第十話 質量保存の法則
エネルギー保存の法則。それは、俺たちの宇宙を支配していると考えられていた法のうちの一つだ。
具体的に言うと、「エネルギーは移動することも形を変えることも可能だが、作りだしたり、なくしたりすることはできない」ということだ。
まあ、質量がエネルギーに変換されるので、厳密にいえばこれは成り立っていないのだが、相対性理論において質量はエネルギーの一形態である。したがって「質量を含めたエネルギーの総和が保存されている」ということができる。
この世界でも、基本的にこれは成り立っているように思える。そう、魔法という例外を除いて。
言葉を紡いで、炎を生み出し、風を操り、雷を落とす魔法。これらは一見エネルギー保存の法則を完全に無視している。
俺たちは訓練の傍ら、こうした魔法の謎を解明すべく日々邁進していた。
「俺は何をすればいいんだ?」
そんなある日、俺は大久保に呼ばれていた。
彼は化学者として数々の功績を残してきた正真正銘の天才だ。何か手伝えることがあるといいのだが。
「この部屋の中で、あの桶の中に魔法で水を作ってくれ」
その部屋の中にはほとんど何もなく、床に桶が、壁に二本の赤い液体が入ったガラス棒があるだけだった。その片方の下のほうはよく見ると濡れた毛で包まれている。
「これは…乾湿計か」
「そうだ。水魔法が空気中の水分を集めているのか、それとも本当に水を生み出しているのか。この部屋を密閉して魔法を使えば判断できるだろう。できれば、一定の速度で水を作ってくれ」
また難しい注文を。魔法は大部分が感覚によるので、精密作業とはほぼ無縁の場所にあるのだ。そういうのは術式が解明されてから言いなさい。
「まあ、善処はしよう。じゃあ、はじめるぞ。」
大久保が記録をとる態勢になったのを見計らって詠唱を開始する。
「水よ。我が前に湧き出でよ。『湧水』」
桶の底から湧水が出るようなイメージで魔法を使う。これならある程度ゆっくり水を作れるだろう。
そんなことはなかった。
「もう終わりか。ゆっくりやれと言っただろうに。10秒もかかってないぞ」
「無茶言うなよ。こんなに少ない量だとはさすがに想像しきれないって」
そう。水はほとんど溜まらなかったのである。
「どれどれ。深さは…7mmか。最初は気温25℃で湿度60%だったから多少多いが、残りは桶や我々の水分かな」
「この分だと水魔法はほとんど使い物にならないな。さすがに少なすぎる」
「水辺では使えるのだろうがね」
水魔法はそこまで万能なものではなかったらしい。普段使うときはどこかから水を持ってきていたのだろう。それが遠いと消費魔力が多くなると予想される。
「まあ、当然といえば当然なのだがね」
片付け(といっても桶と乾湿計を取り外すだけだが)をしながら、大久保はそう口にした。
「ん?どうして?」
「よく考えろ。もし魔力というエネルギーをそのまま水という質量に変換していたのなら、単純にE=mc²で考えて、水1Lの生成に約TNT20億Mtと同等のエネルギーが必要になるのだ。無理に決まっている。だが、魔力は単純なエネルギーとはとても思えない。もしかしたら、ほかの理屈で成り立つのかもしれないと思っていたのだが、そんなことはなかったようだな」
確かに、熱や電気、重力といったエネルギーは人の身で念じたところで操作はできない。魔力はこれらとは根本的に違うのだろう。
だが、
「その理屈で行くと、俺たちで今の実験をやっても無駄かもしれない」
「なぜだ。きわめて適切な実験だったと思うが」
「俺たちはエネルギー保存の法則をはじめ、様々な自然界の法則を知っている。その知識が奥底にあるから、これに反することをしっかり想像できないのではないだろうか」
「先ほどの実験では、お前が室内の水分が集まると考えたからそうなったというのか。なんだそれは。実験者の予想によって結果が変わるということか。なんとやりづらい」
地球で、実験というのは同じ方法でやればだれがやっても同じ結果が出るものだった。
だがこの異世界では、人の意識が魔法実験に大きく影響を与えるゆえに、同じことをしても人によって考えることが異なり、他人が同じ魔法実験を再現することは事実上不可能に近い。
「これは私たち以外の人間をチームに加えるべきかもしれんな。誰か心当たりはないか?」
「いや、いない。国も教会も内側に引き込むには危険すぎる」
確かにその通りなのだろうが、組織とのつながりがなく魔法の知識が深い人なんて簡単に見つかるものではないのだ。
「そうか。ならばスカウトしに行くしかないな」
「は?」
「この国には冒険者とかその類のものはいないのか?あと魔法といったらエルフだろう。きっと知識を蓄えているに違いない。そういえばせっかく異世界に来たというのに異種族交流がまだではないか。よし、そうと決まればさっそく準備だ」
「ちょ、ちょっと待って。え、マジ?」
「もちろん大マジだ。そういえばお前副委員長だったな。王様にこの話を通してきてくれ」
確かにこの世界に冒険者はいる。彼らはこの国全体で活動していて、日々獣退治や薬草採集などの依頼をこなしているのだとか。ランクの高い者に戦い方を教えてもらうのもいいかもしれない。
またエルフもいるし、魔法能力も人より高い。だが彼らは深い森の奥の集落から基本的に顔を出さず、入るには外のエルフの案内が必要だとか。会うにはそれなりの苦労が伴うだろう。まあ、国王の言葉があればいけないなんてことはないだろうが。
「はぁ。わかったよ。一応言っておいてやる」
「ああ、よろしく頼む」
大変なことになってしまった。いやまあ、確かに俺もエルフに興味はあるし、魔法の理解が進めばそれだけ戦力増強につながるからいいんだけどね。




