第三十三話:|稲村家の日常と、
『もう終わりだ……ゾンビ達に囲まれた……』
『そうだな。だが……俺は最後まであがく。うおおおおおおお!』
画面がブラックアウトすると、映画の前編の視聴を終えた。
応接間のテーブルにはせんべいの袋とユキの長い髪が散らばっている。
「……え」
「ふむ……」
つまらないわけではないが、前半でもう詰んでいる状態だ。
ここから後半、丸々二時間残るとなると映画の構成は考えにくい。
開始2分でゾンビに蹂躙されて殺される未来しか想像がつかない。
「ある意味、後半が楽しみだな」
「うん。ねえリンお兄ちゃん」
「ダメだ。続きは明日だ」
「う……」
時計を見ると、想定通りの19時を回ったところだ。
今日の夕食担当は店主なのだが、居候がこれ以上甘えてはいけない。
「オレは店主を手伝ってくる。ユキよ。わかっていると思うが、一人で続きを見るなよ」
「うん……うん……」
出来損ないめ。返事ぐらいしろ。
舌打ちを残すと、リンはリビングに移動する。
普段人気がないその場所には、先日から中年の女性の姿がある。
「あらリンちゃん! ちょうど良いところに! 今日ね。ウナギがスーパーで安かったのよ。でもね。タレがないのよ。私今から買ってくるから、今日の夕飯ちょっと待っててね」
「ふむ。タレはウナギにくっついているのでは?」
「素人さんねー! これね、そのままラップとかしちゃダメよ。一度全部洗って落とすの。それでトースターでカリカリまで焼いて、焦げる寸前でタレ入れて焼くと外国産が名店ぐらいおいしくなるのよ」
なるほどなるほど。
従来、こういった飲食店に関しては店主のみが切り盛りしており、家族はサポートだと思っていたが、稲村家は夫婦で料理の知識があるらしい。
「ではオレが買いに行こう」
「あらいいのよ。リンちゃんは座ってなさい! 今日もお仕事いっぱい働いたでしょ? ことはーーーーー! おい穀潰し! 琴葉! あんた何もしてないんだから買い物行きなさい!」
「待て待て待て。琴葉は忙しい。勉強に勤しんでいる」
「違うのよリンちゃん。あんたの彼女バカなのよ! 琴葉はバカだから大学とか行って遊んでばっかよ。そもそもね、今の時代に大学なんて私は反対だったのよ。あいつがうるさいから、俺は中卒だから娘は大学にとか言うけど、こんな地元の大学なんて行ってもね。なんの意味もないのよ」
「そんなことはない。大学に通うのは意味がある。尤も、それが本当に大学であれば話だが」
その後も話が長い琴葉母に適当に相槌を打ちながらも、結論をまとめる。
「では、オレが買いに行こう。ちょうど外に出たかった」
「本当に? なんか悪いわね」
「構わん。気にしないでくれ。おいユキよ。人の役に立てるチャンスが来たぞ。――買い物に行け」
そう言いながら凛太郎は部屋に入っていった。
◇
「……」
稲村家の壁はそこまで厚くない。
琴葉は壁越しに届く自分の悪口に対しヘッドホンを装着したが、すぐに気になって外した。
そしてしばらく嫌な気持ちで二人のやりとりを聞いていた。
感想として、どこの家庭でも大人は汚いと再確認するのであった。
◇
「ジャンケンで負けた方が行くの」
「構わん」
「いくよ、じゃーんけーん……」
ユキが手を振り上げるが、凛太郎は腕を組んだまま静止している。
「え、じゃんけんを……」
「ユキよ。オレはグーを出す」
「うわ……」
小賢しい心理戦が始まった。
「兄であるオレを信じるならば、パーを出せば勝てるな」
「……本当?」
「もちろんだとも。ただ、疑うならばユキもグーを出すのを推奨する。それであれば、最悪アイコになる」
ユキは納得が行かない表情で頷く……。
「裏の裏を読むなど浅はかな考えは推奨しない。もしチョキを出せば、オレのグーに負けてしまう。いいかユキよ。オレはグーを出す」
「うん……」
布石は終わった。
「最初はグー、ジャンケン…ポン!」
パー。そしてリンもパー。
「チッ……単細胞め。ではユキよ。次こそはグーを出そうと思うのだが……」
「はい! もうやるよ嘘つき兄ちゃん! じゃんけん、ポン!」
◇
「チッ……」
トリヴァースが提唱した『親の投資理論』がある。
妊娠・出産・育児を担う女はリスク回避する性質が遺伝子に組み込まれているという話だ。
そうなれば、オレの裏切りにも備え最悪でもグーを出してアイコを選択すると思ったが、結果的に想像以上に単細胞の妹にしてやられた。
『もし唯一の道具がハンマーなら、全ての問題が釘に見える』
マズローの原典通り、全てが法則に当てはまるという驕りが自分自身に確証バイアスを生んだわけだ。
(買い物自体は構わないが、あのクソガキ、裏切って一人で続きを見てないだろうな……!)
タバコに火を付けると、人通りがないはずの一本道に夜間ライトが灯った。
冷えた夜気が、煙をすぐに散らした。
「田中君、よかった。会えた」
「……貞治さん?」
名前を呼んできた中年の男。
先日白銀神社に案内してもらった、語り部の孫だ。
「実はキミに今すぐ来てほしいんだ。"神"が降りた。今、キミに見せたいと婆ちゃんが言ってた」
「神……」
前世の自分なら、鼻で笑っていただろう。
ただ、白銀神社で二度目の生を体験した身。
さらにこの世界の理から外れた天笠花を知った以上、そのような対応はできない。
「――神」
もう一度、呟く。
神が、降りた。
降りた、という表現は、現れたということだろう。
我々のサブカル知識では、身体を乗っ取る霊による憑依を連想するが……。
それは長い間探していた巫女か。
もしくは――四人目か?
「行こう――」
断る選択肢はなかった。
「ただ、買い物に行く途中だ。一報だけ入れていいか?」
「もちろん。心配かけちゃいけないからね。だけど俺と一緒だとか、白銀神社に行くことは伏せてくれ」
凛太郎は頷いた。
ユキに急用が入った旨を伝えると、白い貨物車に乗り込む。
助手席のシートは古く、座ると鈍い音を立てて沈んだ。




