第二話:リンとユキ
暗闇で山を降りるのは自殺行為だ。
と言っても山道があるので大げさかもしれないが、月明かりを頼りに歩くのは危険だと言う認識に違いはない。
虫と鳥の演奏が始まる中、凛太郎はここで一夜を明かす事を決める。
超音波を放つと噂されるコウモリも、実際に聴いてみるとなるほどと頷く。
超音波の真意はわからないものの、人間が不快に感じる音を発するのは確かなようだ。
「――名か」
何度目の呟きになるだろうか、先程の女性の言葉が頭を巡った。
日之影凛太郎は死んだ。
他殺だ。
目を瞑り、瞼の上から両目に触れる。
自宅に帰った時、拘束された。
相手は身に覚えのない外国人だったが……不運な闇バイトの被害者じゃない。
地獄のような折檻の後、幾度となくパスワードを聞き出そうとした。
最後に意識が途絶える最中、指を切られ眼球を抉られたのは身体で覚えている。
脳が痛みの閾値を振り切る寸前、視界がどろりと赤く溶け落ちた感覚。
拷問ではなく、せめてもの指紋認証と眼球認証だろうか。
光学には知見がないんだが、網膜認証とやらは主から乖離しても成立するものだろうか?
とにかく、だ。
間抜けな人生だったと振り返るのは容易い。
問題は今、この境内に腰を下ろす姿をどう説明すれば良いのだろうか?
人は死ぬとどうなるか?
誰もが一度は考えたテーマであろう。
個人的な考えでは、無になると思っていた。
だが肉体を乖離し霊になる。それが浮遊霊か地縛霊か、そういった宗派の考えもあり、或いは天国だが地獄だか死後の世界とやらも想定していた。
なんならいっそ、転生してチートスキルとかでもお笑い草だっただろうに。
答えはそれらのどれでもなく、別の人間の肉体を有している。
それで今、ここに座っている。
「……」
野宿ならぬ、野生動物が蠢く中だ。
睡魔などあるはずもない。
だが仮に今、綺麗なベッドが目の前に置かれたとしても安眠はできないだろう。
もしも寝れば、なんとなく次こそは別の姿になるのではと恐怖があった。
寒さが厳しくなってきた。
境内に散らばっていた枯れ枝を集め、ライターで焚き火をする。
爆ぜる薪の爆音と共に羽虫が火の中に吸い込まれ、パチリと小さく爆発する。
タンパク質が焼ける嫌な臭い。
この世界では、命の価値などその程度の熱量でしかない。
「フッ」
まるでポエマーだなオレは。
自嘲する。
今の自分の状況を俯瞰して見れば、そうなる。
何をやっているのかオレは。
というか、何をするべきなんだオレは。
自問自答を繰り返す中、境内からドアが開く音が聞こえた。
(さて、先程の女がヤミーならば、閻魔大王のお出ましか?)
主の登場に視線を投げると――そこには日本人形のような少女が居た。
閻魔大王の対極。
足まで届くほど長く、艶のある長い髪に、揺れる瞳。
少女の口を開いては閉じ、また開いては閉じ。
それを何度か繰り返した後、振り絞った言葉。
「……ダレ、ですか?」
「……」
その質問に凛太郎は首を傾げた。
(ダレと言われてもな……)
日之影凛太郎。
だが、それは死んだ。殺された。
であれば、今居るオレはダレなのか。
それはオレ自身が知りたいものだ。
今後を考えれば名前を決めるのが先か。
「住職のご令嬢か?」
「……」
反応はない。少女は呆然とそこに立ち尽くしていた。
明かりが弱い中、表情はよく伺えないが、そこはかとなく拒絶の色が滲んで見える。
「なんで……なんで……ッ!」
凛太郎の頬は少し綻んだ。
この少女は凛太郎を見て何故と『Why』を問いかける。
であれば、自称凛太郎と言い張る自分の誤認を解く有力な情報源になるだろう。
少女は凛太郎の姿を見て驚いている。
つまり、"オレ"を知っているのだ。
「ワタシ、死んだのに……!」
「――ほう」
――そっちか。
自分は日之影凛太郎だと思っている。
――そんなわけがない。
となると、別の何かだ。
クローンか?
脳みそをこの若い肉体に移植をしたか?
そんなSF展開も想像したが、本当はオレ自身、厨二病か精神病か二重人格かわからんが、自分を日之影凛太郎と主張している別人Bだろうかと。
そもそも日之影凛太郎という人物が存在するのかも怪しい。
ところが、だ。
「ワタシは死んだ、死んだのに、死んだ、死んだ……」
死して尚、ここに姿を現す者が二名。
日本人女性の平均寿命は87歳。
フェルミ推定で考えれば、この女性も元は老婆で命を亡くし――。
「――ップ。ククク……ハハハハハハ!」
何がフェルミ推定だ。
こんな怪奇現象で想定もクソもないだろう。
「アナタは……ダレ?」
「なるほど、なるほど……。それならば、名乗ってもいいか」
凛太郎は立ち上がると、小学生ぐらいの少女に会釈を見せた。
「オレはリンという名だ。一度死んでいる」
「――え?」
驚いた表情を見せたものの、少女は何かを考えると何度か頷いて見せた。
「ワタシは……ユキ」
そうか、と短く凛太郎は応えた。
とにかく、死して尚ここに姿を形取るナニカが二名揃ったわけだ。
もしここが死後の世界ではないならば。
可能性は二つ。
我等はナニカの被検体か、
或いは、ナニカの超常現象を体験しているのか――。
「アナタも生を受けて、復讐するの?」
おや、と首を傾げる。
復讐とな。物騒なワードが出てきた。
「ねえ、今――何月何日? "カタリ"は生きているよね? 全部殺さなきゃ。絶対に、絶対に、絶対に、こんなチャンス――」
「おやおやおやおやおや」
なるほど。老衰や持病ではなく、この女性も何者かに殺されたと。
人為的か神の気まぐれか、なにかしら法則性がありそうな証言だ。
「何歳で殺されたんだ?」
その問いには答えなかった。
混乱しているのだろう。
もしくは、今更になって自らの死を受け入れられないのか。
「もしも地獄の門番が居なくて、ここが現世と仮定しようか」
あ、とユキは声を上げた。
確かにここが地獄であるかもと、彼女自身今気付いたようだ。
「もしここが現世なら――しばらくはオレと行動を共にしないか?」
「……」
少しだけ考えたが、ユキには選択肢がなかった。
もとい、ユキ"も"選択肢がない、が正しいが。
「リン。アナタは信用できる人?」
「子どもの姿だからと言って甘えないでくれ。それは自分の目で判断しろ」
「――そう。正直な人は嫌いじゃない」
生意気な女だな、とも思ったが、そんな事はどうでもいい。
どうでもいいと思えるほど、今の状況に混乱している。
ユキは境内から降りると、少しだけためらってから焚き火をしている凛太郎の隣に座った。
そしてスッと右手を出した。
「よろしく」
凛太郎は白い小さな手を眺めた後、ユキの表情を眺めて自嘲した。
「勝ち気な女だな。そういうのは好きだぞ」
「結構女性口説くタイプ?」
「フッ。そんな事言える余裕がもう生まれたか」
「違いない」
しっかりと握手を交わす。




