年明け早々に病院を出て、ハルトの農場暮らしが始まった。
ササヤマ家は、世帯主のタカシ、妻のアカリ、夫妻の孫のスズキナツミの三人暮らし。農場経営とアパートの家賃収入で生計をたてている。農場に雇われているのがハルトひとりだったこともあってか、一家は次第にハルトを家族のように扱うようになった。アカリはいつも仕事帰りに手料理を持たせ、今年小学六年生のナツミは学校で習った勉強を教える。この学びが、たいそうハルトの役に立った。
十カ月たった今、ハルトは農場の仕事をほとんどこなし、会話も滞りなくできるようになっている。この世界のことも、ナツミに教えてもらいながら理解できるようになってきた。そのかわりに元の記憶が曖昧になることが不安で、ハルトはナツミから教えてもらった文字を使い、ノートにできるだけ多くの違和感を書きとめた。
元の世界に戻ることは難しいのかもしれない、と感じている。それでも、ハルトは自分の脳裏にある記憶をとどめておきたかった。それを喪うことは、人生の一部を喪失することに等しいような気がしたからだ。
「おまたせ」
レタスの出荷を終えて、ハルトは人口太陽光の下で本を読んでいたナツミに声をかけた。
「今日は何を教えてくれるの」
ナツミは、嬉しそうにタブレットを閉じて、紙の教科書を手にとった。
「今日はね、紫外線のこと。紫外線に三種類あるのは知ってる?」
「わからないな」
この世界には、地球を紫外線から守るオゾン層がない。二千年ほど前から少しずつ減少していたオゾン層が、約千年前、完全に消失した。人類がCFCなどのフロン類を大量に排出したせいとも、彗星が衝突したせいとも言われているが、本当のところはわかっていない。
オゾン層消失の前後の記録は、いまだに世界のどこからも見つかっていない。「人類史のミッシング・リング」のひとつだ。それより古い記録は紙媒体によって保存されていたが、AD二千年から三千年ころには電子データでの保存が主流となっていたことが原因だと言われている。
推定AD二千五百年前後。強烈に降り注いだ紫外線の影響で、人々はおそらくほぼ突然、外に出ることができなくなった。生産活動は完全に破綻。人類の多くが餓死、あるいは紫外線によって病死した。電子データを保存するためのバックアップクラウドや、そもそも電力を作るなどの活動ができなくなり、大量のデータが損壊、消失してしまったらしい。
ハルトは、そういう知識をナツミから得た。小学校の理科や社会は、気象と紫外線についての項目がほとんどを占めている。生死にかかわる基本的な事柄だからだろう。
「紫外線には、UV―AとUV―B、UV―Cがあってね」
ナツミは、教科書の図を示した。学習や読書はほとんどタブレットを使うが、教科書は紙製だ。紙で記録することの大切さを学ぶためらしい。
「A、B、Cの順に波長が短くなっていくの。波長の長いUV―Aが紫外線のほとんど」
「ふぅん」
「Cは一番危険で、これは皮膚を焼いてガンを生成したりするわ」
「なるほど」
「私のパパとママもガンで死んだの」
「そうなの?」
さらりと言われて、ハルトは少し動揺した。
「農場は、都市よりも土の照り返しで紫外線が強いから、仕方ないのよね。二人とも皮膚がんがリンパに転移したんだって」
「そうか」
「あたし、紫外線をもっともっと防げる装置を作る科学者になりたいんだ」
「うん」
「小さいころはお医者さんになりたいと思ってたんだけど、お医者さんは根本的解決ができないもの。クラウディを改良する科学者になって、もっと安全な世界を作りたいのよね」
「クラウディ」は、遮蔽雲を発生させる気象操作衛星のことだ。衛星軌道に配置されたおよそ五千個のクラウディは、対流圏に電気を発生させて紫外線を遮蔽する厚い層を作り、雨を降らせて紫外線を防ぐ。地上から見ると、それは分厚い灰色の雲に見えた。地上に降り注ぐ紫外線は、その遮蔽雲によって減らされている。遮蔽雲に守られた、人間が暮らせるエリアは、いまのところ北緯三十度以北に限られているが、クラウディが改良されれば暮らせるエリアも広がるし、屋外活動だってできるようになるかもしれない。
「いい考えだと思うよ」
農場の扉が開き、アカリが顔をのぞかせた。
「ナツミ、ごはんよ。ハルト、ナスのみそ焼きを持って帰りなさい」
「はぁい」
「ありがとうございます」
二人同時に返事をし、ハルトが先に立ち上がった。
「ナツミちゃん、ありがとう。また明日ね」
「うん」
うなずいて立ち上がると、ナツミはたちまちハルトを追い越し、祖母のもとに走っていった。




