第十二話:最優先事項
むくりと身体を起こす。
隣にはセミの脱皮のように布団だけ残されている。
そこに手を置いてみると、体温は感じず布団独自の冷たさ。すれ違いではなく、ある程度時間が経っているのだろう。
ぼんやりと時計を眺めると、自己嫌悪に陥った。
「……おやおや」
午前10時。
土日はディナーがあるため、確かに18時間労働をしているが前職に比べて特別多いわけでもない。
それにしてもその後すぐ眠りについて……と考えても、10時間も眠っている。
前世の研究職ではあり得ない怠惰さだ。
肉体労働という点も考慮するべき要素だが、或いは、ぐっすり眠れるのが若さなのだろうか?
「しかしあのクソガキは本当に……」
いつも口酸っぱく畳めと言っているのに。
仕方なく布団を畳んでいく。
と、そこにご飯粒が落ちているのを見つけた。
シーツの皺の間に挟まった、カピカピに乾燥したご飯粒。指先で弾き飛ばすと、コン、と乾いた音を立てて床に転がった。
「ぐ……ッ!」
買い食いをするなとは言わん。
そういうのは家庭内ごとにルールがある。
それは尊重してやってもいい。なによりユキは自分で稼いでいる。それはいい。
だが布団の上で食べる下品さだけはどうしても反吐が出る。
くしゃくしゃになったシーツを取り出し、布団に付着したご飯粒を取り除いていく。
面倒な時間を終え、ようやくユキの布団を畳むと、敷布団の下にパンツを含む小さなパジャマがくしゃくしゃにされているのを発見した。
「仮にも女だろ……あの年齢では自我が芽生えないのか……?」
小学校高学年。推察するに11歳前後の身体だろう。
(或いは中身は還暦を越え、女をとっくに終えているため習慣がない可能性もあるか)
思い返せばユキの生前の年齢は知らない。
恐らくは今の実年齢と同程度だと思うが、アレは全部演技で日之影凛太郎よりも歳上の可能性もある。
自分は今、10時間もぐっすり寝れたんだ。
別の可能性として、あの見た目。11歳前後の器に入ると知能が低下するなんかも考えられるか。
興味がないわけではない。
話を聞ければ法則性の近道になるだろうが、それ以上に自分の事はあんなクソガキに話したくはない。
それに今これ以上懐かれれば天笠花だの面倒な事に巻き込まれても困る。
手を動かさずに怠惰な時間を送ると人は不安になる。
手を動かし勤勉に向き合えば未熟な相手に不満が募る。
(そういう意味では、今のオレには不安はないな――)
パサリ、と一枚のビニールが落ちた。
自分の布団を畳んだ時、その下からコンビニおにぎりのゴミが出てきたのだ。
「……ッ!」
どうでもいい事だが、ちょっとだけノリが上手く取れず残っているのも頭にくる。
(しっかし、あのクソガキには不満が募る一方だな――!)
洗濯機に突っ込むと、そこからはいつものルーティーン。
洗面所で顔を洗ってまずは外で一服。
店裏の喫煙所で眺める木のフェンスは絶景とはほど遠く、換気扇から流れる空気は喫煙者の居場所を悪くする。
かつて成人男性の83.7%が喫煙者だったのは過去の話。
現在の日本において、これほどまでに少数派になり肩身が狭い思いをさせられ、税金の徴収を強いられる弱者ぶりを痛感する。
「さて」
タバコを吸いながら本日の予定を組み立てる。
月曜日と火曜日は店が休みなのでそのまま休日となる。
好きな事ができる。
(まずは掃除か……)
最優先事項として、リビングと部屋の掃除機をかけよう。
次に山道に仕掛けたカメラの回収。
もしスマホ毎紛失していた場合、それはそれで監視されているとなれば、何らかの組織の関わりが確定……まるで釣りだな。釣果が楽しみだ。
聖書も少し勉強したいな。
まず手元に書物を用意する必要がある。本屋か……出費は抑えたい。琴葉に頼んで図書館から拝借する術を考えるか……。
「しかし己の無知さに怒りを通り越して呆れるものだ」
神社に書かれた言葉の意味がわからない。
宗教の知見も無い。
売上アップも先月比200%を目標にしたが、未達で終わりそうだ。
飲食業では雑務もプロに比べて劣る。そもそも玉ねぎすら満足に剥けない。
恐らく従来は人生二周目となれば、一周目の知見を活かしある程度の物事を効率良く運ぶ事ができるのだろう。
(それが未熟で怠惰である己はこのザマだ……ッ!)
不甲斐ない己に嫌悪しながらも、今はひとつずつ片付けるしかない。
「しかしユキもいないか……」
しばらくペット動画を見漁っていた様子だったが、流石に飽きたか。
バイト代は半分渡してある。
一人で遊びに行ったか、或いは……今の身体で天笠花とやらがどこまで出来るか試していたりか?
クソガキには興味がない……と斬り捨てたいところだが、天笠花への興味がないと言えばウソになる。
しかし、自分の事すら満足に出来ぬ未熟な大人が人を気に掛ける道理などない。
タバコを終え、店の前に立つ。
少し離れて立ち、大三元の看板の出来を確認する。
「……ふむ」
あまり目立つ感じはしない。
のぼりでも立てたいところだが、これだけ盛況している老舗だ。集客面を考えるのは野暮だろう。
と、そこで店の窓が少し汚れているのに気付く。
後で拭いておこうと決めるが、そこに張ってあるポスターの存在を認識した。
『しろがね卒業制作展』
「――ほう」
やはり『はくぎん』ではなく『しろがね』であったか。
わざわざ油絵で書かれた立派な校舎には、人の温もりを感じる芸術性が秘められている。
卒業制作展という展覧会の告知に、フォントや絵に対する熱意が伝わる。
「美大か」
琴葉は時折店に居ない。かと思えば一日中働く。
詮索はした事はないが、容姿の年齢から推察するに、大学生かもしれない。
卒業制作展の日付は都合の良い事にちょうど本日だった。
「ん? ……ああ、なるほど」
月曜日。今日は祝日か。
明日にはこのポスターも剥がすか。
もしかしたらユキと琴葉もこの催しに顔を出しているのかもしれないな。
再び裏に周り二本目のタバコに火を付けて、考える。
「……ふむ」
学園イベント。
多種多様な飲食店が出店する。
子供のおままごと。見るに値しないと切り捨てるのは早計。
一流の成功例ももちろん知るべきで、それらはスマホ端末を手に入れた以上自学自習が可能となった。
逆に失敗例として、悪い例を取り入れるにはこれは知見を広げる絶好のチャンスとも言える。
それにこの街に来て……街に降りて、という言い方が正しいか、まだ街を巡った事がない。
「ほうほう」
良い機会ではあるが、浅学非才の身を皮肉ではなく、それを痛切に自覚しているオレにそんな時間は――
――待て。
タバコが、途中で止まった。
「……」
見落としがある。
というか、何故この考えが頭から抜け落ちていたんだ?
街に出た時、日之影凛太郎を知るもの――それは絶対にいないだろう。
この島の記憶はオレにはない。
仮に日之影凛太郎が誰かに観測されていたとして、相手が交流を求めるわけがない。
というか、そのいない相手を想定して今まで記録を取らず、端末を警戒し過剰なセキュリティ対策をしていたと言えなくもない。
もう一つの方だ。
この身体の持ち主を知っている可能性は――在る。
「……」
そもそもオレは日之影凛太郎。
――と、自認している別人Bの可能性がある。いや、むしろそっちの方が高い。
何故死亡した日之影凛太郎がここに生きているのか。
オレは何かの拍子で自分を日之影凛太郎と思い込んでしまった病気……脳移植……超常現象……
それら内訳はさておき、少なくともそっちの方が説明がつくケースは多い。
自分と同じ症状であるユキを見てから、その可能性に無意識に蓋をしてしまった事が愚かとも言えよう。
(となれば、オレは打って出るべきだが……)
何かその際、不都合があるか考える。
考えた結果、大三元である程度の人目に晒されている以上、この思考そのものが自分の頭の悪さだと気付いて嫌悪感が増すだけだった。
「嫌悪感、嫌悪感、嫌悪感……ククク、まさにオレの知るオレに戻りつつあるな」
同学年の目に多く触れる展覧会への参加。
これ以上のチャンスはそう多くないだろう。
「行くか」
これは、最優先事項だ。




