■第十話 七つの国、再び一つになる
帝国が滅びてから、十年。
七つに分かれた国々は、二度と一つになることはない。
誰もが、そう思っていた。
北方共和国は、東方連邦を警戒していた。
東方連邦は、中央帝国の軍備増強を警戒していた。
南方王国は、西方諸侯連合と交易を続けながらも、決して軍事同盟を結ぼうとはしなかった。
そして、新生モスカル共和国。
かつての帝都だったというだけで、他の六か国から常に警戒されていた。
七つの国。
七つの軍隊。
七つの通貨。
七つの国境。
帝国が存在していた頃には、考えられなかった光景だった。
互いに疑い。
互いに武器を増やし。
互いに国境へ兵を置く。
それが、十年間続いた。
だが――
その日。
七か国の首都に、まったく同じ報告が届いた。
「北東辺境国の地下で――」
報告官の声が震える。
「旧帝国軍が、活動を開始しました」
各国の会議室が静まり返った。
「規模は?」
「……不明です」
「推定しろ」
報告官は、一度息を吸った。
そして。
「最低でも――百万」
沈黙。
誰も言葉を発しなかった。
百万。
それは、十年前。
北方帝国が保有していた全軍に匹敵する兵力だった。
しかし。
本当に恐ろしいのは、兵士の数ではなかった。
「……十年間?」
中央帝国の皇帝が尋ねる。
「はい」
「その軍隊は、十年間……何をしていた?」
報告官は答えた。
「戦っていません」
「……何?」
「一度もです」
誰かが息を呑んだ。
つまり――
百万の軍隊が。
十年間。
一度も消耗せず。
一度も分散せず。
一度も敗北せず。
地下で眠っていた。
その意味に気づいた瞬間。
中央帝国の皇帝の顔が青ざめた。
「……我々は」
震える声で呟く。
「十年間ずっと……騙されていたのか?」
誰も否定できなかった。
その日の夕方。
七か国の首都に、一斉に魔導通信が入った。
画面に映ったのは――
地下都市。
巨大な兵器。
整然と並ぶ兵士たち。
そして、その中央。
一人の男が立っていた。
白髪。
黒い軍服。
鋭い目。
十年前。
帝都モスカルから姿を消した男。
プーチノフ。
かつての北方帝国皇帝だった。
プーチノフは、ゆっくりと口を開いた。
『七つの国よ』
誰もが画面を見つめる。
『お前たちは、自由になったと思っている』
一瞬の間。
『違う』
プーチノフの目が細くなる。
『お前たちは、帝国から与えられた十年間を生きていただけだ』
各国の代表がざわめく。
『明日より――』
プーチノフの背後で、巨大な機械が動き始める。
『七つの国の国境を撤廃する』
「何だと……?」
『各国軍は武装解除せよ』
『各国通貨は廃止せよ』
『すべての魔晶石を帝国へ返還せよ』
そして。
プーチノフは、はっきりと言った。
『拒否する国は――』
画面越しでも分かるほど、その目が冷たくなる。
『敵とみなす』
通信が切れた。
数秒。
誰も口を開かなかった。
やがて。
北方共和国の代表が、机を叩いた。
「……ふざけるな」
東方連邦の代表も立ち上がる。
「我々は、もう帝国には戻らない」
南方王国。
西方諸侯連合。
中央帝国。
新生モスカル共和国。
そして北東辺境国。
七か国すべてが、同じ結論を出した。
「戦う」
その夜。
大陸中で軍が動き始めた。
北方共和国――十万。
東方連邦――二十万。
南方王国――十五万。
西方諸侯連合――十万。
中央帝国――二十五万。
新生モスカル共和国――十万。
そして。
北東辺境国――三十万。
合計。
百十万。
十年前。
帝国を滅ぼした者たちが――
今度は。
帝国復活を止めるために、一つの軍となった。
兵士たちの旗は違う。
国章も違う。
制服も違う。
だが。
目指す場所だけは同じだった。
北東辺境国。
地下都市。
「皇帝を捕らえろ!」
「地下都市を制圧する!」
「帝国を二度と蘇らせるな!」
百十万の軍勢が進む。
大地が震えた。
まるで――
大陸そのものが、戦争の始まりを恐れているかのように。
三日後。
北東辺境国。
地下都市入口。
七か国連合軍は、巨大な門の前に到着した。
高さ五十メートル。
幅は百メートルを超える。
門そのものに、千年以上前の帝国紋章が刻まれている。
北方共和国の将軍が呟いた。
「……これほどの門を、何のために?」
東方連邦の魔導技師が門を調べる。
そして。
顔色を変えた。
「将軍」
「何だ」
「これは……門ではありません」
「では何だ?」
技師は震える声で答えた。
「都市の……入口です」
その瞬間。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
大地が揺れた。
巨大な門が――
ゆっくりと開いた。
ギギギギギ……。
暗闇。
その奥から。
一人の男が歩いてくる。
プーチノフ。
一人だった。
兵士もいない。
護衛もいない。
武器さえ持っていない。
北方共和国の将軍が叫ぶ。
「プーチノフ!」
「帝国は十年前に終わった!」
「お前一人で何ができる!」
プーチノフは立ち止まった。
そして。
笑った。
「一人?」
その瞬間だった。
地下都市の照明が――
一斉に点灯した。
パッ。
パッ。
パッ。
パッ。
遠く。
さらに遠く。
そして。
見えないほど地下深くまで。
無数の光が灯っていく。
兵士たちの顔から、血の気が引いた。
それは都市だった。
想像を絶するほど巨大な都市。
十年間。
いや。
それより遥か以前から。
地下に存在していた都市。
プーチノフが言った。
「お前たちは、まだ何も理解していない」
「何をだ!」
「私は帝国を作ったのではない」
一歩。
プーチノフが前へ進む。
「帝国に――」
さらに一歩。
「選ばれたのだ」
将軍が叫ぶ。
「意味が分からん!」
プーチノフは答えなかった。
ただ、地下都市の天井を見上げた。
すると。
巨大な映像が空中に浮かび上がった。
七つの国。
その国境。
そして――
大陸全体を覆う巨大な魔法陣。
連合軍の兵士たちがざわめく。
「何だ……あれは……」
プーチノフが言った。
「十年前」
「私が帝都を捨てた日」
「すでに計画は始まっていた」
七つの国。
七つの国境。
七つの魔晶脈。
すべてが一本の線で繋がっている。
「帝国が七つに分裂することも」
「七つの国が互いに競争することも」
「魔晶石を掘り続けることも」
「軍隊を増やすことも」
「すべて――」
プーチノフは笑った。
「予定通りだった」
連合軍の兵士たちが騒ぎ始める。
「じゃあ……」
「俺たちが国を作ったことも……?」
「全部、仕組まれていたのか?」
プーチノフは答えない。
代わりに。
地面から――
巨大な音が響いた。
ドォォォォォォォォン!
大地が割れた。
その奥から現れたのは――
地下深くへ続く巨大な階段。
そして。
階段の先。
巨大な扉。
扉には、たった一つの文字が刻まれていた。
『皇』
プーチノフが振り返る。
「これから、お前たちは見る」
「何をだ!」
プーチノフは静かに答えた。
「真の皇帝を」
同じ頃。
東方連邦。
地下研究所。
皇帝の血を引く青年は、一冊の古文書を開いていた。
『第一皇帝――覚醒準備』
古代装置が、同じ言葉を繰り返している。
青年はページをめくった。
一枚。
二枚。
三枚。
そして。
最後のページ。
そこには――
初代皇帝の肖像画が描かれていた。
青年の手が止まる。
「……嘘だろ」
その顔。
その目。
その髪。
すべてが――
プーチノフと同じだった。
「あり得ない……」
初代皇帝が生きているなら。
千百六十年もの間。
どうやって――
青年は肖像画の下にある文字を見た。
そして。
凍りついた。
『初代皇帝は死んでいない』
『肉体を捨てた』
『帝国そのものに意識を移した』
青年の口から、声が漏れる。
「帝国そのもの……?」
その瞬間。
研究所の照明が消えた。
真っ暗。
静寂。
そして。
闇の中から声がした。
『ようやく――』
青年が振り返る。
誰もいない。
『私を見つけたか』
「……誰だ」
声が笑う。
『プーチノフは、私の器にすぎない』
青年の顔から血の気が引いた。
「……そんな」
『私は帝国だ』
「帝国……?」
『千百六十年前から――』
『私は、この日を待っていた』
北東辺境国。
地下都市。
巨大な扉の前。
七か国連合軍が見守る中。
プーチノフが――
片膝をついた。
「皇帝が……?」
「何をしている?」
プーチノフは頭を下げた。
そして。
静かに言った。
「お目覚めください」
――ゴゴゴゴゴゴゴ。
巨大な扉が開き始める。
その向こうには――
何もない。
完全な暗闇。
だが。
次の瞬間。
暗闇の中に――
巨大な赤い光が灯った。
一つ。
二つ。
三つ。
いや。
それは光ではなかった。
目だった。
大陸全土を見渡せるほど巨大な――
一つの目。
兵士たちが後ずさる。
「な……何だ……」
「こんなもの……」
「生き物なのか……?」
地面が揺れる。
地下から。
声が響いた。
『七つの国』
さらに。
『七つの軍』
そして。
『七つの魔晶脈』
巨大な目が開く。
『すべて揃った』
大陸中の魔晶石が、一斉に赤く光り始めた。
北方共和国。
東方連邦。
南方王国。
西方諸侯連合。
中央帝国。
新生モスカル共和国。
北東辺境国。
七つの国。
七つの都市。
七つの軍。
すべてを一本の光が繋いでいく。
そして――
空が赤く染まった。
『帝国再建計画』
声が大陸全土に響き渡る。
『最終段階を開始する』
その瞬間。
プーチノフが笑った。
だが。
次の言葉を聞いた瞬間。
その笑顔が――
消えた。
『器番号――プーチノフ』
『役割を終了します』
「……何?」
プーチノフが顔を上げる。
『次の器を選定します』
巨大な目が、プーチノフを見る。
『皇帝プーチノフ』
『ご苦労だった』
プーチノフの表情が凍りついた。
「待て……」
初めて。
プーチノフの声が震えた。
「私は……皇帝だ」
『違う』
『お前は――』
大陸全土が揺れる。
『帝国に使われた人間だ』
そして。
地下深くから――
新たな足音が響いた。
一歩。
また一歩。
プーチノフの背後。
暗闇の奥から。
誰かが歩いてくる。
その姿を見た瞬間。
プーチノフは――
十年ぶりに。
本気で恐怖した。
「……なぜだ」
その人物は。
千百六十年前に死んだはずの初代皇帝だった。




