第十話:兄妹
「うううぅぅぅぅぅ……ッ!」
自室の、もとい応接間の布団を丸めてダンゴムシになって呻いているのは田中ユキ。
埃ひとつ許さない徹底した清掃のせいで空気は無機質に澄み渡り、
かえって布団から漏れるユキの湿った鼻声だけが、異物のように生々しく響いていた。
「ユキちゃん。お姉さんとお話しよ」
「うううぅぅぅぅぅ……」
ホールから走って二階に上がり、しばらく帰ってこないユキを心配した琴葉は部屋を訪ねた。
「リンさんに怒られたの?」
「……リンお兄ちゃん、ひどい」
「うん。そうだね」
布団に話しかけるとちゃんと返事が返ってきた。
「ワタシ、手伝おうとしたのに……」
「うん。ユキちゃんが頑張っているのは知っているよ。リンさんも知っているよ」
ホールが一段落してユキは率先して洗い物を始めた時、
誤ってお皿を割ってしまったのだ。
「ワタシ、手伝ってあげようとしたのに……」
「うん。大丈夫だよ。ユキちゃんが優しいのはリンさんも知っているよ」
グズっている子供をあやすように琴葉は優しくオウム返しを繰り返す。
「リンさんになんて言われたの?」
「えっと……」
布団を上から撫でる。
「リンさんは仕事に真面目だから、ついキツイ言葉を使っちゃったんじゃないかな? 許してあげようよ」
「でも……」
「お兄ちゃん、まだ子供なんだから。ね?」
「うううぅぅぅぅぅ……」
ようやく布団からぴょこりと顔を出した。
そのまま琴葉は顔を撫でてあげる。
赤くなっている表情から、ある程度涙を流したのだろう。
「なんて言われたの?」
優しく母性に包まれた笑顔を見せる。
琴葉としては、次に『それはユキを想ってのことだよ』と繋げる構成だったが、
「生産性の低い足手まといは消えろ」
「……」
さあてどうしたものか。
「あと、ワタシが泣いて逃げた時にリンお兄ちゃんに『使えねえ』って言われた」
「…………」
さてさて、困ったぞ。
ユキがウソを言っている様子はなく、というかリンという人間を知る琴葉からすればそれはなんというか、あまりにもしっくりくる。
「ユキちゃん。ちょっと待っててね」
そう言うと琴葉は応接間を出ると、すぐに戻ってきた。
その手には包装されたピンク色の袋を持っていた。
「これね。私からのプレゼント」
「え……?」
可愛い包装されたピンク色の袋を開けると、そこには……、
「スマホだ!!!」
その歓喜の反応に琴葉はにっこりと微笑んだ。
「うわっ、うわっ、あれ! しかも二台も!」
スマホと琴葉の顔を交互に見比べる。
「え、え、え? でもこれ、琴葉さん、高いよ」
「ユキちゃんのために奮発したんだ」
と言うと同時に、琴葉は口元に静かにするようにと、しーーーっとジェスチャーして見せた。
「本当はリンさんからバイト代を引いて、ユキちゃんに私からプレゼントするように言われているの」
「リンお兄ちゃんが……?」
パチパチパチ、と面白いぐらいに瞬きした。
「一生懸命バイト頑張ってたの、全部ユキちゃんのためなんだよ。やっぱりリンさんも、ユキちゃんが可愛いんだなーって。じゃないと、こんな高いものプレゼントしないよ。全部これはユキちゃんのために働いたお金だよ」
うんうん! と頷く。
「でもユキのバイト代も入ってるから、実際半分しか出してないよね」
「……」
今度は琴葉がうんうん頷いた。
あまり似ていないと思ったが、やっぱり兄弟なのかもしれない。
「リンさん、まだ一人で片付けしていると思うから、仲直りしてきたらどうかな?」
「うん!」
ドタドタと音を立てて階段を降りる足音が遠ざかるにつれ、ゆっくりと琴葉は微笑んで行った。
「可愛いなあ、ユキちゃん……」
◆
「リンお兄ちゃん!」
「入るな! 今ワックスかけている」
言葉通り、フロア全体がマニキュアのようなシンナー臭が漂う中、凛太郎はモップを片手に床を慣らしていた。
「あ……うん。ごめんなさい。でもリンお兄ちゃん、リンお兄ちゃん!」
うざったらしいと、興味も無さそうにチラリと一瞥するが、手に持っている物に反応を示した。
「お……来たか!」
「うん!」
よしよしと凛太郎も満足そうに頷いた。
「よし、二台あるな。寄越せ」
「うん! ……え?」
え? と首を傾げるユキに今度は凛太郎が「え?」と首を傾げた。
「お兄ちゃんから、ユキにプレゼント……あ、うん! じゃあこっちのAndroidあげるね。ユキはiPhone!」
「二台寄越せ」
「………………?」
時が止まるユキに対し、凛太郎は「ふむ」と思考する。
フロア磨きの手を止め、代わりに胸ポケットのタバコを確認する。
来い、と手招きされ二人は店外の喫煙所に移動すると一服始めた。
「オレ達に不足しているのは情報だ。全てではないが、その大部分を収集できるスマートフォンは是非欲しい。そうだろう?」
コクリとユキは頷く。
「スマホが欲しいならどうする?」
「買う」
「何処で?」
「携帯屋さん」
「身分証は?」
「……」
「リサイクルショップだ」
少し時間を置いて、うん。と頷く。
「詐欺にも使われる端末だ。何かあった時、警察を始め国家権力者、或いはそれに準ずる組織はまずこの購入履歴、もとい監視カメラで確認する」
「……」
またまた時間をおいて、うん。と頷く。
「復讐するユキが尻尾を見せれば敵が逃げる可能性がある」
うん、とここは素直に頷く。
「だから琴葉に買いに行かせた」
「…………」
何か納得できないが、うん。と頷く。
「ただし、普通にお願いすれば怪しまれる」
うん。と頷く。
「あ、わかった」
「ククク、その通りだ」
色々な要素が符合する。
「え、ワタシが好きだからプレゼントしたっていうのは?」
「二台寄越せ。前話しただろ。両方ともカメラに使う。モバイルバッテリー程度の購入ならば監視網から逃れるので問題ない」
「…………」
ズイッと手を前に出す。
「出せ」
「……」
互いに視線を交えながら、ユキは一歩足を後ろに引いた。
「妹のユキが大好きだからプレゼントしたって言うのは?」
「大好きだぞ親愛なる妹よ。二台寄越せ」
「……」
もう一歩、後ろに下がる。
それを確認した凛太郎が同様に距離を詰めようと足を一歩踏み出すと、
「やーーーーーーだーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ドドドドドド、と店内を駆け巡り階段を上がっていく。
「ワックスの途中だクソガキがッ!!」
「琴葉さん! 琴葉さん! 琴葉さん! リンお兄ちゃんがイジメるの! 助けて!」
「マジでクソガキだな……!」
長い髪を引き摺り降ろしてやろうと思ったが、それよりも先に呼ばれた琴葉が現れた。
「どうしたんですか?」
「リンお兄ちゃんがまたイジめるの!!!」
「え……?」
「ぐ……!」
「琴葉さん助けて!」
「あはは、もー。リンさん。何があったんですか?」
「ぐ……あーー……まあ、その……皿を割った注意をだな」
凛太郎からすればここは答えに窮する。
言えない。
ここでプレゼントをしたスマホを取り上げるとなれば、話の整合性が取れない。
(いや……行けるか? 琴葉にしかそれは伝えていないと彼女は認識している)
だが、それはそれで、琴葉個人のプレゼントを兄が没収というのは確かにこちらに非がある状態に陥る事になり、どのみち藪蛇だ。
「ユキはiPhoneがいいの!」
その言葉に琴葉は理解した。
恐らくiPhoneの取り合いで兄弟喧嘩が発生したんだと。
「ぐッ……!」
「リンさん。あの、こういうのは年長者が譲ってあげるのがルールじゃないでしょうか」
「ユキのiPhone!」
「ぐ、ぐぐ……ッ!」
(クソガキめ……ッ!)
「今度私がご飯ご馳走してあげますから。ね?」
「クソがッ。琴葉との食事程度で、このオレ懐柔しようと……いや、コイツは居住区の娘、居住区の娘……すまない。間違えた。琴葉とデートできるなら男としてこれ以上の幸せはない」
「前半部分全部聞こえましたからね」
温度がこもっていない目で観察されるが今はどうでもいい。
「わーーーーーい! 琴葉さんからのiPhoneプレゼントだーー!」
(クソガキめぇ~~~~~!)
「動画見ーーようっと♪」
「ユキ」
自室に戻ろうとするユキに冷たく言い放つ。
「わかっていると思うが、スマホ使う時、以前話したルールだけは守るように」
「……?」
ぐーー、と首を傾げるが、真面目な目でユキを捉えると、少女は「あ」と思い出したようだ。
―――――――――――――――
『ITの知識もさしてないだろう。検索する場合はシークレットモードやVPNだけでは不十分だ。専用の端末を用意する』
『……?』
『要するに、オレ達が組織か事件を検索したら、逆探知で情報がバレる可能性がある』
『なるほど!』
―――――――――――――――
「うん!」
力強く頷くのに対し、凛太郎は不服そうに背を向けた。
「どちらに?」
「散歩だ」
「……リンさん、いつも言っていますが、就業時間後の労働はやめてください」
「お兄ちゃんは"せいさんせー"低いんだから働いた方がいいよ♪」
「ユキ、後で泣かすから覚悟しろよ」
べーっと舌を出して挑発するユキは琴葉の背中に隠れてやりたい放題だ。
「今からワックスやり直しだ。足を引っ張ってばかりの誰かさんのせいで、まさに生産性の低い一日だな」
嫌味を残すと凛太郎は階段を降りていった。
「ありがとう琴葉さん!」
そう言って嬉しそうに携帯を持って応接間に入っていった。
微笑ましい兄妹喧嘩を見届けた琴葉も自分の部屋に戻っていった。
窓の外はもう暗くなっていた。
(ユキちゃん可愛いなー)
「……はあ」
それにしても、居住区の娘か。
正直居候相手に異性として好意を抱かれても困るが、それはそれで許せないのが乙女心なわけで。
「琴葉ごとき、居住区の娘……」
(……ん?)
少しだけ、生まれた違和感。
――凛太郎さんは、そんな事を口にするだろうか?
いや、彼はそう言うことを言う。
全部が全部合理的な人間で、努力を惜しまない徹底主義だ。
発言の内容自体におかしな点はない。
(……あれ?)
ただ可愛い妹にiPhoneをプレゼントするわけではなく、iPhoneかAndroidか、好きな方を選ばせる。
……コレは、まあわかる。
あのハシャギ様だ。今までスマホがずっと欲しかったのだろう。
兄としては現代の子に若い年齢からSNSに触れさせるのは心配だという親心……兄心みたいなものもわかる。
だけど、あれはまさに漫画で見たゲームソフトの取り合いみたいな兄妹の戦い。
「リンさん……スマホ持ってないんだ」
兄妹でスマホを保有していない。
「……」
そんな事があり得るだろうか?
思い返せば、見たことがない。
ただ、元々彼の性格からして仕事中に端末を触るなんて絶対にしないだろう。
あの潔癖そのものが演技……は、流石にないだろう。
「琴葉ごとき、居住区の娘……」
それを言われたら、私はショックを受ける。
咄嗟の出来事とは言え、
人の機微に聡い、あの頭リンさんがそんな事を相手に言うだろうか?
言わない。あの人は誰よりも賢い。
自分の感情よりも、優先する目的があれば自分なんて簡単に押し殺す人だ。
咄嗟な出来事こそ本音が出ると、何かで読んだ記憶があるが、そうじゃない。
あれは田中リンが"意図的に作った言葉"に感じた。
――何故?
考えてみる。
じゃあ……なんだろう?
例えばスマホを持っていない事を悟られたくないとか……。
「……」
――そんな事が、あり得るのだろうか?




