0004(一)03
由紀先輩はこちらの言い分も聞かずに激昂している。俺は助けを求めて雲雀先輩を振り返ったが、彼女より早く救いの手を伸ばす人がいた。
「まあまあ、由紀先輩。落ち着きいな」
黒いポニーテールの先輩だ。青みがかった真摯な眼差しに、絶妙な稜線の鼻、神秘的な口元と、顔のパーツは申し分ない。
「確かにこの男の子、由紀先輩を男みたいだなと思ったかも知れへん。でもそれは一瞬のことで、彼はすぐその考えを打ち消したで。うちには分かる」
「でも、美夏ちゃん……」
「でももへちまもないわ、由紀先輩。『ガル』をやってたんでしょ? さあさあ、続き続き」
「うぅ……」
由紀先輩は俺を一睨みすると、不承不承テレビゲームに戻った。助かった。
「ありがとうございます、ええと……」
「2年C組の一条美夏や。君、名前は?」
「高松豊です」
「見学やろ? まあ変わり者揃いでびっくりしたやろうが、すぐ慣れるからびびらんといてな……」
喋り方といい物腰といい、実に洗練されていてクールだ。物事に対して一歩引いて見定めようとする姿勢が感じられる。格好いいといえばそうだ。
そのとき天井からだろう、糸に垂れ下がった蜘蛛が目の前に降下してきた。
途端に美夏先輩が平静さを吹き飛ばし、ムンクの『叫び』のように顔を捻じ曲げる。
「く、蜘蛛ーっ!」
あらん限りの肺活量で叫び散らした美夏先輩は、俺の顎を下から豪快に蹴り上げていた。俺はそのダンプカーに衝突されたかのような強い衝撃に、目を剥いて宙を半回転する。激痛にまみれながら、次の瞬間には背中から床に激突していた。
「蜘蛛! 蜘蛛! 蜘蛛っ!」
美夏先輩が狂ったように泣き喚き、辺り構わず蹴り付けている。それをさっき紹介された由紀先輩――男の子っぽい彼女だ――が羽交い絞めにし、取り押さえようとしていた。
俺は痛みにうずく顎を押さえながら、真樹先輩の手で蜘蛛が駆除されるのを視界の片隅に捉えた。
「大丈夫か、新米」
真樹先輩が俺を助け起こす。俺は腰を浮かしながらどうにか答えた。
「あいたたた……。はい、何とか……」
真樹先輩はヘルメットを摘んだ。
「美夏は蜘蛛が大の苦手でな。あれを見ると見境なく暴れてしまうのだ。まあ許せ」
「はあ……」
俺は患部を撫でさすりながら気丈に振る舞った。つまり、俺はとばっちりを食ったわけか。蜘蛛と美夏先輩、両方を恨みたい気分だった。
その美夏先輩は、蜘蛛が排除されたと知ってようやく落ち着いたらしい。真っ赤に泣き腫らした目を擦りながら、俺に向かって頭を下げる。
「ほんまごめんな。うち、あれだけはどうしても苦手やねん。堪忍してや」
俺はその美貌に少しドキリとしながら、真摯な謝罪に怒りをやわらげた。クール失格の押印を心中の判断書に押し付ける。
「いえいえ、気にしないでください。誰にでも弱点はありますから」
「ほんま、すまん」
美夏先輩は照れ笑いを浮かべた。
「部員紹介がまだ途中やったな。雲雀、頼むで」
騒動の中、真樹先輩のサポートをしていた雲雀先輩はうなずいた。
「任せなさいなので。高松君、最後は2年D組の火山風林ちゃんなので」
戦国時代っぽい兜を着用している人だ。俺はおっかなびっくり近づいた。また真樹先輩のように、いきなり武器を突きつけられるのではなかろうか。不安の雲が心の平野に深い影を落とす。
が、それは杞憂という名の陽光でかき消された。
「さっきから聞いておったぞ」
風林先輩は兜の位置を直しながら身を起こした。赤茶色の瞳はその半ばが兜に隠れている。やや大きめの唇で、ポテトチップスを豪快に食べていた。ティッシュペーパーで汚れを拭き取る。
雲雀先輩が苦情を申し立てた。
「またポテチを食べながら……。汚れるからやめてって言ってるので」
風林先輩は一瞬の間をおいて哄笑した。
「つまらぬことを申すな。拙者の得意技が『兵糧攻め』と知っておろうに」
兵糧攻め? 頭にクエスチョンマークを浮かべた俺に、そうと悟った雲雀先輩が耳打ちした。
「食糧を用意して時間をかけて駄ゲーを攻略する必殺技なので」
それ、本来の意味とは根本から間違っているような……。
「ともかく高松よ、お主は今日ここへ来た。それは運命の成せる業じゃ。ならその運命に逆らわず、この部活に入部するべきではないか?」
風林先輩は俺より5センチほど高い。見下ろす目に慈愛の光彩がまたたいた。俺の沈黙を好機と捉えたか、口説を燃焼させる。
「駄目ゲームより得られるものは少なくないんじゃ。まずは忍耐。全く面白くないゲームを延々とプレイすると自然に忍耐力がつく。これは分かるじゃろ?」
それには覚えがあった。駄目ゲームは苦行なのだ。もっとも俺はつまらないソフトを手に入れた場合、長く遊ばずすぐ売ったり捨てたりするため、あまり忍耐力は向上していない。どうもこの駄ゲー部、そんな生温い逃げ道は用意されていないらしい。




