第七話:ワーカホリックの先輩
中華料理屋『大三元』の二階は一軒家になっている。
4LDKの間取り。店内、店外共に居住区へ続く階段は備えられている。
三人家族の稲村家。店主の妻は療養のため本土の病院に行っているため一部屋空いているが、元々客間として活用していた応接間。
そこに今は二枚の布団が敷かれている。
朝というより早朝5時。
目覚ましが鳴るよりも凛太郎は三時間早く身体を起こす。
日の出よりも早い夜の終わりの時間だが、ちらりと横を確認すると、小学生がよだれ垂らしながら幸せそうに眠っているのを確認した。
長い髪の毛がシーツ代わりになっているようにも見えるが、アレは寝返りを打つ時に不便になる物ではないのかと不思議に思う。
音を立てないように部屋を出た。
顔を洗って店裏の喫煙所で一服すると、携帯灰皿に吸い殻を押し付け、一階の鍵を開けた。
照明と店内のテレビを付ける。
誰もいない店内に、油の冷えた匂いだけが残っていた。
前日に用意した脚立に登り、まずは予想通りびっしり溜まった埃を拭き取っていく。
それを終えると次にウェットシートを取り出し醤油などの客が使う容器を一つずつ丁寧に拭いていく。
実際に座席に座ってみる。
「……おやおや」
テーブルが角があるのが少し気になった。
老人や未発達者など、感覚運動統合の不全の症状を持つ物は足を取られる可能性がある。
DIYなどは出来ないが、角をヤスリで削る事ぐらいはできるだろう。
壁が剥がれている箇所も確認する。
小さい箇所はテープで隠すとして、大きな壁の剥がれはポスターで誤魔化すとしよう。
ポスターにより食欲を刺激するか、或いはリピートになるかどうかの有無も調べる必要がある。
テープも壁色に近いものを用意する必要がある。
ユキにやらせるTodoリストと自分がやるべきタスクを紙に書き込んで行く。
飲食店は初めての経験だったが、奥が深い。
猿でも出来る参入障壁の低さ。底辺がやる肉体労働。
(SPA(製造小売業)とは言わないが、まとめ買いは原価を安くできる。が、賞味期限の観点から破棄が出ては意味がない。客層のデータも集まっていない以上MDも難しい……)
それなのに、多方面で一級の経営者目線を求められる。
これには開業率と廃業率が共に高い理由も納得させられる。
(この人気店で利益を増やすとなると客席の増加。或いはウーバーなどの配送展開……しかし、結局は人材不足で頓挫する)
新メニューもいらない。
恒常的人気の店で期間限定商品などは開発コストに比べ売上利率も低い。
「となると単価アップ。及び回転率アップ。あとはお土産の導入か……端材のランダム性を面白く見せるアイディア……もしくは、日持ちする商品での開発が好ましいか。試食も重ねる必要がある……っと」
ノートにメモを取っていく。
「確か券売機は単体で300万円前後か? 補助金は活用できても最大60%か70%か……それでも100万ぐらいは飛ぶとなるとキツイか? いや、人件費を考えれば数ヶ月でペイはできるが……使用電気量などは……まあいくらもかからんだろう」
思った事を呟き、ノートに書き上げると椅子を磨いていく。
『次のニュースです。大日本製薬がアメリカ大手のMIDと業務提携が行われました』
「おやおやおやおや」
孤島で聞き覚えのある単語を耳にして、思わず顔が歪んだ。
天下の大日本製薬様が、MID如きと何をやると言うのか。
しばらく壁に設置されていたニュースに釘付けになった。
(新薬の発表はないか……結局パスワードは開けなかったと見て問題ないだろう。やはり昨今の暗号化技術の解読となると彼らも手を焼くだろう)
独自解読。こちらは可能性が低い。
今の技術で解読するには明らかにオーバーテクノロジーだ。
だがITの世界は日進月歩。
公衆電話が生まれ、誰もがポケベルを始めたと思えば今ではAIが新たな産業革命を切り開こうとしている。
「……」
――何故彼らは、日之影凛太郎を殺したのか?
後になって振り返ってみると疑問が残る。
恐らく『箱白アカネ』を確保することが出来たから、用済みであり敵対勢力になっては怖い危惧からだとは思った。
しかしニュースを見るからには箱白アカネはまだ捕まっていない。
(オレが死んだ以上、箱白は彼らにとって最後の鍵だ。オレを殺すのは彼らからすれば大チョンボだったはず。もしここで箱白が自ら命を断てば、彼らは永遠にパズルを始める事ができなくなる)
こういう場合、拷問と懐柔どちらが効果的かの知見は凛太郎にはない。
(だが少なくともオレより遥かにしたたかな箱白アカネだ。所在の確認すら出来ていないだろう)
日之影凛太郎の死後、十日後が今日。2月10日。
日之影凛太郎と箱白アカネを同時に捉えられなかった彼らは致命的なミスを犯した。
凛太郎の死を知った箱白アカネはもう表には出てこないはずだ。
パラリ、と紙がめくれる音がした。
初めて人の気配に気付いたが、テレビから視線を外さず忠告する。
「朝起きたら挨拶からだクソガキ。躾がなっていないな」
「あ、お、おはようございます!」
「――おっと」
テレビから視線を流すと、琴葉が慌てたようにペコペコと頭を下げた。
「すまないな琴葉。おはよう。朝は早いんだな」
「リンさんこそ……それにこれ、スゴイですね。え、何時から働いているんですか?」
「働いてなどいない。オレはテレビを見ていただけだ」
「もう……ユキちゃんも苦労しますよ」
「子供は労働力だ。働かせろ。今の時代は温すぎる」
ため息混じりに苦言を呈したところで、琴葉がノートを持っているのに気付いた。
「あ……見ちゃいました……」
バツが悪そうに笑顔を作るが、凛太郎は気にしない。
「構わん。元より琴葉と店主には提案するつもりだった」
琴葉の横で手を洗うと、冷蔵庫から鶏肉を取り出した。
「ちょうど良い。少しだけ時間はあるか? 仕込みを教えてもらいたい。からあげの仕込みなんだが、鶏もも肉はどうカットすれば――」
「あの、リンさん? バイトは9時からで、今はまだ朝7時ですよ。それなのに仕込みなんてさせません」
「オレは鶏肉を切って遊びたいんだ」
ふるふると琴葉は首を横に振る。
「リンさん。座っていてください。朝ごはんを作ってあげます」
「オレは男尊女卑にさして意見があるわけではない。が、人に甘える怠惰さには嫌悪を持つ性格なんだ。ペーペーの下っ端如きが、生産性の高い琴葉に甘えるわけにはいかない」
「リンさんに私の作ったご飯を食べてほしいです」
「断る」
んー、と琴葉考える。
「試食、してほしいんですよ。仕事として」
そこにはノートに書かれた『試食』という言葉を指さしにっこりと微笑む琴葉。
やれやれと悔しそうに凛太郎は首を傾げた。
「……聡いな先輩。どう言えばどう動くか。相手毎に最適な言い回しが出来ている。それも会って数日だと言うのに」
「リンさんは、ペーペーの下っ端なんですよ? 私は先輩です。先輩が偉いなら、偉い私がもっと働かないとダメなんです」
その思想は嫌いじゃなかった。
「琴葉。良い女だな」
「正直、私こう見えて結構モテるんです。色んな人にアプローチされます。でもリンさんほど感情なく言われたのは初めてです」
つくづく、目の良い女だ。




