第三十四話:月狂条例
「この白銀はね、大昔、島が覆われるほどの大雪が降っていたんだとか。それで、白銀だろ? 南に位置するから、日差しが強いのなんの。照らされる光はまさに白銀で、それが由来らしい」
時折笑顔を向けながら、街の由来を語る運転手。
凛太郎も微笑みを作って相槌を打つ。
(――なんだコイツ?)
先日、ユキと同行してから日が浅い。
しぶしぶ付き合ってやるという大人の気配があり、それでいて断る事ができない人の良さも垣間見れた。
今はというと、この通り。
「俺はこう……宗教的なものはよくわからないんだが、婆ちゃんが言うには、その、なんだ、そういうのが降りたらしくて、どうにも、とても、珍しい現象らしいんだよ」
まるで間を嫌うような、生産性のない上辺だけの会話。
もとい、会話でもなく、まるで過疎配信者が必死に取り繕っているような"媚び"を感じる。
嘘つきは目を逸らすというのは古典的な指標だが、近年の研究では逆だとされている。
「目を見て話せば信じてもらえる」という強迫観念が、視線を過剰に固定させる。
事実、運転手は時折こちらの様子を覗き込むように微笑み、視線を合わせる回数が前回より明らかに多い。
同時に、無意識に自分の首や鼻、口元を触る仕草を繰り返していた。
これは緊張時に副交感神経を落ち着かせようとする防衛反射だ。
凛太郎は彼が接続詞を使う度に、笑みを浮かべて頷いて見せる。
そして、過剰な誠実さ。
「実はね」「正直に言うと」と、聞かれてもいない前置きを多用する。
「ふむ、興味深いな」
「そうか、よかったよかった。まずな、大東亜戦争の時……」
運転手の話は途切れない。
タイヤが舗装の切れ目を踏むたびに車体が小さく揺れ、助手席の窓に映る木々の影が後ろへ流れていく。
山道は登るほどに細くなり、ヘッドライトの光だけが闇を切り開いていた。
(オレを拉致してどうするというのだ?)
田中リンに価値はない。
大日本製薬かイーライリリーにしても、用があるのは日之影凛太郎だ。
尻尾は一切見せていない。
もちろん、以前から考えていた可能性として、始めからオレを被検体として泳がせていた場合、話は変わるだろう。
それでもこのタイミングで、こんな質の低い男性を遣わせるのは整合性が取れない。
こちら側の過失という意味で、考えられる仮説は一つだけ。
何かの拍子に"天笠花に気付いた"。
危険を伴う天笠花本人ではなく、兄を名乗る田中リンを抑えておきたい……そんなところか。
凛太郎は銀ヤスリを回すと、口から白い煙が漏れた。
(正直……天笠花に関しては、何もわからない)
琴葉に種を植えた一件以降、幾つかの質問は交わしたり観察は進んだが、あくまでそれは彼女の性質のみ。
ユキの素性やカタリなど、動機となる情報は一切わからない。
ユキ本人に質問すればある程度答えるだろうが――同時に、こちらの情報の開示を求められる。
(結論は出たな)
で、あれば、それに勘づいた奴らから情報を吸い上げる。
この様子だと、神が降りたというのもウソだろう。
ならば、自分と一緒に居ると伝えるなと口にした目の前の男の証言とも一致する。
◇
車を停めたのは白銀神社の手前、舗装が完全に途切れた林道の終点だった。
そこから徒歩で五分ほど登ると、木々の間に小屋が見えた。
狩猟小屋だろうか。
木造の平屋で、屋根には苔が生え、壁の一部が朽ちて穴が空いている。
電気は通っているらしく、窓から豆電球の弱い光が漏れていた。
近づいて、凛太郎はコンコン、と指で壁を叩いて材質を確認した。
湿った土と古い木の匂いが鼻を突く。
「こっちだ。土足でいい」
「ああ」
貞治は背が高い。凛太郎より頭半分は上だろう。
山仕事で鍛えられたのか、肩幅も腕も太い。普段は腰が低く、人当たりが柔らかいが、こうして並ぶと体格差は歴然としていた。
(断定こそ出来ないが、拉致の可能性は低いな)
明確な拘束装置、例えば鉄格子を見かけるまでは、ついて行っても問題はないと結論付ける。
体格差は少し不利かもしれないが、もしもの時は逃げ切ることはできるはずだ。
(後は相手の数だが――)
部屋の奥に進む。
奥の壁にあったのはドアではなく、勝手口だった。
貞治がそれを開けると、外の冷えた空気が一気に流れ込んできた。
小屋の裏手は開けた空間になっていた。
木造のテーブルと椅子が三脚、月明かりの下に置かれている。
バーベキュー場の名残だろうか。テーブルの向こうには木製の柵があり、その先は崖になっているらしく、闇の奥に向かって何も見えない。
凛太郎は椅子に腰掛ける。
木造の椅子は少し沈む感触をお尻で感じると、この木も腐っているのか、年月を感じさせた。
――そこに、先日の老婆が座っていた。
「良い月だねえ」
老婆がそう言うと、釣られて空を眺めた。
何故今まで気付かなかったと思うほどの、満点の星空に見事な満月が燦々と輝いていた。
「満ちる月は、向こう側の蓋を緩める」
「フッ。月狂条例か?」
1845年、イギリスのLunacy Act(月狂条例)。
満月の夜の犯罪は通常より軽く扱われた。Lunacyの語源はLuna、つまり月だ。
月が人を狂わせるという信仰が、法律にまで影響を及ぼした例だ。
「こんばんは。田中です。神が降りたと貞治さんから伺いました」
さあ始めろ、と仕切ると、老婆はゆっくりと頷いた。
「ちょ、ちょっと俺、トイレ行ってくる!」
そう言うと貞治は小屋の中に戻り、再び老婆と二人きりになった。
正確には、前回はユキもいたが。
ふう、と老婆は息を吐くと、ソレを呟いた。
「宿執至極の者、其の本懐を遂げし時、死出の寂光に照らされん」
聞き覚えのある呪文を唱えられると、凛太郎はふむ、と頷く。
老婆は皺の奥の目を細め、低く問うた。
「何を求める?」
シワで覆い隠された表情は、果たしてどんな顔をしているのか?
「何とは……? もしこの神社のことを言っているなら、秘密や由来か。人は隠されたものに興味を抱くように設計されている」
老婆は、少しだけ悲しそうな顔をした気がした。
「我々の、使命だ」
ほう、と喉を鳴らす。
とりあえず、神が降りたという文脈は一向に進まないことから、何か別の目的があるのだろうが――
「貞治、コイツは白銀だ」
「……?」
天笠花の関係者だと言われるものだと思っていた。
心のどこかで、日之影凛太郎と呼ばれるのではと準備もしていた。
だが、田中リンを白銀呼びする意図は一瞬わからなかった。
普段の凛太郎なら、少し辿ればその意味がわかっただろう。
ただ、仮に辿れたとして、
「ごめんな、田中君」
「え……」
振り返った視界の中央に、黒い円があった。
それが何かを認識するのに、一秒近くかかった。
猟銃の銃口が、真っ直ぐ凛太郎の腹を捉えていた。
「何をして――」
轟音。
視界が白く飛んだ。
音より先に、腹部が熱くなっていた。
鉄を押し当てられたような熱が、腹から背骨に抜ける。
「グ……は……?」
遅れて痛みが来た。
撃たれた――
――撃たれた撃たれた撃たれた!!!
シャツが温かい。
指で触れると、ぬるりとした感触。
血だ。自分の血だ。
なんで?
なんでオレは撃たれた?
腹部にこびりついた血液から、視線を上げると、
そこには次の二発目を準備する銃口が向けられる。
「ギ――ッ!」
足が言うことを聞かなかった。
這うように後ろに転がる。
距離を取らなければ殺される――!
豆電球の光が届かない方向、テーブルの向こう側、木製の柵の奥。
あそこまで転がれば、闇に紛れて逃げられる。
瞬時に判断して身体を引いた瞬間、
柵が、なかった。
あったはずの木製の柵は朽ちていたのか、体重を支えることなく崩れた。
大地を失い、身体が落下する。
「ぁ――」
落下して地面に叩きつけられた。
背骨が砕ける音を、自分の頭蓋骨の内側で聞いた。
土と落ち葉が背中の下で潰れる音は、その後で遠くから届いた。
語り部。
そして白銀神社の番人である老婆はようやく「ふう」と息を吐いた。
「……婆ちゃん。コレっきりにしてくれよ」
「安心しろ。本来は数世紀に一人しか現れないらしい」
後味は悪いだろうが、ひと仕事終わった。
それでもまだ解放されないのは、残業が残っている。
「あの田中と名乗った男……妹が居たな」
「……」
貞治は銃を撫でると、微笑んで見せた。
◇
地面に激しく打ち付けられた凛太郎は、もう助からないと悟った。
出血が止まらない上に全身骨折。
動けない。
数時間以内に、死ぬ。
動物が捕食者に襲われた瞬間、脳内麻薬であるβ-エンドルフィンが大量に分泌される。
デヴィッド・リヴィングストンがライオンに襲われた時の証言が有名で「噛まれた瞬間、痛みも恐怖も消えた」と書き残している。
捕食される側が苦しまずに死ねるよう、進化の過程で組み込まれた生体防衛機構らしいが……。
「は……ク……」
ホラ吹きめ――!
よくよく思い返せば、前回もこの謎システムは作動しなかったではないか。
残り数分か数十分か、苦しみながら死ぬことになると思うと、ここでも自分の不出来さを呪うばかりだ。
一応、今この瞬間にユキが居て、種を植え付ければ琴葉同様蘇生はできるらしいが……眉唾ものではある。
天笠花の種は、死んでなければよほどの状態でない限り蘇生ができると。
だが、結局木々が並ぶ森の中、誰も来ない。
凛太郎を見つけるのは数日後か、なんなら数年先かと考えれば、間違いなく生きていない。
(ああ、しかしオレは本当に浅学非才で――)
『馬鹿は死ななきゃ治らない』
その言葉が色んな紆余曲折を経て変遷し『バカは死んでも直らない』と変化したらしいが……もしかしたら、その言葉を作ったのは自分と同じ境遇の人間かもしれない。
(箱白……大宮…………ユキ……)
消えゆく意識の中に残る後悔は、やはり前世の葛藤。
崇高なる目的や使命など、持ち合わせていない。
今から、死ぬ。
その最期に頭を過ったのは、
(あの映画、どうやって続くんだろうな……)
最期は笑って死のうと自嘲しようとしたが、頬の筋肉ももう動かない。
満月が、木々の隙間から凛太郎を照らしていた。
不思議と、寒くはなかった。
むしろ、温かい。
身体の感覚が遠ざかっていく。
指先から、足先から、順番に消えていく。
最後に消えたのは、聴覚だった。
虫の声が、ふっと途切れた。
割れた携帯電話から着信音が鳴ったが、もうリンの耳には届いていなかった。
落下から3分後。
田中リンは誰にも看取られずに息を引き取った――。




