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0026(四)01

   (四)




「はあ……」


 その日、何度目の溜め息だったろう。俺はその主である美夏先輩を横目で見る。窓外の降るか降らないか、はっきりしない曇り空そのもののような顔つきだった。


「どうしたんですか、美夏先輩。浮かない顔して」


 美夏先輩は『燃えろ!!プロ野球』を遊ぶ手を止めた。もっとも、その指のさばきは先ほどから停滞気味だったが。


「ちょっと、家で揉めててな……」


 黒いポニーテールが力なげに揺れる。湖水のような瞳に憂いが漂っていた。俺は興味を惹かれ、攻略中の『星をみるひと』を一時中断する。適当に言ってみた。


「両親と喧嘩でもしたんですか?」


「なんで分かるん?」


 美夏先輩は無意識の所作であろう、口を手で覆った。どうやら図星だったらしい。


 真樹先輩が自分のゲームを片手でプレイしながら、もう一方の手でモデルガンを握り締める。その銃口をこちらに向けた。


「そこ、作戦中に私語は厳禁だぞ」


 この人なら本当に撃ちそうだから怖い。まあBB弾なんだろうけど。


 美夏先輩が俺に微笑した。


「まあ、まだ両親とは破局には至っとらん。心配かけたんならごめんな。……ほら、お互い自分の駄ゲーに戻ろうやないか」


 そう告げると、彼女は再び液晶モニターに向き直った。常の冷静沈着な眼差しに戻る。だが気遣わしげな溜め息は、その後も途絶えることはないのだった。




 翌日、俺は自分の日直の仕事をやり終えてから、やや遅れて駄ゲー部部室へ向かった。階段を上り、2階3号室のドアを開ける。


 いきなり、耳をつんざく怒声が轟いた。


「なぜそうなるっ!」


 ミリオタかつ部長の真樹先輩が、現代の戦国武将こと風林先輩に羽交い絞めで押さえつけられている。その怒気をはらんだ鋭利な視線は、小さく立ち尽くす美夏先輩に突きつけられていた。雲雀先輩、由紀先輩、楓はおろおろと事態の推移を傍観するばかりだ。


 真樹先輩が顔を朱に染めて更に怒鳴った。


「駄ゲー部をやめるだと? そんなことはわしが許さん!」


 駄ゲー部をやめる? 美夏先輩が? 俺はまばたきを繰り返すのみだった。そんな、何でそんなことに……?


「うちの意志です」


 美夏先輩は怯みながらも、はっきり言い放った。


「両親から『ゲームは没収する。駄目ゲーム部もやめろ。これからは塾だ勉強だ』と通達されたんです。おとんやおかんには逆らえまへん」


「だから退部するって言うのか。お前の駄ゲーにかける情熱はその程度のものだったのか! 雲雀の場合とはまた違うぞ。お前は自分じゃない、他人の意志で駄ゲーをやめるのか? 情けないとは思わないのか?」


 真樹先輩が腹に響く声で叫んだ。美夏先輩がぐっと唇を噛み締める。うつむいて一息ついた。


「ともかく。退部届けはここに置きましたので、受理してください。私物は明日持ち帰ります。では、今日はもう塾があるんで。さようなら」


 震える声でまくしたてると、彼女は身をひるがえして部室を出て行こうとした。


「待たんか、美夏!」


 真樹先輩がまた大声でわめく。美夏先輩は出入り口で突っ立っていた俺と肩をぶつけた。一瞬こちらと目が合ったが、寂しそうな光をちらつかせた以外は何事も発さず、逃げるように階段を駆け下りていった。


「ええい、いい加減離せ、風林!」


 美夏先輩の残り香さえ消えた頃、ようやく風林先輩が部長命令を受け入れた。解放された真樹先輩は、凝りに凝ったとでも言わんばかりに両肩をぐるぐる回す。


「別に押さえつけんでも、わしは美夏に殴りかかったりせんわ」


 一時の激高から離脱し、彼女は既に冷静さを取り戻していた。パイプ椅子に腰を下ろす。


「コーヒー、誰か淹れてくれ」


 楓が素早く反応した。


「はい、ただいま!」


 それから部室内の面々は、お互い空気を探りあいながら、どうにか普段の雰囲気を取り戻していった。


 駄ゲー攻略どころではない。全員が熱い飲み物を手にしながら、美夏先輩の残した退部届けを見つめ、彼女の今後について論じ合った。


「美夏は我々の大事な戦力だ。奴がいなければスーパーファミコン『ライトファンタジー』攻略は覚束なかった」


 真樹先輩が静かにコーヒーをすすった。俺はコップから立ち上る温かな香気に顎をくすぐられながら、そう言えば入部初日、蜘蛛に恐怖した美夏先輩から蹴りをもらったっけと思い返していた。


「昨日からしきりと溜め息をついてました、美夏先輩。両親のことで悩んでいたみたいで、やっぱり家庭で色々話し合ったりしてたんじゃないんですかね」


 雲雀先輩が腕を組んで天井を眺めた。


「うーん……。美夏ちゃんの退部の意志も、家庭の事情も、同じクラスで一緒にいながら全く気がつかなかったので。やっぱり駄ゲー部部室内だと、駄ゲーとの悲しい別離が胸に迫ってきたに違いないので。うかつだったので」

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