0042(六)06
それだけで十分だった。俺たちは走行寸前の早足で教室を出て、図書室へ向かった。
翡翠中学の図書室に、読書・自習用の机はない。椅子が壁際に数脚並んでいるだけだ。学習はあくまで教室で行なうべきとの学校の方針からだった。また図書室は広く、本棚は本でぎっしり埋まっているため、少々の話し声なら近距離でないと届かない。
到着した俺が喜んだことに、客はほんの数名いるだけで、後は図書委員の男女がカウンターで黙然と座っているのみだった。
俺たちは乱れた息を整えながら、空いている椅子に腰を下ろした。そこに既に、セーラー服姿の真樹先輩が着席していたからだ。
「水上先輩はまだのようですね」
俺が尋ねると、真樹先輩はうなるように相槌を打った。ちょっと緊張し過ぎだ。
「先輩、深呼吸、深呼吸」
「ああ……」
真樹先輩は吸って吐いてを繰り返した。果たしてこんな調子で正常に告白できるのだろうか?
「来ましたよ!」
楓が小声で吹くようにささやいた。図書室の扉が開き、水上先輩の姿を取り込んだのだ。
「行って、真樹先輩!」
俺は真樹先輩の背中を押した。まるで油を差していないロボットのようにぎこちなく、彼女はぎくしゃくと立ち上がる。右手と右足、左手と左足を同時に出す行進を行ないながら、水上先輩のもとに歩いていく。彼も気がついた。
「河井、俺に用があるんだろ?」
真樹先輩はその言葉が落雷ででもあったかのように打たれて急停止する。いじらしく答えた。
「う、うん」
「何だ?」
「す、隅っこで話したいんだけど……」
「ああ、分かった。行こうか」
水上先輩はこちらに全く気づいていない様子で、本棚の列に吸い込まれていく。真樹先輩がその後をしおらしくついていった。楓が俺の肩を叩く。興奮ではち切れんばかりの顔だ。
「近づこう、高松君!」
図書室の奥から数冊の本を抱えた生徒がカウンターの方へ歩いてくる。それとすれ違いながら、俺たちは本棚一つ挟んだ反対側に水上先輩と真樹先輩の靴音を聞いていた。
絶対ばれないように。俺も楓も足音を立てず、息も殺して、先輩たちが図書室の角へ移動するのを追いかけた。
気配が止まった。俺は心臓の高鳴りをうるさく感じながら、手首を掴んでくる楓の肌の熱さをよそに、可聴範囲を極限まで高めるよう耳を澄ました。
「ここならいいか、河井」
「うん」
あの軍隊気質の真樹先輩が、女の子らしく「うん」だってさ。俺は笑いがこみ上げてきたり、先輩の本気度に心を打たれたりで、心の乱れを鎮めるのに一苦労だ。
「で、何だ?」
いよいよだ。俺はじっと耳を傾けて心から祈った。どうか真樹先輩の告白が、上手くいきますように。
彼女の震える声が聞こえる。
「私たち、一緒のクラスだよね」
「ああ」
「そんなに話をすることもないよね」
「そうだな」
「こうして話すのは、初めてで緊張する」
「そうかもな」
ああ、じれったい。真樹先輩、頑張れ!
そう思っていたときだった。楓が急に俺の腕を引っ張ってきたのだ。何かと思って振り返れば、何と駄ゲー部員全員が、その場に無言で集合していた。雲雀先輩、由紀先輩、風林先輩、美夏先輩……。みんな物音も立てず重苦しい顔をしてひっそりと寄り添っていた。
留守番だ、とあれだけ固く言われていたのに……。しょうがない人たちだ。真樹先輩の再度の台詞に、俺は改めて正面を見据える。
「でも、この前水上君、私を保健室に連れて行ってくれたじゃない?」
「ああ、あったっけ、そんなこと」
真樹先輩の声に熱がこもった。ようやく硬さが取れて、口調が滑らかになる。
「あのとき、私、凄く優しいなって思ったんだ。水上君のこと……」
「…………」
水上先輩が押し黙った。そこに不安を感じたのか、真樹先輩が早口になる。
「あの、私、一方的で悪いんだけど……。水上君のことが、水上君のことが……」
言え、真樹先輩。言ってしまえ。俺は拳を痛いぐらいに握り締めた。
真樹先輩が、決壊したダムのように言い募った。
「水上君のことが、好きなの。好きなんだ! ……じ、自分でも、驚くぐらいに……」
言った。とうとう言った。背中に先輩を慰労する雰囲気が伝わってくる。駄ゲー部員一同、真樹先輩の勇気を称えたのだ。
「…………」
水上先輩は無言のままだ。これは焦る。俺が真樹先輩だったとしても、焦燥でいても立ってもいられない。
「め、迷惑だったかもしれないけど、これが私の正直な気持ち。水上君、好き。大好き。……お願い、返事を聞かせて」
彼女の必死な想いが胸に迫って息苦しくなるようだった。だが……
そんな真樹先輩に、奴は言った。
「気持ち悪いんだよ、ブス」
耳を疑ったのは、俺も駄ゲー部員たちも、もちろん真樹先輩も同様だろう。気持ち悪い? ブス?




