0037(六)01
(六)
「部長!」
俺は少し声量を高めて彼女――真樹先輩を呼んだ。そのコントローラーはスーパーファミコンのRPG『摩訶摩訶』を動かしているのだが……
「さっきから全く進んでないですよ」
真樹先輩は白昼夢から覚めたように、俺の方を見てまばたきした。
「あ、ああ……そうだな」
ぼんやり気の抜けた声でうつろに返事する。7月に入り、部員たちはすっかり夏服に着替えていたが、部長の迷彩服姿は変わらなかった――半袖にモデルチェンジしていたが。その真樹先輩は、スーファミ最高峰の駄ゲーに取り組んでいるというのに、どこか気抜けしてぼんやりしている。最近いつもこの調子だった。
「しっかりしてくださいよ。何か悩み事でもあるんですか?」
俺は既視感に捉われた。
「ひょっとして真樹先輩、美夏先輩みたく、両親に駄ゲーをやめるよう申し渡されてるんじゃ……」
部長は笑殺した。
「まさか。赤点さえ取らなければ、好きにやっていいと許可を貰っている」
「じゃあ何でこの頃ぼうっとしているんですか」
やり取りを聞いていた他の部員たちが話題に加わってきた。雲雀先輩が顎をつまむ。
「真樹部長、確かに近頃妙ですので。何かこう、はかなげというか何と言うか……」
「そうやそうや。いじらしさが備わったっちゅうか、な」
美夏先輩が真面目に指摘すると、由紀先輩が楽しそうに応じる。
「何か女らしくなっただもん!」
楓が我が意得たりと手を打ち合わせた。
「そうですそうです! 私もそう思います!」
俺は白黒する真樹先輩の表情に強い興味を惹かれた。
「本当、真樹先輩、何かあったんですか?」
真樹先輩は大きく溜め息をつき、場の空気を落ち着かせる。
「何でもない。何でもないんだ……」
自分に言い聞かせるような口調だった。風林先輩が兜の奥で目を光らせる。
「部長。そんなことではいかんです」
説教するような声音だった。
「あなたはこの駄ゲー部を率いる大将です。大将が気を散らしていて、部下は何としますか。ご自分の立場を熟知し、正しい風格と威厳を保たれよ。そうでなければ誰もついてきやしません」
「分かってる、分かってるんだ、そんなことは」
真樹先輩はうっとうしそうに手を振った。風林先輩の諫言に耳が痛そうだった。
「わしが悪かった。もう茫然自失などしない。これからは改めて部長として厳しく駄ゲーに取り組んでいく」
「それならよいのです」
風林先輩も矛先を収めた。俺たちは険悪な空気を振り払うかのように、それぞれの駄ゲーへ意識を引き戻した。そう、俺たちは駄ゲー部。糞つまらないゲームを楽しく攻略するのが本分なのだ。
だが、真樹先輩の「症状」はますます酷くなるばかりだった。
意味ありげな深い溜め息。答えを求めるかのような宙への眼差し。まるで手につかない駄ゲー。真樹先輩は一昨日より昨日、昨日より今日、ますます駄ゲーへの情熱を失っていった。
いや、駄ゲーに対してだけではない。およそこの世の全てに対して興味を失ってしまったかのように、彼女は何事に対しても無気力になった。
「真樹先輩……ここの問題について質問してるんですが」
「ああ、すまない」
美夏先輩の父親との約束で、俺は二学期の中間テストまでに学年順位を50番上げなければならないのだ。真樹部長は由紀先輩と並ぶ3年生として、俺に講習を授ける立場にある。にもかかわらず、被講習者の俺より明らかに気合が入っていない。何というか、こう、熱意が感じられないのだ。美夏先輩の退部がかかっているというのに、だ。
「真樹先輩!」
ある日、とうとう俺はたまらなくなって怒鳴った。
「いい加減にしてください! このままじゃ俺、頭良くなりませんよっ!」
部室内に俺の叫びがとどろき、部員たちのコントローラーを操作する音が止まる。駄ゲーのBGMが小さく通奏低音のように底を這っていた。
誰もが吃驚した中、一番肝を抜かれた風なのが当の真樹先輩だ。俺をまるで初めて出会った人物であるかのようにまじまじと見つめる。俺は立ち上がった。
「真樹先輩、一体どうしちゃったんですか。いつもの軍隊的規律と規範で部を取り締まる、あの冷厳かつ生真面目な態度はどこへ行っちゃったんですか」
絞り出すように言った。
「何があったんですか、先輩。教えてください。何が先輩をそこまで腑抜けにしてしまったんですか?」
真樹先輩は俺の罵倒に困惑気味だった。その瞳に――信じられないことだが――怯えのようなものさえ混入している。彼女はヘルメットを撫で、うつむいた。
「……分かった。全てを話そう。みんなも聞いてくれ。ここしばらくの自分の情けなさを謝罪したいんだ」
ヘッドバンドを外し、脱帽する。ショートマッシュの黒髪が露わになった。




