第二十二話:ディスカウントはいかほどに?
「杏子よ。今の日本の教育について知見を伺いたい」
「なんだ急に」
ブリーチを入れたての綺麗な金髪な女性に対しての第一声は社会課題だった。
杏子に案内された彼女の家。
1DKのアパートは今どき珍しい和室で、年季を感じさせるつるつるの畳の上だった。
壁際にはギターケースが二本立てかけられ、その隣に小さな本棚がある。背表紙が見えないように逆向きに並べられた本が、何冊かあった。
お世辞でも立派な家とは言えないが、予めペットボトルのお茶を置かれていたのが彼女の人間性を示している。
「ほらよ」
手提げ袋から出てきた依頼品を見て、自然と凛太郎の顔が綻んだ。
「ほうほう。見事なものだ」
免許証、マイナンバーカード、そしてパスポートまでも。
実際に海外に行けるかはさておき、ここまでの質ならば性能面も期待できる。
「しっかし初対面で偽名とは良い性格してるな」
打ち込まれている名前は『如月健太』『如月優衣』の二名。
表示されている顔写真はリンとユキのものだった。
「すまないな杏子よ。キミのような美女に声をかけられ、ついウソをついてしまったんだ」
「ハッ。そうかよ」
思わず口走ったリップサービスもどうやら不評のようだ。
パスポートはさておき、免許証の値段を考えれば正規ルートよりも安くてお得感がある。
尤も、免許証に関しては照合されればアウトだろうが、検問程度ならこれで凌げる。
財布を取り出すと、約束の後払い分の紙幣を数えていく。
二人分で合計二十万円。
ところどころ凹凸が目立つ木目の机に不釣り合いな紙幣を並べると、そのうち一枚を、爪の短い指がゆっくりと押し返してきた。
「リン――お前何者だ?」
凛太郎は微笑むが答えず、戻された一枚の紙幣を人差し指で押すと、こっくりさんのように相手に突き返す。
「フフッ」
(そういえばこういうやりとり、以前琴葉ともやったな)
「ただの思いつきの偽名じゃねーってわかってんだよ。こっちも調べた」
二人の間に銀色の灰皿が置かれると、
それを合図にやすり車の音が二つ重なった。
杏子は「なんか政治の話をしていたよな」と、煙を吐きながら切り出した。
「今の日本の……そうだな、拉致問題ってどう思う?」
「非常にセンシティブな話題だな」
情報を牽制し合うように、灰皿をたばこがつつく。
「行方不明者は年間で10万人近く……日本だぜここ。世界一安全な国でこれだ」
「陰謀論の動画視聴が趣味なのか? 危機を煽るのはオールドメディアもインターネットも変わらない。ほとんどが痴呆老人の徘徊が実態だ」
金髪は口から、白い煙を吐いて応えた。
「三年前に失踪した兄妹。若いのにニュースにも取り上げられない。おかしくねえかコレ?」
「ふむ」
答える気はない、と一万円札を押し込むが、押し戻される。
どうもこの島の女はチップを受け取らない風習が根付いているらしい。
(いや……違うか)
この場合、情報料を拒否しているのはコチラかと自嘲した。
拒否しているのに、杏子は進む。
「如月健太。如月優衣。なんでこれメディアに出ないんだ。なんでリンはこの兄妹知っているんだ?」
何故そんな当たり前なことがわからない? と、手を広げて見せる。
「それはオレの本名が如月健太だからだろう。そしてプライバシーの侵害に抵触する可能性があるからだと推察できるのでは?」
「――"背乗り"だな」
その言葉に、少しだけ凛太郎の頬は綻んだ。
会話は成立しない。
恐らく、杏子の中でここまでは壁打ちするまでもない確定事項なのだろう。
「おやおやおや、杏子は見た目に反してずいぶんと難しい言葉を知っているんだな」
背乗り(はいのり)
工作員や犯罪組織の構成員が実在する他人の戸籍や身分を乗っ取り、
その人物になりすまして生活・活動する行為を指す。
「元は警察用語なのだが、ネットの普及で一般人にも知れ渡ったのはインターネットの功績だろう。オレも興味があってな。そういう番組のオススメがあれば是非教えてほしい」
「話し変えるなよ」
釘を刺される。
どうやら逃がしてくれないらしい。
真剣にこちらを見据える彼女に、凛太郎はふむ、と推察する。
そこまでやるとは思わなかったが、想定の範囲内だ。
如月健太、如月優衣の写真に辿り着くことができれば、田中リン、田中ユキと別人である事実は決定的だ。
それでは、と凛太郎は思考を進める。
「なるほど。今のオレの考察はこうだ」
一つ、間を置く。
「正義の心を持った杏子の事だ。恐らく何かしらの裏世界に潜り込んで情報を得ようとチキンレースをしている。特筆すべきは、キミは警察組織のおとり捜査などではなく、一個人でそれを行っている」
杏子の表情は変わらない。
「危険だ。心配だ」
「――御託はいんだよ。質問に答えろ」
今にも襲いかかりそうな衝動を押さえているように、
「お前は、なんだ?」
ふむ、と考える。
誰も彼も、答えにくい質問の連続だ。
「白河明里を知っているか?」
返答次第では今すぐ襲いかかってきそうな迫力。
対する凛太郎はと言えば、白い煙に隠れながら、ため息を吐いた。
終始笑みを浮かべている凛太郎の表情は一向に崩れない。
「――少し買いかぶりすぎたかな?」
ゆっくりと目を細めた。
「その質問は頭が悪い。考えてもみろ。オレからすればここは敵地だ」
さて、どう説明しよう、と言葉を探した。
意図して間を作るため、頂いたお茶に口をつけた。
「仮にオレがハリウッド映画のような悪役だとして……そうだな。今、杏子を殺すワンシーンだとしよう。わざわざ視聴者に語るほど優越感に飢えている人間ではないというのが見てわからないか?」
畳が軋む音が、鳴った。
しかし凛太郎は止まらない。
「知っている場合は知らないと言い、知らない場合も知らないと答える」
「――知っているんだな?」
「知らないが――」
襲いかかろうとした金髪が止まる。
が、の次の言葉を聞くために。
トントン。
言葉の代わりに、紙幣が並べられているテーブルを叩く音が返ってきた。
「さて、ディスカウントはいかほどに?」
「良い性格してるよな、本当に……ッ!」




