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0035(五)05

「この度は足元の悪い中、『ワタプロ新人発掘オーディション2018』北陸大会第二次審査へようこそお越しくださいました。わたくし、司会進行を努めさせていただきます、ワタプロ所属アナウンサー、田茂川たもがわちえみと申します」


 拍手の波が自然発生的に沸き起こった。田茂川さんは一礼して微笑む。


「それでは、早速オーディションを始めさせていただきたいと思います。まずは参加番号1番から30番までの方、お上がりください」


 それぞれ着飾ったうら若き少女たちが、緊張に面を強張らせながら列をなして椅子に座っていく。


 こうしてアイドル選抜試験は始まった。




 それにしても全部で241名である。さすがに多い。


 俺は最初の30人が、それぞれ1分間のスピーチをするのを聞いていて、危うく居眠りしかけた。もし俺がアイドルおたくなら、真剣に耳を傾けて一言一句聞き漏らさないのだろう。だがそうでないのだから退屈でしかない。俺にとっての主役たる由紀先輩の登場まであとどれくらいかかるんだろう? それだけが俺の思考の焦点だった。


 大事な娘の出番さえ終われば、後は結果発表まで外で過ごしたい。そう考える一般客は多く、オーディション進行につれて場外へ出るものは増えていった。後ろを見れば、当初の4割ぐらいしか残っていない。それでもまだオーディションは中盤なのだ。


 そう思って、眠い目をこすっていたときだった。


「157番。来たわ、由紀よ!」


 母親の声に、俺は一瞬で覚醒して壇上に視線を投じた。左から7番目の席に、白いワンピース姿の由紀先輩がふわりと座ったのだ。


 綺麗だ、由紀先輩。ベリーショートの黒髪もこの日は撫で付けられて、女の子らしさを強調している。白い肌の華奢な腕が、膝の上までか細く伸びていた。緊張は隠しようもなく、表情は固い。


「では151番、河喜多中学校在籍の15歳、益田美穂ますだ・みほさんどうぞ」


 なかなか愛らしい益田さんがマイクの前に立った。


「よろしくお願いします」


 この言葉から1分間のスピーチが始まるのは全員共通だ。


「えーと、その……私は人の役に立ちたいと思っていて、あの……」


 益田さんは1分間を超えて喋ってしまった。減点対象だ。たどたどしい話し方といい、合格は厳しいだろう。


 益田さんの次は蓑田みのださん。その次は高梨たかなしさん。次から次へどんどんスピーチを終えていく。そうして、とうとう……。


「では157番、翡翠中学校在籍の14歳、袋田由紀さんどうぞ」


 とうとう、由紀先輩の出番が来た。来てしまった。どうしよう。


 落ち着け。見ているだけの俺が慌ててどうする。それよりスマホだ。俺はスマホを起動して、その画面をステージに向けた。


 そこには、駄ゲー部の皆で撮った写真が映っている。ついこの前満面の笑顔で撮影したものだった。俺たちがついているぞ、という由紀先輩へのメッセージだ。これが駄ゲー部から託された、俺の部員としての重要な役目だった。


 由紀先輩がマイクスタンドの前に立つ。その目が何度かまたたかれ、両手が胸の前で組み合わされた。夏目漱石。我輩は猫である。雪江。あれだけ積んだ努力の成果を、今こそ発揮するんだ、由紀先輩!


 由紀先輩の目線が固定された。スマホを構える俺に気づいたらしい。彼女の視力が2.0だとはオーディション後に知ったことだ。一瞬の空白が横たわった。


「よろしくお願いします」


 由紀先輩は力なくそう言った。どうしたんだろう。何かまずいことでもしてしまっただろうか。


 だが、次に放たれた一語は強靭なものだった。


「ボクは、一次審査で嘘をついただもん!」


 え? 何を言ってるんだ、由紀先輩? 漱石は。猫は。


「ボクの趣味は読書だけど、それは一番じゃないもん。本当は、駄ゲー。駄目なテレビゲームを遊ぶのがボクの趣味だもん!」


 隣で母親が気を失った。俺はスマホを構えたまま硬直するしかない。


「ボクは駄目ゲーム部という部活動で、みんなと一緒に毎日駄ゲーに取り組んでいるもん。それはかけがえのない体験で、ボクに生きている実感と友達との友情を感じさせてくれるもん」


 会場はあっけにとられている。最前列の審査員たちの背中も心なしか引き気味だ。それでも由紀先輩は続けた。


「今回のオーディションでスピーチをすることになったとき、ボクは夏目漱石について語ることを勧められたもん。ついさっきまで、今の今まで、ボクもそのつもりだったもん。でも……」


 由紀先輩が崩れた。両目から涙が溢れ出し、白磁の頬を滑らかに伝った。


「でも、今気づいたもん。一番大切なものを隠すことなんて、一番大事な人たちを隠すことなんて、絶対に無理だもん!」


 その鬼気迫る表情に、魅力に満ちた一挙手一投足に。気づけば会場は静まり返り、固唾を飲んで主役を見つめていた。

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