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クラウディ  作者: 蕃茉莉
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第一章 ニッポン 三:ほんとうの空の色(一)

 十一月の終わり。ハルトは二カ月ぶりに病院のあるコロニーへ向かった。

 農場ゲートの近くから乗ったレールウェイは、二十分ほど走るとコロニーの手前でいったん速度を落とし、検問ゲートを抜けるとふたたび速度を上げた。車窓の風景が荒れ地から都市へと一変する。車内に人はまばら。座席もかなり空いていたが、ハルトは車両のつなぎ目近くに立って、景色を眺めているのが好きだった。

 窓外そうがいを流れ去る町の風景を目に映しながら、ハルトは、明け方に見た夢を反芻はんすうしていた。

 夢は、夏の風景。木々の間からきらきらと木漏こもれ日が降り注ぐ。さわやかな乾いた空気の感触に、なんともいえない幸福感を呼び覚まされ、ハルトは目が覚めてからもしばらくその余韻よいんひたっていたくて、起き上がることができなかったほどだ。

「ライト、終点です。本日のUVインデックスは十三。天候は雨です。雨よけを忘れないようにご注意ください」

 ニッポン語と共通語、二か国語での音声ガイドが車内に響き、ハルトは我に返る。人々が立ち上がり、ドアに向かう。ハルトも、減速する列車の慣性力に逆らいつつ、サングラスをかけてドアに向かった。


 定期通院の前に、ハルトは役場に向かった。仮戸籍は、一年ごとに役場で更新をしなくてはならない。戸籍を取得したのは昨年十一月二十日。今回が初めての更新だった。

 駅からロータリーに出ると、ハルトはいつもあの日の場所に立ってみる。今日は灰色の厚い雲に覆われた空から、冷たい雨がそぼ降っている。連絡通路の下、雨の当たらない場所に置かれたベンチに、あの日とおなじ老人がぽつねんと座っている。この老人はいつ来てもここにいる。最近はやたらと背中が丸くなってきた。

 一年か。

 あの日のことは、すでに遠い遠い夢のような気がする。すっかりこの世界の暮らしに慣れ、言葉にも不自由しなくなった。それなのに最近になって、ハルトはさまざまな、この世界にない夢を見るようになっていた。

 ある時はビニールの、大きなたらいで水浴びをしている。水滴が光とともに弾けて、日焼けした肌の産毛がきらきら光る。別の日は、木でできた教室で勉強をしている。ちらちらとノートへ射す光に目を上げると、窓の外には蝶々が舞っている。白い半袖だ。騒々しいほどの虫の声。夏。あれは、セ――虫の名前は、何と言ったっけ?


 目が覚めると、ハルトは夢で見たさまざまな情景を、覚えているかぎりノートに書きとめた。


 太陽が恋しい。


 夢を見るたび、その思いがつのる。

 この世界には、光がない。空はいつも厚い雲におおわれて、一年の八割は雨。コロニーの外にも肉厚のシダ類や樹木が生えてはいるが、種類が少なく、野生動物や鳥の姿はない。昆虫すらもめったに見ない。紫外線に打たれて、多くの種が死に絶えてしまったのだという。

 コロニーなど人間の暮らす地域は、紫外線反射ドームによってある程度守られてはいるが、それも限度がある。人々は極力外に出るのを控え、肌を被服で守る。全身を覆う被服は紫外線を遮断する繊維で作られており、総じて派手な色合いが多い。色彩に乏しい世界に生きていると、人は鮮やかな色に救いを求めるのかもしれなかった。


 ハルトはぼんやりとした心地のままLRTに乗りかえて役場に向かった。乗っているのはハルトだけ。町を歩く人もほとんどいない。それどころか、人影も少ない。人々はほとんど外出しない。学生は、安全確認のための登校日以外は家でリモート授業を受ける。仕事も家の中。外に出て働くのは、医療従事者や保安、物流、エネルギー関連など、生活を守る職業に従事する人々のみ。それ以外の人が外を歩くのは、リモート対応外の検査通院など、どうしても必要な用事で出かける時だけだ。極力建物の外に出ないこと。それが、身を守る一番の手段なのだ。

「次は、ライト役場前です」

 音声に促されて出口に向かうと、ハルトは住民カードを支払端末にタッチしてLRTを降りた。停車場は役場の入り口に直結している。役場はコンパクトな建物。窓口の数も少ない。

 案内窓口で、ハルトは受付機に住民カードを通し、来所の用件を選択すると、指定された窓口の前に行った。椅子に座る間もなく番号を呼ばれる。

「カンナヅキ、ハルトさんですか」

「はい」

「仮戸籍の更新ですね。カードをお預かりします。タブレットをこちらに乗せてください」

 ハルトは端末機に、政府から一人一台支給されているタブレットを乗せた。

 住民カードは身分証明とデビットカードを兼ねており、買い物や交通機関の利用、それに通院などの生活場面に欠かせないものだ。カードとタブレットがあれば、その人の生活情報はほぼすべてわかる。どこに行き、誰と接触し、何を買い、どんな娯楽が趣味で、いつ起きていつ眠るか。建前として、個人情報は保護され、犯罪に関わるようなことでもない限り、むやみに政府が収集しないことになっているが、その気になれば丸裸である。

 特にハルトは仮戸籍のため、行動や権利に制限がある。ニッポンの行政エリアから外に行くことはできないし、こうやって年に一度、接触した人間や行動歴を申告しなくてはいけない。最初に病院で説明を受けたときに、身分を隠したテロリスト等が紛れ込むのを防ぐためだと聞かされた。その時はなるほど、と思ったが、こうして自分の生活データがすべて集められていると改めて知るのは、あまりいい気持ではなかった。

 数分ののち、赤く点滅していた端末機の表示ランプが緑に変わった。

「はい、外して結構です」

 猫背と抑揚よくようのない声音は、コロニーに暮らす人々の多くに特徴的だ。ここの人々には総じて生気が感じられないようにハルトには見える。生きることに、なんの楽しさも感じてないのでは、とすら思わされるような、「無」。太陽がないと、人はこうなってしまうのか。

「お預かりしたデータは暗号化の上保管させていただきます。こちらが新しい住民カードです。有効期間は一年です。また来年、窓口に来てください」

「ありがとうございます」

 カードとタブレットをしまって、ハルトは立ち上がった。

 ふしぎだ、と改めて思う。

 このような管理社会の中で、ひとが行方不明になる隙などありようもない。自分はいったいどうやってこの町に来たのだろう。

「不可能ではないわ」

 以前、サカタ医師にそのことを問うと、医師はさらりと言った。

「たとえば、タクシーで町に入ってから身の回りのものを捨ててしまうとか、もともとこの町に住んでいたけれど、出生時の事情で戸籍を持っていなかったとか。自らカードやタブレットを捨てて行方不明になったりする人もいるし」

「珍しいことではないんですか」

「珍しいことは珍しいけど、まったくないわけでもない」

 ただ、と医師は首をかしげた。

「あなたの場合は、どうも不思議なことが多いのよね」

 不思議なこと、が何かは聞きそびれたが、現実にありえない夢を見ることも、その一つなのだろうか。


 ありえない、夢?


 役場の外は、さっきより雨脚が弱くなっていた。コロニーを覆う天蓋てんがいは、雨や雪を透過する仕組みになっている。せっかくなら雨風も防げばよいとハルトは思うが、これも無機質な環境に少しでも変化をつける工夫なのだろうか。ここから病院まで、LRTに乗ってしまえば3分ほどだが、本数が少ない。待ち時間が二十分近くあるのを確かめると、ハルトは病院まで歩いてみることにした。たぶん歩いても二十分くらい。雨だから、紫外線もそうは襲ってこないだろう。町の様子を知るのも気晴らしになりそうだ。

 そう思ったのだが、歩き出すと五分もたたないうちにタブレットが警報音を発した。

UV曝露ばくろが続いています。建物に避難してください」

 ため息をついて、ハルトは次の停留所の待合室に入った。自由に外を歩くこともできない。なぜ、こんな世界に来たのかと、運命を呪いたくなる。


 こんな、世界?


 ハルトは、待合室のベンチに座って考えこんだ。夢がありえないのか、いまこの世界がありえないのか、次第にわからなくなってきた。

 自分はいったいどこから来て、その世界はどこにあるのだろう。どちらの世界がほんとうの世界なのか。どちらも本当だとしたら、どうしてこういうことが起こっ――

「お兄ちゃん、大丈夫かい?」

 先にベンチに座っていた老女に声をかけられて、ハルトは我に返った。

「具合が悪そうだよ。病院車を呼ぼうか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「市民病院に行くのかい?」

「そうです」

「じゃあ一緒だね。具合が悪いのに雨の昼間から外に出なきゃいけないなんて、かえっておかしな話だね」

「ほんとうですね」

 そのまま目を閉じて、ハルトはベンチの背にもたれかかった。老女はイヤホンを耳につけて、タブレットでなにかの番組を見始めた。

 夢中になって仕事をしている時は忘れられる。ナツミと話している時は、その明るさに救われるように気持ちが和らぐ。だが、一人になると、最近はこうして自分の記憶と現実のギャップに引き裂かれるような思いを感じてばかりだ。

 LRTが、細雨さいうのカーテンをかきわけるようにやってきた。老女がタブレットを手提げにしまって杖を頼りに立ち上がった。そのあとをついてハルトも乗車する。二人が乗り込むとすぐにドアが閉まる。

 滑るように走り出したLRTの窓を、雨粒が次々と横に走って行った。

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