0041(六)05
そこで俺は当たり前のことに気づいた。
「おい水仙、水上先輩が部活やってないって何で分かるんだ? もしかしたら何かやってて、今頃帰宅時間かもしれないだろ」
楓は虚をつかれたように無表情になった。
「あ、そういえば……」
そのときだった。遠くから複数の男子の笑い声と、ゆっくりした靴音が聞こえてきたのは。
「だ、誰か来た!」
「真樹先輩、落ち着いて。手紙を隠して。ちょっとここを離れましょう」
だが想定外の事態に真樹先輩は狼狽し、常の判断力や決断力を発揮できなかった。慌てて雲雀先輩たちが彼女の肩を抱いて連れて行こうとする。しかし下駄箱の片隅へどうにか移動しようという頃には、靴音はもうそこまで迫ってきていた。
「み、水上……」
真樹先輩がその方向を見て彫像と化す。あろうことか、三人分の靴音のうち、一人の主は水上先輩その人だったのだ。
「あれ、河井」
水上先輩は見た。クラスメイトの、迷彩服姿の真樹先輩を。その周りを囲んでいる駄ゲー部員たちを。三人の男子たちが笑いをおさめる。よく見ればいずれも鞄を持ち、帰り支度だった。クロッキー帳がはみ出しているところから見るに、美術部にでも所属しているのだろうか。
水上先輩――真ん中の、真樹先輩の名字を呼んだ人だ――は、大人びていた。端正な顔立ちで、長くくねった眉、高い鼻梁、奥深い目が特徴的だ。身長は163センチぐらいだろう、この年ならそれほど高いほうではない。褐色で、確かに腕が太かった。
隣の男子が水上先輩に、途切れた会話を繋ぎ合わせた。
「でよ、それであいつがコンビニの店員にキレちゃってさ……」
水上先輩はうつむく真樹先輩から視線を外し、友達に笑い返しながら上履きを脱ぐ。俺は彼が靴と入れ替えた下駄箱を暗記した。水上先輩は俺たちを無視し、三人で笑い合いながら、脇を通り過ぎていく。こちらにそれ以上の関心は示さなかった。
やがて、昇降口から彼らの姿は完全に消え去った。
「はあー……」
真樹先輩がくたくたとその場に座り込んだ。極度の緊張から解放されて、全身の筋肉という筋肉が弛緩したとでもいった具合だった。俺は楓の頭を軽く小突いた。
「馬鹿野郎、危ないところだったじゃないか。もし手紙を入れる瞬間だったらアウトだったんだぞ」
「だって、気がつかなかったんだもの……」
楓は舌を出してごまかす。真樹先輩が泣き出すような声を漏らした。
「ぐ、軍服姿、見られちゃった。ヘルメットも……」
雲雀先輩や美夏先輩らにすがりつくようだ。
「どうしよう! 変な女だと思われちゃったかな?」
「大丈夫ですよ。もしこの程度で見下すような漢なら、こっちから願い下げというものです」
風林先輩が頼もしく答えた。真樹先輩はその袖をつまんで揺すぶる。
「そ、そうかな……」
楓が気合を入れるように真樹先輩に言い放った。
「ともかく! ……水上先輩の下駄箱は分かったし、彼は帰りましたし、今は私たち以外誰もいません。手紙を入れるなら今がチャンスです。真樹先輩、さあどうぞどうぞ、ご自分の手でお入れください」
頬を張られたように真樹先輩は立ち直った。
「よ、よし。入れるぞ」
水上先輩の下駄箱の蓋を開け、二つに折った手紙を奥へと押し込む。また何事もなかったかのように蓋を閉じた。
「入れた!」
「では退却です!」
俺たちは叫びだしたいような気持ちで、その場から足音を立てずに逃げるように走り出す。何かいいなあ、青春してるなあと、駄ゲー部員たちと共に駆けながら俺は無責任に考えていた。
翌朝、駄ゲー部の朝練は中止だった。由紀先輩が3年生権限として、真樹先輩の心情を考えて休止に決めたのだ。確かに爆発寸前の真樹先輩をそばにして、駄ゲー攻略にいそしむのも薄情というものだった。
そんなわけで俺は、朝のゆったりとした時間を久しぶりに教室で友達と過ごした。
「そういえば駄ゲー部にすっかり馴染んだな、お前」
帰宅部の脇澤は先に来ていて、俺にそんな論評を加えた。
「俺が誘っといて言うのも何だけど、よくあんな部活に適合できたな。やっぱり部長が良かったからか?」
俺は胸を張った。
「もちろんさ。それだけじゃないけどさ」
今頃水上先輩は真樹先輩の手紙を手にしているだろう。放課後、図書室で。その指定に、どんな想いを巡らしているのだろうか。もちろん、差出人である真樹先輩も。
頑張れ、真樹先輩――
そんなことを考えながら授業を受けていると、あっという間に午前が終わり、昼食となり、午後となった。いくら何でも時間の経つのが早過ぎる。
「高松君」
帰りの会が終わると、楓が鞄を抱えて駆け寄ってきた。セミロングの黒髪、銀縁眼鏡が上下に揺れる。
「急ごう」




