第二章 キャラバン 六:世界のなりたち(三)
キャラバンは荒れ地を抜け、四日後、カザフスタン行政区に入った。足早に行政区の南端に添って走った一行は、十二月二十七日にカスピ海の沿岸にあるコロニー、ベイノイの近くで、水の照り返しが少ない丘陵の陰を選んでテントを張った。
カスピ海の風景を撮りたい、と言ったのは、ユーロ出身のグスタフだ。グスタフはコロニーや砂漠、山峰などさまざまな情景をコラージュした、独特の作品をつくり上げる。無口で、めったに自分の要求を見せないグスタフの、水辺の風景が欲しい、という希望を容れて、カスピ海への旅となった。
「今年はここで年越しだ。追い出されなければしばらく撮影を楽しむとしよう」
サラディンの号令で、一行は思い思いに年末の時を過ごす。オマールたちは、撮影メンバーの食事や洗濯に追われ、ナユタも忙しくそれを手伝った。
大晦日の夕刻、サラディンはひとりベイノイの近くの広場で車を停めて、コロニーの検問所を眺めていた。ベイノイはこのあたりでは一番大きいコロニーだ。付近にもちいさなコロニーが点在しているため、車の往来が多かった。
一台の車が検問所を抜けて、広場のほうにやって来る。近づくと、運転席にはグリアン。車は不器用にUターンすると、サラディンの車の横に停まった。サラディンが手を挙げると、グリアンは車を降りてサラディンの車に乗り込んできた。
「今年もまた珍しい場所を選んでくれたな」
「すまんな。仲間がカスピ海を見たいというので」
車の中で、二人はタブレットを交換した。グリアンから渡されるタブレットには、一年間の様々な社会情勢などの情報とともに、技術的なアドバイスを乞う手紙や、新しい連絡方法などのデータが入っている。サラディンはその内容を砂漠に隠れ住む技術者に伝え、データを消去して返却する。
二人はそうやって、互いが担当する技術者の情報交換を担っていた。
「そうだ、似たような奴に会ったんだ」
タブレットをしまって、グリアンが顔を上げた。
「似たような奴」
「あの子だ。過去から来た」
「ナユタか」
「そうだ。今度は男なんだがね」
「どういうことだ」
「どうやら彼も、過去から来たらしい」
サラディンが目を丸くした。
「ナユタと会わせてみたいね。生きていた年代も近いらしいし、もしかしたら彼はナユタの知っている言葉を話せるかもしれないんだ」
グリアンは切れ長の目を細め、めったに見られないサラディンの驚愕の表情を楽しんでいる。
「なぜこんな奇妙なことが立て続くのかわからないが、安全な空を知る者がいるのは心強い。天の采配だと俺は思った」
信じがたい、とつぶやいて、だがサラディンはすぐに表情をあらためた。
「チュプは、どんな具合だ」
「順調だ。先月の環境学会ではオゾン層の再生傾向が発表された。年が明ければ徐々に紫外線量が下がるだろう。そうしたら、スーリアの主張に耳を傾ける人々も出てくるかもしれない」
「予備選挙までに、成果を世界が納得するかどうかだな。」
「そうだな。発表のタイミングとやり方は重要だと思う」
サラディンの胸が高鳴った。いよいよ本当にチュプが始動する。だがそれを正式に運用するためには、踏まなくてはいけない手続きや段取りがある。課題は山積みだった。
「気をつけろよ」
「あんたもな」
グリアンはそう言うと、車を降りてレンタカーに戻った。グリアンが発進するのを待たず、サラディンはその場を離れ、キャンプに戻る。東の空から、夜の帳が降りてきた。カスピ海の水平線が幽かに煌めき、すぐに灰色の空との境界線が曖昧になってゆく。
「カメラをもってくればよかったな」
サラディンがつぶやいた。広大な、海とも湖ともつかない水面はやがて闇にまぎれ、遠くに見えるちいさなコロニーの灯だけがほのかに瞬いていた。
新年の払暁。空がほのかに白味を帯びると、広大なカスピ海の東に連なる稜線が、影絵のように黒々と浮かび上がった。凍てつくような寒気の中、仲間たちが無言でシャッターを切る。オマールたちも外に出て、新しい年の目覚めを楽しんだ。水面にむかってカメラを向けていたサラディンは、隣に立って山稜の影に見とれていたナユタを顧みた。
「ナユタ、今年こそ青空を見たくないか」
「見たい。オーロラと虹も見たい」
「ぜいたくな奴だ」
サラディンが破顔する。
NC四七四年。後年「雲と太陽の戦い」と称される、歴史に残る年が始まった。




