第三話:髪が長い
早朝に山を出た。
結露がキラキラと輝く風景は登山であれば良いハイキングの思い出を築くかもしれないが、この二人はそんな日常と最もかけ離れている。
申し訳程度の歩道スペースは草木が生い茂り、
結局は車道を歩くことを強いられる。
一車線とはいえ、対向車分のスペースとなれば歩行には苦労はしないが、アスファルトの陥没具合を伺うに整備はされていないのだろう。
(道路が舗装されている以上、必ず集落まで辿り着くだろう――)
だがその道程はわからない。
5kmか、10kmか、20kmか。
特に一人ならまだしもユキも同行している。
子どもの肉体なら、長距離の遠征は難しいだろう。
「リン。ペース合わせなくていいから」
答えるよりも早く、ユキは大股でスタスタと前を歩いた。
「オレは歩くのが遅いんだ」
「いいって!」
そうやって先を歩いたものの、結局頑なにゆっくりと歩く凛太郎と歩調が並ぶ。
頭身の差で白い息が上下に二つ浮き上がると、ユキはフンッ! と鼻を鳴らしてそっぽ向いた。
しばらくすると飽きたのか、口を開いた。
「リンは生前、何していたの?」
反射的に視線を右下を歩く子どもに投げる。
表情こそ見えなかったが、どうせ子どもじみた反応だろう。
「仕事だな」
生前、何をしていたのか?
改めて噛み締めると少し面白い。『お前の人生なんだったか?』を一言で表すと本来答えに窮するだろうに。
振り返ってみれば、それでも仕事以外何もしていない人生だった。
「それ以外は?」
「何もない。ワーカホリックというヤツか……仕事しかしない人生だった」
「アハ、なにそれ。じゃあそんな人生終わって良かった?」
「女・子どもの発言だな。まさにユキだな」
少し突き放してみると、面白いようにムッと頬を膨らませた。
「リンって意地悪だよね。彼女いないでしょ」
「親も友達もいないな」
「……」
ひび割れたアスファルトの隙間から、名もなき雑草が寒空に向かって伸びている。
ユキは立ち止まる。
どうかしたかと振り返ると、左手を出した。
「疲れた。手」
「……?」
「手!」
言われた通り手を出してみる。
その手をギュッと握られると子供の高い体温が伝わってきた。
「甘えるなクソガキ」
「リンは思春期の中学生のまんまなんだ」
ふん、と鼻を鳴らすと再び歩を進める。
さて……こんな微笑ましい会話ができるのはあとどれぐらいだろうか。
水も食料もない。
熊などの野生動物に遭遇すればなすすべもなく二度目の死を迎える可能性だってある。
なんならそうやって苦しんで二度死ぬ地獄だと言われればそれはそれで説得力がある。
――ところが、
「……」
拍子抜けするほど早く、集落に出た。
木々の隙間から屋根が見え始めたと思ったら、もうそこだった。
そのタイミングでたった今歩いてきた道から車が通り過ぎた。
「着いたね」
「見ればわかる」
太陽の位置から推察するに、今は8時前か。
日の出と共に歩いたから疲れたではあるが、想像以上に苦行がなく拍子抜けしたところだ。
田舎ではあるものの、集落と言っても幾つか近代的な建物も見える。
もう少し歩けばコンビニやスーパーも目にする事も期待できる。
「さて」
ここから、どうするべきだろうか?
ユキの手を離すと、その疑問を視線で投げかける。
当然それはユキも同じで、なんとかしろと目で訴えてきた。
「……ふむ」
どうするべきなのか。
社会人経験こそ長いものの、前世はただの研究員だ。
バイタリティもなければ臨機応変に動く逞しさと乖離していた。
「公園に行って水を飲む」
「わかった」
なんとなく大通りを歩く。
人は少ないものの、犬のリードを繋いだ老人の姿や中年の女性がジョギングする姿も見られた。
交通量も増え、一日の始まりを演出する。
もう少しだけ散策をすると、周囲に海が見えた。
水平線が広がり、そこからポツポツと建物が見える。
ビーチなど観光向けの要素は見られず、代わりに漁船もいくつか確認した。
人間というのは不思議なもので、視認すると初めて重く湿った潮の香りが、建物の影からねっとりと這い出してきた。
恐らく、ここはどこかの島なのだろう。
「エプスタイン島の事件は知っているか?」
「え? あ……うん。もちろん!」
表情から察するに、知らないのに知ったかぶりをしているのがバレバレだった。
「主に2000年から2006年ぐらいだろうか。エプスタインという金持ちが島を購入したんだ」
「島って売ってるの?」
「そこはどうでもいい。その島では、未成年の少女を集め性接待が日夜行われていたとか」
「……ッ」
ギリ、とユキの歯が軋む音が聞こえた。
「そこもどうでもいい。世界中の至るところで蠢いている」
そう。それよりも、だ。
「世界の大富豪が金で買った子ども相手に人体実験を行っていたらしい――結局、陰謀論の域は出ないが」
「人体実験……なんの?」
「詳細は出ていないが、大流行したパンデミックなどだな。ここからは全く個人的な仮説だが、例えば――」
その言葉を言おうとしたが、一度溜めて。
「自分を死んだと思い込ませ、別の人間で人生をやり直させる実験なんてどうだ?」
「それはない。ワタシは死んだもの」
やれやれ。女は誤謬に弱いものだ。
◆
雑草が生い茂る整備されていない公園に到着する。
錆びついたシーソーが、風に押されて一度だけ短く鳴いた。
交互に水道水を飲むと、ようやく一息付いた。
「ねえ、さっきの話」
ユキが口を開くと少しだけ距離を取る。
「じゃあ……リンは、ワタシのデータを取る悪い人?」
その質問が投げかけられると、面倒くさそうに凛太郎はため息をついた。
「そんなわけないだろう。被検体であるユキに嫌われたら観測できない。オレだったら頭蓋骨や肋骨の内部に骨と同化させたICチップでも埋め込む」
「……わかった。リンはやっぱり悪い人なのね」
「自分で判断しろ」
思考のモヤモヤは言語化する事で明確になる。
そう。そうなると、こんな田舎で日本人が歩く中人体実験が行われる可能性は限りなく低い。
(まあ島ごと用意する必要はないと考えれば、100%排除できるものではないが……)
単なる無人島ではない。
漁船もスーパーも公民館もあり、人口活動が活発だ。
推定だが20,000人ぐらいの島民はいるんじゃないか?
(対馬……徳之島ぐらいか?)
その規模の島を丸ごと人体実験の会場にする可能性はゼロと断言してもいいだろう。
空を見上げる。
晴れてはいるものの、曇り空が広がっている。
(衛星からもこちらを目視できない……)
当然道中、例えば草木に監視カメラが徹底されていればそれもクリアはできるだろうが。
或いは逆にユキが観測者で――という可能性は、自分で潰したはずだ。
「どうするの?」
長い髪が地面に付かないように膝に乗せて座っているユキが急かす。
「髪が長いな。特異体質か」
「知らない」
「人の髪は一年で15cmほど伸びる。一度も髪を切らず生後9年経てば平均身長である135cmに数字上到達するが、そうじゃない。髪の寿命は最大7年で抜けるため105cm未満。腰や尻あたりで抜け落ちるんだ」
「ワタシが知らないのは、ワタシの身体のこと!」
そりゃそうだ。
言われてみれば自分だって20代の健康な若者の肉体で動いているのがわからない。
「これからどうするの?」
何をするにしても、色々と情報を把握する必要がある。
だが、それを行うためにも――。
「宿と飯だな」
「それはどうするの?」
「……」
さて、それはどうするんだろうな。




