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0020(二)06

 ふと彼女の気配を失い、振り返る。楓は俺の三歩後ろで立ち止まっていた。その顔はうつむいていて、夜闇も手伝って計り知れない。


「……きだから」


 可聴領域の下限にようやく引っかかる声量だった。


「え? 何だって?」


 楓が面を上げた。泣き笑いのような、複雑な表情。


「私、高松君のことが……」


 そのとき電車がすぐ近くの線路を通り、轟音が一気に世界を塗り潰した。楓の言葉が吹き飛ばされ虚空に散っていく。


 俺は過ぎ去った電車の後姿を眺めた後、改めて楓に聞いた。


「何だって? 聞こえなかった」


 楓は安堵と寂寥せきりょうのブレンドされた相貌で笑う。


「ううん、何でもない。行こう、高松君」


「……? 分かった、帰ろう」




 翌日、風林先輩は元気に朝練に没頭していた。生徒たちの平均的な登校時刻より1時間も早く、駄ゲーに全力を傾斜させている。他の部員はおらず、部室内は俺と風林先輩だけだった。


「それ、何ですか?」


 風林先輩は座布団の上に正座して、スーパーファミコンのサッカーゲームらしきものを遊んでいる。兜は相変わらず様になっていた。


「これは『ジーコサッカー』。これまた伝説級で語られている一品じゃ。一本10円で投げ売りされていたことで有名じゃな」


 俺はぴんと来た。


「弟さんとサッカーゲームで遊んでやりたいんですね?」


 どうやら図星で、風林先輩は一瞬の硬直の後長く息を吐いた。


「まあそうじゃ。駄ゲー攻略を奴に手伝わせれば、拙者の趣味と重なって一石二鳥。素晴らしい考えじゃないか? ただ……」


「ただ?」


「この駄ゲー、サッカーゲームの癖に2人対戦プレイができないことでも著名なんじゃ」


 全然駄目じゃん。


「まあ高松、お主はよくやってくれた。それで褒美というのもなんじゃが、拙者の素顔を特別に見せてやろう」


 今までどんなときでも兜を脱がなかった――いや実際は、授業の際は脱いでいるんだろうが――風林先輩の素顔を、今この場で目の当たりにすることができるというのだ。俺の心の議会は全会一致で「見せてもらう」ことを決議した。


 風林先輩が顎紐を解く。ずっしり重たそうな兜を持ち上げ、外し、床に置くと――俺は叫ばずにはいられなかった。


「と、禿頭……!」


 そう、風林先輩の頭は、出家した尼さんよろしく無毛だったのだ。


「禿げだったんですか、風林先輩」


「そうじろじろ見るな」


 風林先輩は上気した顔でうつむきがちだ。俺はただ見るだけでは飽き足らず、


「触ってもいいですか?」


 そんな願望をほとんど無意識に口にしていた。風林先輩は俺を見上げてきつく睨んだが、唇を噛み締めたかと思うとすぐ肩の力を抜いた。


「まあいい。撫でるぐらいは許す」


 思いがけない承諾に、俺は楽しくなって彼女の頭頂部に手の平をのせた。滑らかでほの温かい肌の質感にうっとりする。


「毎日剃ってるんですか?」


「おう。家政婦に手伝ってもらっておる」


 その間も俺は風林先輩の頭を撫で撫でし続けた。心地よい感触だ。このまま一生こうしていたい……。


「おはよう」


 落ち着いた声が乱入し、美夏先輩が部室のドアをゆっくり開けた。


 そのとき既に、俺は風林先輩と背中合わせになっていた。もちろん彼女は兜を被っている。


「あれ? 何かあったんか? 二人とも顔が真っ赤やで」


「何でもないです」


「何でもない」


 風林先輩とハモってしまった。美夏先輩の不審の目が俺の肌を刺すのを実感できる。俺は状況を取り繕うため、風林先輩に質問した。


「俺、やっぱり体育会系は苦手です。でも噴火君と遊びたい。これからは1週間に一度、ご自宅をうかがってよろしいですか?」


 風林先輩もこの話にのった。


「おお、ええぞよ。茶菓子とお茶、それから『ジーコサッカー』を用意して待っておるからの」


 駄ゲー『ジーコサッカー』か。いつかクリアしてみせる。と……


「おはようございます!」


 楓を初めとして、部員たちが続々入室してきた。人数も7人になって賑やかになってくる。喧騒の中、俺は楓にファミコンをレクチャーしながら、昨日彼女が言いかけたことは何だったのかと思いを巡らすのだった。

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