グレイトバリア島
浜辺との距離を急速に縮める巨大な影にはヒレや髭のようなモノがあり、カイは逃げ出したい気持ちにかられるが、願望とは裏腹にマウイ神の強い意志で身体が怪物の方へと近づいて行く。
「ちょっとちょっと、マウイさん、そっちには行きたくないんですけど」
「あれは、タニファだ。怖がることはない」
「タニファ? え? タニファって海の怪物だろ」
カイがあたふたしている間に足元に冷たさを感じ、いつの間にか海に入っていることに気付く。
「主様、お久しぶりでございます」
海面からゆっくりと朱色の竜が現れる。大きな金色の瞳に金色の長い髭が美しい朱色の身体に映える。
太平洋地区で度々伝えられるタニファは、女性や子供を食べる海獣であるが、オークランドからコロマンデル地域とグレイトバリア島に囲まれたハウラキ湾では、カヌー等が無事に航海できるように危険から守る妖怪として称えられている。
「うおっ」
カイは驚きから小さな悲鳴をあげるが、身体は前に現れた竜の顔に手を置きホンギ(鼻と鼻を合わせる)をしていた。
「キワ様を捕えられませんでした。申し訳ございません」
「アロハが一緒か? 月族の気配もする」
「はい、それと人間も手を貸しているようです。飛行機でグレートバリア島に行きました。重ね重ねの失態、面目次第もございません」
責任を果たせなかったタニファは心苦しさから、マウイ神と目が合わせられず、巨体を低く保ったままポツポツと言葉を零す。
「人間に危害を加えられない、退いたのは賢明な判断だ。俺様の方こそTIKIを奪われ、役立たずだ」
マウイ神はそう告げると苦笑いを浮かべ北の方角を眺めた。
「グレートバリア島か・・・癒しの湯で力を得、TIKIを操るつもりか」
「そのようです」
ようやく首を上げマウイ神を真っすぐと見つめるタニファの顔をマウイ神は再び愛おし気に撫でる。
「マウイ、やっぱりお祖母ちゃんの所に行こうよ」
「此度の器は面白いことをおっしゃるのですね」
「ああ」
カイの提案に他の僕と同じように抵抗を見せたタニファは髭を2、3度揺らしてみせた。
「カイの言う通りかもしれんな」
「マウイ様」
「主様」
「親方様」
タニファだけでなく憂慮な表情の僕達もマウイに声を掛けると、マウイ神は腕を組み背筋を伸ばした。
「お祖母ちゃんに殺されたのは人間のためだろ? だったら」
「誰のためなどババ様には関係ない」
「でも・・」
「母上が俺様を身籠ったときから疎まれていたらしい。俺様がババ様の脅威とならぬように俺様の能力をババ様が取り上げたのかもしれぬ。その代わりとして母上はTIKIと僕達を俺様にくれたのだろう」
「そうだったのか」
生まれながらに家族から疎まれていることに、兄ランギが吐き捨てた言葉が蘇ると心が痛んだ。
カイが二役をこなしているように会話が進み、周りから見れば滑稽だが、僕達もタニファも固い顔を崩さずに静かに拝聴していた。
「過去に蘇ったときはどうだったの」
カイの問いに今までは即答だったマウイ神がしばらく無言であったため、カイは不都合な質問をしてしまったのかと僕達に視線をうつすが、彼等は微塵も動かず気まずい静かな時間が流れ、カイはゴクリと唾を飲み込んだ。
「実は蘇ったことがない」
「は? どういうこと? 人間は俺が初めてって言ってたけどさ」
「今まで差し迫った危機がなかったしだな、器が神であったから、奴らが適当に対応してくれていた」
「どうして蘇らなかったんだ?」
「ごほんっ!」
黙って聞いていたウルタプが咳払いをするとカイを睨みつけた。
「俺、何かまずい事を言った?」
「まあよい、俺様はババ様に殺されたことで、死の恐怖に抗えない、単に蘇るのが怖いだけだ。半神であっても、人間と同じだ」
マウイ神はそう告げると、カイの身体で頭を掻いた。
「そんな・・ご自身を蔑まないでください。心が痛くなっちゃいます」
「親方様はご自身が蘇らないことで、この星に危害が及ぶことを危惧されて、儀式だけは行われておられたでござる」
僕達は熱い視線をカイの器を通してマウイ神に注いだ。
「俺もだけど、生贄を皆、生き返らせてくれたんだ。良い奴だな」
「当たり前や」
自分のことのように鼻を高くしたウルタプが即反応する。
「今回は非常事態だから蘇ったのか?」
「此度は、マラエ、あ、海の女の悪知恵だな」
「悪知恵?」
神秘的な美しい女性に、今まで見たことのない表情を向けていた兄が脳裏に浮かぶと唇を噛んだ。
「カイ、何度も胸のあたりに違和感を感じるのだが、これはなんだ?」
カイの動揺がマウイ神にも伝わるが、複雑な感情をうまく言葉で説明できないカイは、胸元に手を添える。
「え? これは・・・何て言えばいいのかな」
「人間の器と同化するのも蘇るのも初めてだが、カイがあの時に驚異的な力が使えたのが釈然としない」
マウイ神はそう告げ首を傾げると洞窟内でのできごとを回想する。
「親方様、カイ殿にあのような力がおありでござるのですか?」
「確かに、あの時一瞬、主様のマナを失いました」
「マラエ様の懇願にも応じてへんかったです」
「自分がカイと会ったときにも違和感を感じたのですが・・・」
モアナが大きな鼻穴を膨らませるとカイを見つめた。
「確かに、アタシも感じたのよね」
フアは肩にかかる美しい紫色の髪をかき上げるとモアナに同意する。
釈然としない疑問が脳に引っかかるマウイ神達は、怪訝な面持ちをカイに向けた。
レイノルドが連れ去られたグレートバリア島は、オークランドからフェリーで4~5時間、飛行機では30分の距離だが、人口の少ない広大な島である。手付かずの大自然が残る素朴な島で湿地や海岸沿いではこの島特有の動植物に出会える。ハイキングや乗馬にスキューバダイビングなど美しい海と山のアクティビティで身体を動かした後には、マッサージや秘湯で疲れを癒すのが人気である。またキャンプ地から豪華な宿泊施設、テイクアウトやレストラン、バーなども充実している。孤島であるがゆえに、世界で3番目の「ダークスカイ・サンクチュアリー(星空の聖域)」にも指定され、非常に暗い環境で美しい星空を拝むことが可能で、近年ではテカポよりも美しいと言われるほどである。




