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北方帝国崩壊記――七つの国に引き裂かれた大帝国  作者: レモンティー


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2/14

■第二話 帝国軍、五つに割れる

皇帝は、まだ命令できると思っていた。

だが、その命令を聞く者は、もういなかった。

帝都モスカル。

皇帝プーチノフが宮殿に籠もり、戦争の勝利を信じ続けていた頃。

帝国軍総司令部では、五人の将軍が向かい合っていた。

北方軍司令官――グラウス。

東方軍司令官――ゼルマン。

南方軍司令官――バルド。

西方軍司令官――ローデン。

そして帝都防衛軍司令官――ハルヴァン。

五人合わせて、帝国軍の大半を指揮する男たちだった。

かつてなら、この部屋に皇帝の命令書が届けば、答えは一つだった。

「了解しました」

それだけでいい。

皇帝の命令は、帝国軍の命令だった。

帝国軍の命令は、絶対だった。

しかし、その日は違った。

グラウスが、一枚の紙を机の上に置いた。

「帝都から命令が来ている」

五人の視線が、紙に集まる。

グラウスは読み上げた。

「地方軍を解体し、全軍を帝都へ集結させろ」

沈黙。

さらにグラウスは続けた。

「各地方の武器庫を接収し、地方政府の軍事権限を帝都へ戻せ。食料も帝都へ優先的に送れ――だそうだ」

ゼルマンが、。、従う者はいない。

ローデンが低い声で言った。

「西方も同じだ。兵士たちは帝都より、自分の家族を守ることを優先する」

ゼルマンが机を指で叩いた。

「東方では、すでに武器工場が帝都への出荷を止めている」

「何?」

ハルヴァンが顔を上げた。

「武器まで?」

「そうだ」

ゼルマンは淡々と言った。

「帝都へ送ったところで、代金が払われない。ならば自分たちの軍に使う」

それは、ほんの小さな変化だった。

だが、帝国にとっては致命的だった。

軍が武器を中央へ送らなくなった。

地方が税を中央へ送らなくなった。

兵士が中央の命令を聞かなくなった。

それでも皇帝は、まだ気づいていない。

グラウスが、命令書を折った。

「私は北方軍を帝都へ戻さない」

ハルヴァンがグラウスを見る。

「反逆するつもりか?」

「違う」

グラウスは静かに答えた。

「北方を守る」

「帝国ではなく?」

「北方に住む人間を守る」

その言葉に、誰も反論できなかった。

グラウスは続けた。

「北方の倉庫には、あと二か月分の食料しかない。帝都へ送れば、北方の人間が飢える」

「だから軍を動かさない、と?」

「そうだ」

ゼルマンが立ち上がった。

「ならば私も同じだ」

彼は東方を示した。

「東方には魔晶石鉱山がある。武器工場もある。帝都にすべて送れば、東方には何も残らない」

ゼルマンは命令書を見た。

そして・・・破った。

「東方軍は東方から動かさない」

バルドも立ち上がった。

「南方もだ」

南方は、帝国最大の穀倉地帯だった。

小麦。

芋。

豆。

家畜。

帝国中の食料を支えている地域だった。

バルドは言った。

「南方の食料を帝都へ送ることはできる」

一瞬、全員が彼を見た。

だが、「ただし、南方の住民が食べた後だ」

誰も笑わなかった。

ローデンも立ち上がる。

「西方も同じだ」

西方には港がある。

外国との交易路もある。

帝国へ入ってくる物資の多くが、西方を通っていた。

「西方軍は国境を離れない」

ローデンはそう言った。

「外国軍が帝国の混乱に乗じて攻めてくる可能性がある」

そして最後に、ハルヴァン。

帝都防衛軍司令官。

五人の中で唯一、皇帝のすぐそばにいる男だった。

全員の視線が集まる。

ハルヴァンはしばらく黙っていた。

やがて口を開く。

「私は……帝都を守る」

グラウスが聞いた。

「皇帝を守るのか?」

ハルヴァンは答えなかった。

しばらくして、静かに言った。

「帝都には、何百万人もの人間がいる」

その言葉だけだった。

皇帝を守るとは言わなかった。

五人は互いを見つめた。

誰も、「独立する」

とは言わなかった。

誰も、「皇帝を廃する」

とは言わなかった。

ただ、自分の軍を、自分の地域に置いた。

それだけだった。

だが、それだけで十分だった。

翌朝。

北方軍は帝都へ向かうはずだった列車を止めた。

東方軍は武器と魔晶石を東方の倉庫へ運び始めた。

南方軍は穀物庫を軍の管理下に置いた。

西方軍は国境検問所を封鎖した。

そして帝都防衛軍は、帝都の出入口を閉じた。

帝国軍総司令部から、次々と命令が飛んだ。

「北方軍へ、即時帰還を命じる!」

返事はなかった。

「東方軍へ、武器の引き渡しを命じる!」

返事はなかった。

「南方軍へ、食料を帝都へ送れ!」

返事はなかった。

「西方軍へ、国境部隊を帝都へ移動させろ!」

返事はなかった。

そして最後。

帝都防衛軍へ。

「皇帝陛下の命令を最優先せよ!」

ハルヴァンは、その命令書を読んだ。

そして、机の引き出しにしまった。

その日の夜。

帝国の地図が、総司令部の巨大な机の上に広げられた。

グラウスが北を指す。

「ここは北方軍が押さえる」

ゼルマンが東を指す。

「東は私が」

バルドが南を指す。

「南方は私だ」

ローデンが西を指す。

「西は任せろ」

そして中央。

帝都モスカル。

ハルヴァンがそこに手を置いた。

「ここは私が守る」

五人の手が、それぞれ別の場所に置かれていた。

誰も気づいていなかった。

いや、気づいていた。

この瞬間。

帝国軍は、もう一つの軍隊ではない。

五つの軍隊になったのだ。

北方軍。

東方軍。

南方軍。

西方軍。

帝都軍。

五つの軍は、それぞれ独自に食料を徴発し、独自に税を集め、独自に武器を生産し始めた。

命令系統も違う。

補給路も違う。

財布も違う。

守る土地も違う。

そして、忠誠を誓う相手さえ、少しずつ変わっていった。

帝都では、皇帝プーチノフがまだ地図を見ていた。

「五軍を帝都へ戻せ」

側近が震えながら答える。

「……陛下」

「どうした?」

「各軍から、返答がありません」

「ならば、もう一度命令しろ」

「それが……」

側近は言葉を詰まらせた。

「すでに三度、命令を送っています」

皇帝は眉をひそめた。

「ならば四度送れ」

「……はい」

側近が退室する。

プーチノフは、まだ気づいていなかった。

自分の命令が届かないのではない。

届いている。

読まれている。

そして、無視されている。

帝国軍四十万。

それはまだ書類の上では「帝国軍」だった。

だが現実には・・・

北方の四十万ではない。

東方の十数万でもない。

南方の軍でもない。

西方の軍でもない。

帝都の軍でもない。

それぞれが、自分たちの土地を守るための軍になっていた。

そして、その先には必ず、「独立」という言葉が待っている。

帝国はまだ存在していた。

皇帝もまだ生きていた。

国旗も掲げられていた。

帝国軍という名前も残っていた。

だが、中身は、もう消えていた。

帝国軍は五つに割れた。

そして次に割れるのは帝国そのものだった。

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