第二十九話:ここまで振り返って
白河杏子と出会えたのは天啓だった。
四月十日。
田中リンが大三元にやってきて二ヶ月が経った。
一番変わったのは何かと言われれば、この喫煙所だろう。
粗大ごみと草が生い茂っていた裏庭は、レンガの舗装にパラソルにライト。
椅子にテーブルと、客も活用できるほど立派なビフォーアフターを成し遂げた。
夜風が緩く、パラソルの縁が揺れた。
その場所を楽しむように白い煙を浮かべ、やがて煙の先は夜の闇へと消える。
積み上げられた数日分の新聞を広げながら記事を眺める凛太郎は、想定通りの記事に頷いた。
(――やはり大日本製薬の記事はないな)
日之影凛太郎の死。
まだ詮索の途中ではあるが、二月一日。死亡日だと思われる日の前日から遡って詮索するも、該当する記事は一向に出てこない。
日之影凛太郎の死は、都合が悪い。
大日本製薬にとっても、イーライリリーにとっても、そして日本政府にとっても。
つまり、戸籍上の日之影凛太郎は生きていることになる。
(銀行残高から金を引き出すのは問題ないだろうな)
そうなれば当然、足が付く。
これら都合の悪い組織全てがその泥棒に目を向けるが、それを白河杏子に担わせれば良い。
彼女が拘束されてゲロったとして、彼女は日之影凛太郎を何一つ知らない。
知っているのは田中リンのみ。
もちろん田中リンの名を捨て『如月健太』『如月優衣』の名を活用する場合はその限りではない。
肉親が誘拐されたらしい杏子だ。
海外に飛ばされたとなれば、女であれば生存している可能性は高く、それでいて金で解決はできる。
但し、その額は二千万……多く見積もっても三千万円で事足りるだろう。
仲介のブローカーを経由して上に一千万乗せるとして、それでも日之影凛太郎の口座を使えるなら問題はない。
カメラこそ店主に防犯用を購入してほしいとねだり、山奥に設置して巫女の詮索に充てたが、それ以外は杏子経由だ。
結局カメラに巫女の姿はなかったが、山道を出入りする車のナンバーを調べ、後は人海戦術で特定をした。
そこで杏子名義で購入した秘密道具、発振器を取り付け、
『作家・田中リン』として接触したのが先日だ。
余談だが、他にも盗聴器やトランシーバーもあるが……今のところは使い道はないか。
まあ手札は多いほうが良い。
本土に行った際にも、ブローカーとのパイプを欲しがる杏子だ。
一役買って繋げてやる代わりに、戸籍がある彼女の名義でマンションに住んで住民票を移せば、いよいよ地に足が付いた活動ができる。
とは言えこの島とは違う天空システム。
監視カメラが跋扈する追跡社会だ。
思考や段取り、実験は全て島内で算段を立てるべきだ。
全ての新聞にざっと目を通すと、次の日の新聞を広げた。
同時に、銀ヤスリが回り煙が生まれる。
――ここまで。
振り返った時の最優先事項として、自分は田中リンなのかという疑問が残る。
完全に払拭は出来たとは言えないが、少なくとも自分の身体の持ち主はこの島には存在しない。
田中リンも、田中ユキも。
オリジナルか、もしくは本土だ。
であれば、義理は果たしたと片付けられる。
次に気になっていた巫女の詮索だが、これも同様にベストは尽くした。
時間切れで……と切り捨てるつもりではあったが、
『強い怨念や執念を持ったまま死んだ者は、その目的を達成して初めて成仏できる』
これは言われてしっくり来た。
カタリとやらに復讐を心に刻んだユキはまさにソレだ。
『この世界を白銀に染めるほどの悪魔が現れないように、ここの神様にお願いしている』
言うまでもなく――天笠花と巫女は同列だと。
そうでなくとも、その可能性は秘めている。
であれば、所在の把握は絶対条件となった。
「……」
(例えば一度本土に行って、その後資金を調達した後に島中全てにカメラを仕掛け……意味がないか)
仮にカメラとAIを駆使して人物を掌握できたとして、島から出てしまえばもはやお手上げだ。
フェリー乗り場からの情報を杏子経由で押さえている今とは前提が大きく異なる。
(まあ巫女が重要だという認識が出来た。神社に足を運んだのも大きな収穫だったな)
本土に行って、金を引き出すまでに三ヶ月は欲しい。
ある意味、殺された時期は良かった。
次の『デッドマンズスイッチ』はクリスマス。
まだしばらく時間がある。
ユキはアメリカンスクールに通っている設定にすれば、九月より入校。
ちょうど時期も噛み合う。八月中には出れば良い。
杏子同様、ユキにも金と名義と彼女が活用しやすい道標は充分に残せる。
余裕があればカタリとやらを一網打尽にする案なども教示できれば幸いだろう。
本土で大宮と接触できれば自分の銀行口座にもアクセスができる。
が、最終的には杏子に被ってもらうだろう。
ただ、そのためには助っ人が必要で、もとい金だ。
ここまでの成果は及第点をあげていいだろう。
残るは巫女の把握と目先の金の確保。
それと天笠花の性能調査ぐらいだと。
「チッ……」
それであれば想定通りだが、一つ生まれた大きな面倒事。
(琴葉がどうしても面倒だな……)
大学生の彼女を本土に連れていく。
連れて行かなければ死ぬ。
知ったこっちゃないと切り捨てることもできるが……まあ……。
「……チッ」
舌打ちしか出てこない。
じゃあ一緒に連れて生活するとなれば、大三元の経営にも穴が開く。
店主に申し訳ないと思う反面、凛太郎としても邪魔以外の何物でもない。
杏子と違い、戸籍やリスクを冒せと命じるに値する目的がない一般人だ。
ただの足枷にしかならない。
『――リン。どうしたら良い?』
琴葉を消す未来もあった。
あのクソガキが一瞬でそこまで考えられたとは思わないが、結果的に面倒な選択になったのは間違いない。
「ゆえに、浅学非才か……」
自嘲すると、全て読み終えた新聞の束を足元に落とした。




