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北方帝国崩壊記――七つの国に引き裂かれた大帝国  作者: レモンティー


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■第四話 皇帝、逃亡

帝都モスカル。

かつては大陸最大の都市だった。

人口は数百万人。

巨大な宮殿。

高層の魔導塔。

大通りには商人があふれ、帝国中から集められた食料や商品が並んでいた。

誰もが、この都市だけは最後まで残ると思っていた。

しかし、帝国が崩壊するとき。

最初に消えたのは、食料だった。

パン一個。

昨日まで銀貨百枚だった。

翌日には、二百枚。

さらに翌日。

五百枚。

三日後には、千枚。

それでも、買えるとは限らなかった。

市場から食料そのものが消えていたからだ。

「パンはないのか!」

「もう売り切れです!」

「肉は?」

「ありません!」

「じゃあ、小麦を!」

「それもありません!」

市場では、毎日のように怒号が飛び交った。

商人たちは店を閉めた。

農民は帝都へ来なくなった。

地方からの輸送隊も減っていった。

そして、帝都の食料庫が空になった。

皇帝プーチノフは、怒鳴った。

「倉庫を開けろ!」

官僚が震えながら答える。

「陛下……」

「どうした!」

「帝都の中央倉庫は……」

一瞬、言葉を詰まらせる。

「ほとんど空です」

「何だと?」

「小麦がありません」

「ならば別の倉庫を探せ!」

「ありません」

「地方から食料を運べ!」

「輸送隊が襲撃されています」

「ならば軍を出せ!」

「……軍は動きません」

皇帝の顔から、表情が消えた。

「なぜだ!」

官僚は俯いたまま答えた。

「帝都軍の兵士たち自身が……家族のために食料を求めています」

「……」

「兵士の中には、配給所へ並んでいる者もいます」

皇帝は何も言えなかった。

帝国軍。

皇帝の命令を絶対に守るはずだった軍隊。

その兵士たちが、自分の家族を守るために動き始めている。

皇帝を守るよりも。

帝国を守るよりも。

自分の子供を守ることを選んでいた。

そして、その日の夜。

宮殿の明かりが、一つずつ消えていった。

燃料が不足していた。

暖房も止まった。

廊下には、いつものような衛兵の姿が少ない。

宮殿そのものが、静まり返っていた。

深夜。

誰もいない地下通路。

そこへ、一台の馬車が入ってきた。

馬車は豪華なものではなかった。

古びた木製の荷馬車。

粗末な布で覆われている。

その中に、一人の男がいた。

皇帝プーチノフ。

しかし、皇帝の衣装は着ていない。

粗末な外套。

古びた靴。

顔を隠すための帽子。

側近が震える声で尋ねた。

「陛下……」

プーチノフは答えない。

「本当に……行かれるのですか?」

しばらくして。

皇帝が口を開いた。

「逃げるのではない」

側近が顔を上げる。

「では……?」

プーチノフは静かに言った。

「帝国を再建するためだ」

「……再建?」

「ああ」

皇帝は馬車の外を見た。

「ここにいては何もできない」

「帝国軍を再編する」

「地方を取り戻す」

「そして――」

一瞬、言葉を止める。

「もう一度、帝国を作る」

側近は何も言わなかった。

誰も信じていなかった。

いや。

信じることができなかった。

帝国はすでに四つの国家に分裂している。

軍は五つに割れている。

税は入ってこない。

食料もない。

魔晶石もない。

そして帝都そのものが飢え始めている。

そんな状況で、帝国を再建する。

それは、あまりにも遠い夢だった。

馬車が動き出す。

地下通路を抜ける。

宮殿の裏門。

そこには、わずかな兵士しかいなかった。

兵士の一人が馬車を止める。

「どこへ行く?」

側近が答えた。

「食料の輸送だ」

兵士は馬車を見た。

そして、興味を失ったように道を開けた。

「通れ」

馬車が進む。

皇帝を乗せているとは、誰も知らない。

帝都の北門。

そこも、以前とは違っていた。

門番の兵士たちは疲れ切っていた。

誰も皇帝の馬車を探していない。

誰も皇帝を守ろうとしていない。

ただ、自分が生き残ることだけを考えていた。

門が開く。

馬車が外へ出る。

プーチノフは振り返った。

巨大な帝都モスカル。

帝国の象徴。

数百万人が暮らす、巨大都市。

その姿を見ながら、皇帝は呟いた。

「必ず戻る」

馬車は暗闇の中へ消えていった。

そして、皇帝プーチノフは、

帝国最後の巨大都市モスカルから姿を消した。

翌朝。

異変に最初に気づいたのは、宮殿の使用人だった。

「皇帝陛下は?」

「お部屋にいらっしゃらない」

「執務室は?」

「誰もいない」

「地下通路は?」

「……馬車が一台、なくなっています」

噂は一時間で広がった。

二時間後には、帝都中に知れ渡った。

皇帝がいない。

宮殿から消えた。

逃げた。

広場に人が集まり始めた。

誰かが叫ぶ。

「皇帝は逃げた!」

別の男が叫ぶ。

「帝国を捨てたぞ!」

「俺たちを置いていった!」

「食料もないのに!」

「軍もいない!」

「誰が俺たちを守るんだ!」

怒号が広場を埋め尽くす。

そして、誰かが言った。

「もう、帝国は終わったんじゃないか?」

その一言に。

誰も反論しなかった。

皇帝がいなくなった。

軍もない。

食料もない。

地方も戻ってこない。

帝都を支えていたものは、すべて消えていた。

その瞬間。

帝都の最後の希望が、消えた。

だが。

まだ誰も知らなかった。

皇帝が去った帝都へ、別の軍隊が迫っていることを。

帝国最後の巨大都市。

モスカル。

その周囲に、

少しずつ、軍旗が集まり始めていた。

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