表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かがみ山  作者: クガニ堂


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/4

01話

空は低い雲に覆われていて、光が重たい

部屋は薄暗くカーテンを開けても、部屋はたいして明るくならない。


お昼はとっくに過ぎていて、チェストの上のデジタル時計が13:07と緑に光っている。隣の部屋からは小さくテレビの音。台所の方から、かすかに皿の音が聞こえてくる。


背中に寝汗が乾かないまま残っていて、気持ちが悪い。のろのろとベッドから起き上がり、シャワーを浴びに向かった。


少し熱めのシャワーを頭から浴びる。汗が流れ落ち、頭のもやが少しずつ晴れていく。湯気の中、昨夜の夢の残りが溶けて排水口に吸い込まれていく気がした。


身体を拭いて着替えようとしたとき——鏡の中で、ふと目が留まった。


左のわき腹から腹にかけて斜めに走る、薄い痣。何かの形というわけでもない、ただの染みのような痣。

これって、あの時についたものなんだろうか。


子供の頃は気にもしていなかった。生まれつきなんだと思っていた。誰にでもあるものだと、思っていた時期さえある。


そんな痣が、なんだか前よりも濃くなっている気がする。いつから痣があるのか、上手く思い出せない。思い出そうとすると、霧がかかったみたいに輪郭がぼやけていく。


考えるのをやめ、シャツをかぶり鏡から目を離した。


リビングに入ると、テレビからニュースを読む声。天気の話。いつもの昼の音だ。昨夜のことなんてお構いなしに、この家の一日はもう始まっている。


「起きたの。テーブルの上にごはん置いてあるから」

そこには母がいた。


テーブルの上に、ラップのかかった皿が並んでいる。母は薄手の上着を羽織って、鞄に何かを詰めているところだった。これから出かけるみたいだ。


「かあさんは、もう食べたの?」

「わたしはさっき済ませたわ」

「かあさん、今日は体調大丈夫なの?」

「大丈夫よ。今日は体調良いみたい、ありがとう」


なんだか母の顔が、少し疲れて見えた。声の調子は少し明るいが顔色が、あまりよくない気がする。おれは椅子に座って、箸をとった。卵焼きは、まだほんのり温かかった。


「ワタル」


母が、こちらを見ずに言った。


「昨夜は眠れた? 夜中に起きてたみたいだけど、何かあった?」


おれは迷った。

赤い目のこと。知らない場所のこと。ずっと同じ夢を見ていること。夢の続きを見たこと。わからないことは、山ほどあった。


顔を上げて、母を見た。

二つの黒い目が、じっとおれを見ていた。


母の目を、こんなふうに感じたことは今までなかった。ぞくりとした。心配している、というのとは違う。少しの変化も見逃すまいとするような、こちらを静かに観察するような目。


気づけばテレビの音が遠くなり、台所が妙に静かになる感覚。冷蔵庫の低い唸りだけが、足元のほうで続いている。


ほんの一瞬。

その一瞬が、やけに長く感じた。


「……何もないよ」


自分でもよく分からないが思わずそう言っていた。

何でもない顔を作って、視線を皿に戻した。


「そう」


母は短くそう言った。

それだけ聞いて、あとは何も聞かなかった。


さっきの目は、おれの考えすぎだったのだろうか。

鞄のファスナーを閉める音が、静かな台所にやけに大きく響いた。


「かあさんはこれから、オバーのところに行ってくるね」

次に顔を上げたときには、もういつもの母だった。


オバーというのは、近所に住むユタのお婆さんだ。母は時々、オバーの仕事の手伝いや、家の用事を手伝いに行く。ここに引っ越して来てから、ずっとそうしている。


「今日も行くの? 次は明後日って、言ってなかった?」

母の手が、ほんの少しだけ止まった気がした。


「急に呼ばれたの。オバーも歳だから、いろいろあるみたい」

そう言って母は笑った。いつもの笑い方だった。


おれは「ふうん」とだけ返した。母がオバーのところへ行くのは、別に珍しいことじゃない。呼ばれたのなら、そうなんだろう。


いってきます、と言って母が出ていき、玄関の戸が閉まった。家の中が、急に静かになった。おれは一人、冷めかけた残りのごはんを口に運んだ。


頭の中に、さっきの母の目が、まだ残っていた。母は、何か知っているんじゃないか。ふいに、そう思った。

あの夢のことも、この痣のことも。本当は何か知っていて……

もしあのとき聞いていたら、教えてくれたのだろうか。


それとも——また、あの悲しい顔をさせるだけだろうか。

むかし一度だけ、母に聞いてみたことがある。


「どうして沖縄に引っ越したの? お父さんとは、もう会えないの?」


母はひどく悲しい顔をして、

「ごめんね。お父さんに会いたいよね。」


震える声で言った。母のあんな顔は、もう見たくない。おれはそれ以来、聞くのをやめた。


おれは立ち上がり食器を片付けた。蛇口から流れる水の音が、静かな家の中でひとりだけ喋っているみたいだった。隣の部屋では、まだテレビが小さく続いている。誰も見ていない画面の中だけで、世界はいつもどおりに回っている。


赤い目。暗い場所。祠。二人の男の子。

あの子たちは、誰なんだろう。


あの夢のことは何もわからない。もし、あれが本当にあったことなら。あの二人は、あの後どうなったんだろう。考えても、答えは出ない。

いつもそうだ。考えは決まって同じところで行き止まりになって、その先には、霧がかかっている。


夜にはバイトがある。それまでは、いつもと同じ、なにもない一日のはずだ。

窓の外で、低い雲の下を、乾いた風が吹いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ