0038(六)02
「といっても、別に大したことじゃない。実は……」
雲雀先輩が催促した。
「実は?」
真樹先輩は頬を朱に染めた。耳朶まで真っ赤になっている。極めて言いづらそうに口にした。
「好きな男ができた」
その衝撃的な告白に、部員一同せきとして声もない。真樹先輩は目を閉じ、火を吹き消すように息を吐いた。
「同じクラスの男だ。名を水上健吾という。か、格好いい奴でな……」
俺は信じられない思いで彼女を見た。あの軍隊気質で質実剛健な真樹部長が、よりにもよって恋だなんて……。嘘みたいだ。
「別に、ついこの間まではどうということもなかったんだ。クラスによくいるお調子者。人気があって、顔もそこそこ良くて、男女に好かれる奴。教室の中心人物からは近からず遠からず、友達には困らない。そんな奴だ」
真樹先輩は全くふさわしくない動作――頬を平手で挟むという行為をした。
「夏服への衣替えで、水上の腕が意外にも筋肉質で、男らしいことに気づいた。でも、そのときはそれだけだった。ああ、兵士に向いてるな、案外褐色だな……そんな感想を覚えたのを記憶している」
半目は潤んでいた。
「でも、ある暑い日のことだった。三時間目の授業中、わしは急に気分が悪くなってな。目まいと吐き気を覚え、挙手して先生にそのことを訴えた。先生は心配してくださり、保健委員にわしを保健室へ運ぶように命じたんだ。そのときの保健委員が、水上だったというわけだ」
この恋愛譚に、駄ゲー部員たちは水を打ったように静まり返る。
「わしは水上に付き添われて廊下に出た。奴は言った。『大丈夫、河井さん? ゆっくりでいいから焦らず1階へ行こう』。そして、わしの肘の辺りに腕を回した。わしは引きずられるように、しかし一歩ずつ階段を下っていった」
真樹先輩の双眸は夢見るようだ。
「そしてどうにか保健室に着いた。生憎保健の先生はトイレにでも行っていた。しかし実のところ、教室の外の空気を吸ったせいか、わしの容態はその時点でほぼ回復していていたのだ。だがわしは甘えた。水上のたくましい腕にもたれかかり、ベッドに寝かせてもらった。そうして水上は、わしの額に手を添えたのだ。奴の温かさが伝わってきて、えもいわれぬ気分になった」
単に熱を測ろうということだったのだろうが、真樹先輩には特別に思えたらしい。
「わしは胸の高鳴りを感じた。今まで恋愛など馬鹿にしていたんだがな。あんなもの、軟弱者のするお遊戯だとののしって軽蔑していたのだ。だが情けないことに、わしはその恋愛の渦中に、水上健吾という事件の真っ只中に、いつの間にか放り出されていたことを知った。わしは額に感じる水上の皮膚に心地よさを得、うっとりと目を閉じた。水上は『熱はないようだな』と判断すると、『保健の先生が戻るまでここにいるよ』と言ってくれた。わしはただうなずいて、至福のひと時を満喫した。保健の教師がいつまでも戻らないことを願いながら……」
ふうむ。真樹先輩、やっぱり女の子だったんだな。信じがたいことだが……
「やがて先生が帰還して、入れ替わりに水上は去っていった。『お大事に』との優しい言葉を残してな。それからだ。わしが何事も手につかず、四六時中水上のことばかり考えるようになってしまったのは。迂闊だった。恋愛の甘美な誘惑に、こうもあっさり陥落するとはな。笑いたければ笑うがいい。仕方のない奴だ、このわしは……」
もちろん馬鹿にするものはいない。真樹先輩の独白が終わって、まず口を開いたのは由紀先輩だった。
「事情は分かったもん。でも、それと駄ゲーや講習は話が別だもん。恋を言い訳に、活動をサボるのは違うもん」
楓も語を添える。
「そうですよ。私も人を好きになったりしますが、駄ゲーは駄ゲーできっちりプレイしています。真樹先輩には同情しますが、正直甘えが見え隠れしてなりません」
おお、言うなあこいつ。でも楓も誰か好きな奴がいるのか。進んでるな。
雲雀先輩が二人に同調した。
「高松君の成績には美夏ちゃんの退部がかかってますので。真樹先輩の恋心は痛いぐらい分かりましたが、それは講習と全然関係ありませんので。しっかりしてくださいなので」
美夏先輩が意地悪く笑う。
「真樹先輩、劣勢ですやん。うちは加勢してあげたいところですが、正直その理由は見出せまへん」
「うう……」
真樹先輩はまたヘルメットを被った。今度は隠れるかのようだった。
風林先輩が眼光鋭い。部員たちのどこか緩い態度に喝を入れるように、腹に響く声を発した。
「真樹先輩。退部してくだされ」
非常な宣告だった。言われた当人も、俺も他の部員たちも、虚をつかれたように彼女の兜姿に視線を向ける。
「もう一度申しましょう。拙者の希望は、真樹部長の今日限りの退部です」




