第九話:収穫無しという収穫有り
色んな事を考える必要がある。
色んな事を調べる必要がある。
兎にも角にも情報が不足しており、そもそも生存のための生活力さえも不足している。
仕事時間中こそは仕事に没頭する。
島を出る道筋を考えるのはユキと二人の時。
アブラハム・マズローが言う5大欲求。
まずは生物の根幹となる生理的欲求は『大三元』の稲村家の慈悲により、ある程度は満たしたと考えて良いだろう。
ちなみにこの欲求ピラミッドは5段階で構成される。
『1.生理的欲求』『2.安全の欲求』『3.社会的な欲求』『4.承認欲求』『5.自己実現欲求』
この国の多くの人間が仲間が欲しい、愛されたいと『3.社会的な欲求』か
人から称賛されたい『4.承認欲求』を欲するが、
残念ながらその少し手前。
次は『2.安全の欲求』のステージである。
「安全……か」
敵が多すぎるし、そもそも自分の現状すらも足場が確保出来ていない。
その足場を把握するだけでもいつまで時間がかかるのか見当も付かない。
凛太郎はタバコを買いに行くと告げ一人で散歩に出かけた。
◇
向かったのは山道。
ユキと歩いた歩幅で片道3時間ならば、往復4時間見積もれば帰還できるはずだ。
街の予算不足からか、街灯の恩恵を失った公道を、懐中電灯の細い光だけを頼りにひたすら登る。
予備の電灯も準備しており、さらに電池も保持している。
公道の一本道で遭難の危険性もない。
「……ここか」
山道への入口に辿り着いた。
まだ微かに西日が残っているため、肉眼でくっきりとソレは残っていた。
腐敗した穴。
もとい、先日までは存在した大樹だ。
「……」
ビニール袋を手袋のように扱い、周囲に痕跡だと思われる土を集めていく。
ひっくり返し、今日のお土産が出来上がる。
なんとなく、隣の樹に掌を添えて見る。
「……」
これがなんの木かはわからないが、通常リグニンとセルロースの高分子化合物。
これを溶かすには超分解酵素、主に白腐菌などが持つマンガンペルオキシダーゼを掌から放った。
それもとんでもない濃度ととんでもない量を。化学反応の平衡を考えれば、必要な触媒量は少なくとも数千kgに達する。
ユキに抱きつかれた時、あの体重は40kgにも満たない小柄な小学生だ。
「……ふむ」
或いは自死の細胞であるアポトーシスを……細胞代謝を限界まで引き上げ……。
(クク……ハハハ)
それこそない。時間を加速させるわけが――。
――と、日之影凛太郎が自分ごときが知る常識を並べる滑稽さがさらに笑いを誘った。
◆
田舎の夜の山は想像以上に暗い。
試しに懐中電灯を一度消して見ると、網膜に焼き付いていた残像すらも、瞬時に冷たい無に飲み込まれる。
それは「暗い」というより、世界という概念そのものが剥落し、自分が宇宙の真空に放り出されたかのような、暴力的なまでの断絶だった。
光を灯すと、再び山道を歩いていく。
肉体的な若返りはそのまま体力の若返り。
しかしそれでも山道を登るというのはこの身体でも決して楽ではない。
推測通り二時間後、目的の場所に到着した。
木々が続く森の中、左手側が一箇所だけ間隔が開いている。
そこにライトを当てると、光が跳ね返ってきた。
赤い電柱。
当初そう錯覚した鳥居に文字があった。
『白銀神社』
(はくぎん……或いは、しろがね……?)
はくぎん。銀。或いは雪景色を形容する白銀の世界など。
しろがね。銀色の別の表現。或いは雪景色を指す。
どちらにせよ、帰結するのは「雪」か。
「雪景色……ユキ……」
ユキに外見的な特徴と言えば、やはりあの長髪だろう。
そういえばあの吊り目の巫女も、かなり髪が伸びていた記憶がある。
では凛太郎は?
自分の短髪をワシャワシャと触るが、当然何も起きない。
何かしら法則性を考えたいが、それは浮かばないのでスルーする。
それにそもそも白銀というが、白以外の雪の色はないだろう。
あるとすれば環境汚染か……なんだろう、わざわざ白を添える意味もわからない。
『大三元』のディナーがあるのは土日のみ。
平日はランチのみの営業で夜は時間があったので仕事の勉強が出来たが、
ある程度一段落した今、最も知っておきたい場所がここ『白銀神社』というわけだ。
日も完全に暮れた。
時計がないため時間がわからない。21時を回っただろうか?
そこには焚き火の後もあり、それは凛太郎がここで一夜を明かした証明だ。
「……ッ!」
そうだ。
(思い返せば、オレは初日からライターを持っていた)
というより、ジーンズでパーカー。スニーカー。
髪型はユキや巫女と違い短髪。丸坊主でもなく、床屋で切ったような髪型。
(無能が……何故こんな重要なヒントにも気付かない……?)
その始めから保持していた貴重な現場証拠のライターは今どこにあるかと言えば、まさに先程まで歩きタバコに活用していた。
今更ながら眺めてみるが、何処にでもある中国製の100円ライターだ。
カチリと回せば、何の変哲もない火花が散り、オレンジ色の炎が揺れる。
「ふむ」
これは宿題として、神社の散策に戻る。
コンコン、と古い小屋にノックをする。
一般人が入っては行けないであろう境内の奥に足を運ぶと、そこのドアを開ける。
そこはなにもない。
木造の小屋も腐りかけていて、暗闇を照らすだけでも老朽化が見て取れる。
この気温だからか幸いにして虫はいないが、寂れた場所というのはわかった。
言うまでもないが、こんな場所に巫女などいるはずがない。
泡沫の神社だ。
神主や巫女など、なんなら管理会社の人間すら足を運ばないだろう。
(それなのに、巫女か……)
違和感は膨らむばかりだ。
巫女は神職の補佐だ。
巫女舞を舞う以外にもお守りを売ったり清掃や会計など裏方を行う、言ってみれば事務員みたいなものか。
「……」
ただ、事務員役は現代の巫女の話。
古代では「神降ろし」や「神憑り」を行う巫でもある。
神降ろし、となれば降ろされた対象はリンとユキというのも……。
「わからん」
あまりに情報がない。
それに超常現象か被検体かそれすらも判断できん。
次にユキが現れた境内のドアを開く。
足元は頼りなく、木が軋む感触が靴を通して伝わってくる。
光を当てるが、そこも特に目ぼしい物はない。
木造で出来た内装だが、壁には古びた掛け軸が備え付けられていた。
『宿執至極の者、其の本懐を遂げし時、死出の寂光に照らされん』
「――おやおや」
読めん。
旧漢字もあったが、それは少しは解読できる。
だが言葉の意味が凛太郎には全くわからない。
宿執とはなんだ?
前世での自分の教養の無さを悔いるが、なるほど。
なんとかは死んでもなんとやら。
宗教に関しての知見も乏しい。
乏しいが、基本的に天国地獄、輪廻転生、無。死後の世界はこれらが定番のはず。
(少なくとも、誰かの肉体でもう一度やり直せると……そういえば処刑された後のキリストはそれに該当するのだろうか?)
あれはどうなんだろうな。
やおよろず。
八百万の神と言われる多神教である日本。
実際に八百万かはさておき、日本でも数千と数多くの宗教団体が跋扈する。
だがその根っこの数は少ない。
殆どはキリスト教の派生であったり、仏教の派生であったりと、主となる数だけで見れば知見を得るのはそう時間はかからない。
(まずは旧約聖書でも眺めて見るか……いや、日本は仏教が主軸で、巫女だってこっちか)
胸ポケットに手を伸ばす。
今度はちゃんとタバコが入っているので、境内で一服する。
「神秘と科学……」
神秘なら、そう。
例えばここで一服している最中に、人がいきなり現れ、"4人目"が生まれてもおかしくはない。
科学ならば……脳移植をした人物AからBへ。そのBの遺体……いや、肉体か。それを起動される。
ふむ、と頷く。
そこまではまあわかる。
ナチスドイツで行われた悪名高い人体実験。
麻酔無しで生きたまま子供の臓器を取り出したり、
或いは有名なのは双子実験か。
非道徳の余り行われていた世界史で見ても指折りの悪行。
しかしその非道な実験で医療の進歩を100年進めたと言われる功績も同時に存在する。
倫理や道徳の足枷を捨てれば、科学はもっと発展する。
(――但し、その被検体をこの神社に運ぶ意味がわからん)
エプスタイン島のような人工島で、データを観測……としても、データ観測するならば血液検査や情報は欲しいだろうに。
被検体という意味では特にユキのような特異体質……否、アレを特異体質で片付けるのも違う、ナニカ。
天笠花とかいう、それは絶好の観察対象になるはずだ。
じゃあ神様の気まぐれでこの神社にポンッとAMAZONみたいに配送されると?
「おやおやおや、神様は送料無料なのかな?」
くだらない事を考えて、気づけば三本目のタバコを吸い終わった。
結局4人目は現れず、長髪吊り目の巫女もいない。
(ま、そんな雨後の筍の様にポンポン4人目5人目と現れてはたまらないか)
虫が鳴く。
ずっと鳴いていただろうに、今になって耳に届くというのは集中力が切れたのか。
自嘲すると立ち上がり山を降りていく。
収穫無しという、大きな収穫を得た一夜だった。




