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第13話 北海道にて

間が随分空いてしまって申し訳ないです。

ようやくまともに書ける時間ができましたので、文章量は少ないのですがアップします。

 夏の北海道は東京のじめじめとした湿気がなく、からっとした乾燥した心地よい温度の空気で満たされている。明人の目の前に広がる草原には、青々とした名も知らない雑草が、短い北海道の夏を満喫するかのように、そよ風に吹かれてさわさわと揺れていた。

 明人が背後に目を移すと、カメラマンが機器のチェックをし、監督と俳優達は立ったままで演技の打ち合わせをしている光景が目に入る。本番を撮影する前にぴんと張り詰める緊張感。

 いつもの見慣れたロケ風景のはすだった。

 だが、何かが足りないと明人は思う。

 その違和感を掴めないままに、撮影が始まった。

台詞は全部頭に入っている。監督からのダメ出しもない。順調に撮影をこなせていると明人は思った。


 自分の出番がないシーンの撮影があると、その間、明人は手持無沙汰になってしまう。お昼近くになっている事もあり、ロケ弁当を食べようとマネージャーの聡を誘って、マイクロバスの中で弁当の包み紙を広げた。

 予定では1時間程空き時間があるはずだが、撮影の進行具合によっては、早くに明人が必要となるシーンの撮影が回って来るかもしない。時間のある時に食事を済ませておくのは、主役たる俳優の心掛けでもあった。

 今日のロケ弁はシャケ弁当だった。明人は焼かれた塩シャケの切り身の欠片を口に入れる。じんわりと口の中にシャケの味が広がった。

 長い芸能生活の中で散々食べなれてきているはずのロケ弁当なのに、やはり何か物足りない。不意に薫が明人の自宅で作ってくれた数々の料理の味が思い出された。

 肉じゃが、ハンバーグ、オムレツ、おやつにと作ってくれたパンケーキ、どれも好き嫌いの多かった明人の口に不思議と合った。

ふと明人の頭に薫の手料理が食べたいという願望が掠める。明人は頭を振ってその考えを振り払った。

 この年になって、ホームシックか?冗談じゃない。今までデリバリーのピザやコンビニ弁当に慣れていたじゃないか。数日ロケ弁だって食べ続ければ、そのうちこれが普通になるさ。

 明人はそう自分に言い聞かせているのに、それを台無しにする聡の呟きが漏れ出てきた。


「薫さんの鯖の煮つけが食べたい……。港も近くて新鮮な魚があるのに、食事を作りに来てくれないかな……」

「今から愚痴ってどうするんだ。この場所のロケは長いから、そんなんじゃあ最後まで持たないぞ」


 二人は冷たくなっているご飯を口の中に入れ、黙って咀嚼し始めた。

 俳優は長時間の撮影にも耐えられる体力がなくては話にならない。それに付き添うマネージャーも同様だ。明人も聡もそれは十分に分かっているので、ロケ弁を残すような事はしなかった。

 出番のシーンを撮り終えた俳優の高原誠が一人、マイクロバスの中へ入ってきた。

 高原は最近若手の俳優の中で頭角を現し始めた有望株であった。新年の長時間ドラマで脇役とはいえ、海上保安庁の整備士を演じ切り好評を集めたため、主人公の親友という役柄に抜擢されていた。


「霧島さん、ここに居たんですね。あれ? 一緒にロケ弁食べようと思って来たんですけど、もう食べた後でしたか」

「悪いな。高原の出番のあるシーンはもう少し時間がかかると思っていたんだが、早く終わったな」


 手にロケ弁とお茶のペットボトルを持って座る席を物色した高原は、明人と通路を挟んで向かい側の席に腰を落ち着けた。


「この度は、婚約おめでとうございます。日本陸上女子一万メートル走のホープと言われている立山薫さんと婚約するなんて、羨ましい限りです。高校時代は陸上部に入っていたから、今度、会わせて下さい。彼女が持つ妥協を許さないストイックな雰囲気と凛々しさに注目している陸上ファンも多いんですよ。実は僕もその一人でして……。芸能人は追っかけなんて出来ないですからね。人が集まる陸上競技会にも僕のファンが大騒ぎするから、とても行けない。その点、霧島さんは猛者ですよ。どんな騒ぎになるのか分かっているのに、派手に立山さんを陸上競技場から連れ出したんですから。ところで、立山さんは、このロケには同行してきていないのですか?」


 人当たりが良く、初対面でも30分も一緒に過ごせば昔からの親友のように馴染んでしまう特技を持つ高原に、明人はとっさに薫とは合わせたくないと思ってしまった。

 薫にとって明人の第一印象は最悪なはずだ。それに対して、高原は薫とあまり年が変わらない。陸上部という共通点もある。高原は容易く薫の友人になってしまうだろう。

 ――面白くない。

 明人はそう感じたせいか、高原への回答はどこかよそよそしいものになってしまった。


「薫はまだ大学での講義と前期試験が残っているから、このロケに来る予定はない。残念だったな」

「ああ、そうか。まだ、夏休みに入ってないのか。今度のオフの時にでも家に招待してください。仕事のスケジュールを調整して必ず行きますから。もちろんお土産付きで」


 明人の苛立ちを読めない高原は、へらりと笑って薫に会うための算段をつけようとしていた。

 表情は笑顔を保ったまま、明人ロケ弁をゴミ箱に捨てるべく席から立ち上がった。


「優秀なマネージャーが自宅に帰る時間もないほど仕事を詰め込んでくれたから、暫くはそんな機会はないだろうな」


 明人が横目で非難がましく視線を聡に移すと、聡は作った笑みを浮かべて明人のクレームを誤魔化してみせた。

 実際の所、薫と明人が会わずに済む様に明人のスケジュールは組まれていた。次に明人が自宅でゆっくり休養の時間が取れる時には、薫は陸上部の合宿で家に居ないという風に。

 役に嵌り過ぎて純愛感情全開の明人に薫が遭遇したら、何が起こるか聡は想像したくなかった。

 突然自分に向けられた相手を焼き尽くすような情熱に怯えて、薫に逃げ出されては元も子もない。婚約偽装は何としても続けてもらわなくてはならない。聡にとっては、マネージャーとしての精一杯の対策だった。

 一方、明人は薫と離れて少なからずフラストレーションを感じていた。

からかうと薫は拗ねたような様子を見せ、婚約者になりきるための演技指導だと言って頬にキスさせたり、薫に膝枕してもらっている時に甘える様に太腿の頬を擦りつけてやると、見ている方が恥ずかしくなるほど顔を真っ赤にして狼狽えていた。

 明らかに男慣れしていない真っ白な薫が返す反応が面白くて、ついつい薫にちょっかいを掛けて遊んでしまう明人だが、知らない内にそれがストレス解消方法になっていた。

 ふと、明人は気づく。何か足りないとおもっていたが、ここには薫がいないんだ――。


「霧島さん、そろそろリハーサルの準備お願いします」


 助監督がマイクロバスの外から明人に声をかけた。映画の撮影は順調に進んでいるようで、予定よりも30分も早く明人の出番が回ってきていた。


「今、行きます」


 明人はそう答え、頭の中をシーンの撮影の事に切り替えて、マイロバスの外へ聡と共に出て行った。



* * * * * * * * *



 研修期間終えたばかりの駆け出し医者である明人演じる主人公と、牧場で働くヒロインの出会いのシーンの撮影が始まった。

 チェーンの切れた自転車を押しながら歩く明人。その足取りは疲れ切っているのか重い。限界だと言わんばかりに自転車を手放し、草原の走る道路の端に座り込んだ。


「石橋診療所は隣町にあるって聞いたけど、どこまで行けば町が見えてくるんだ?」


 東京で暮らしていた明人が演じる主人公の水原には、北海道の広さなど想像がつくはずがなかった。電車と地下鉄と路線バス網が行き届いている東京で生まれてずっと暮らしていた水原は、車の運転の必要性を感じたことが無かった。

 残念ながら自動車の免許を持っていなかった彼は、自転車を走らせれば辿り着けるだろうと楽観視して自転車を漕いでいたのだが、いつまで経っても続く草原に疲労困憊していた。


「どこまで行っても同じ景色ばかり……。俺、迷ったんじゃないよな?」


 不安げに呟く言葉に、誰も答えを返す者はいなかった。困ったなぁと頭の後ろを掻いていると、目の前で軽トラックが止まった。

 運転席のドアが開いて、長袖のTシャツにジーンズという出で立ちの女性が降りてきた。頭には麦わら帽子を被っている。

 項垂れる水原の前にヒロインの大垣幸子が両手を腰に当てて立った。そして、辛辣な言葉が投げかけられた。


「この広い北海道を自転車で移動しようとするなんで、馬鹿じゃないの?」


 その言葉に水原はむかっとして、疲れ切った膝を叱咤激励し、よろよろと立ちあがった。


「馬鹿とは、何だ。バスは2時間後しかないから、自分で移動した方が良いと思ったんだ」


 大垣は呆れたように肩を竦めた。水原を見る目は、どこか嘲りを含んでいた。横倒しになっている自転車をちらっと見て、水原の胸に人差し指を突き付けた。


「あんな、ママチャリじゃあ、陽が暮れる前に町にさえ辿り着けなくて、夜の寒さに震える事になるわよ」


 水原は驚いた顔をして、その場に固まった。想定外の事態だ。診療所の医師に赴任日は今日だと伝えてあるっていうのに!

 焦る水原の傍で、思い出したように大垣はポンと手を打った。


「そうだ、油を売っている場合じゃなかった。今日、我が町の診療所に東京から立派なお医者様が来るから迎えに行かなくちゃいけないんだった」


 くるりと回れ右をして、軽トラックへ戻ろうとする大垣の腕を水原が藁に縋る思い出で掴んだ。


「その医者の名前は、水原勇樹じゃないのか?」

「何で、あんたが知っているのよ!?」


 怪訝な顔をして、大垣は水原を振り返った。水原に掴まれた腕から手を振り払おうと、腕を上下左右に振り回している。


「俺が、石橋診療所に東京から赴任する医者だからだ」


 動いていた大垣の腕がぴたりと止まった。置いてけぼりは避けられそうだと安心した水原は大垣の腕から手を離した。


「ええっ!? 嘘っ。こんなドジっ子が医者だなんて!!」


 容赦のない大垣の指摘に、水原は気落ちしたように、また座り込んでしまった。



* * * * * * * * * *



「カ――ット。はい、オッケーです」


 監督の声がスピーカー越しに飛んでくる。次のシーンの撮影準備の為に、カメラや照明係が移動していく。

 いつもなら役から抜け出せずに座り込んだままでいるはずの明人が、さっと立ち上がった。

 ヒロイン大垣を演じる女優、南 京子は、そんな明人を意外そうな目で見ていた。


「15分ほどは落ち込んだままでいるかと思っていたけど、今回はやけに正常に戻るのが早いじゃない。どうしたの?」


 からかうように言われて明人は、今更ながらに気づく。演技の間は役に集中できているが、撮影が終わると頭の中を占めるのは、薫の事ばかり。役に嵌り込んで引きづられる暇もない。

 いつの間にか俺の心を捕まえて離さない存在になった薫に、明人は苦笑した。真理ちゃんが好きだと思っていたが、俺は友情を愛情と取り違えていただけだったのか。

 撮影の度に真理ちゃんがいないと寂しく思った事はなかった。ロケの間、真理ちゃんの事を想う事も無かった。

 ところが薫の事ときたらどうだ。ロケ弁を食べては薫の手料理が恋しいと思い、薫の姿が見えない事に寂しさを味わい、薫と親しくなろうとする男は悉く排除したいと思ってしまう。

 こんなにも、薫は俺の心の深くまで入り込んでいる。ロケで離れて気づくなんて、俺はとんでもない馬鹿だ。

 自分の中にすとんと落ち付いた真実を噛み締めながら、南の問いに答えた。


「薫が今どうしているか気になって仕方ないんですよ。セキュリティは万全とはいえ、自宅に薫は一人きりですから……」

「まあ、ごちそうさま。次のシーンの撮影もこの調子だと助かるわ」


 南には明人が惚気ていると思われたようだった。生暖かい目と意味深な含み笑いを残して、南は撮影の手順確認の為にスタッフの所へと歩いて行った。



「自転車で走らされて、喉乾いただろう。水持ってきた」


 聡がミネラルウォーターのペットボトル片手に明人へ走り寄ってきた。明人は聡から水を受け取ると、勢いよく半分ほど飲んだ。


「ロケは25日間の予定だったな」

「予備日を入れて、そうだよ」


 明人の確認に、聡はスケジュール手帳を確認してから返事を返した。


「よし、このロケ、5日早く終わらせてやる」


 俄然やる気になった明人に聡が焦り出した。

 そんなに早くロケが終ったら、監督と撮影スタッフは大喜びするかもしれないけれどさ。役に酔っている明人と薫さんが自宅で顔を合わせてしまうじゃないか!

 撮影が早く終わるか終らないかは、天候や進行状況次第でいくらでも変わって来るし……、スポットの仕事も入れにくい。どうしたものか。


「なんで普段にも増してやる気になっているんだ?」


 さりげなく聡が明人に探りを入れると、水の残ったペットボトルを聡に返して、明人は艶やかに微笑んだ。


「もちろん、薫のもとに早く帰るためだ。聡だって食べたいって言っていただろ。薫の手料理」


 次のシーンの撮影の為に、監督のもとに走って行く明人を見送る聡の頭は混乱していた。

 今の明人は役に酔ってなかったよな?素の明人が薫さんの所へ早く帰りたいだとう? まさか、薫さんの事、本気で好きになったのか? まずい、マズイ、非常にマズイ。

 恋愛に疎そうな薫さんが怯えて逃げてしまうじゃないか!

 頭を抱える聡を顧みる事無く、明人はすぐに撮影に入れるように現場にスタンバイしていた。

 薫に俺が好きだと告げても簡単には気持ちは傾いてくれないだろうと、明人は静かに思った。出会いの印象が最悪だったからな。

根気は要りそうだが、偽りの婚約から始まった関係を本物にしてみせる。

 そう決意して、明人は澄み渡る北海道の青空を見上げた。


2013.12.23 初出

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