522.とにかく再現は無理そう
報酬をもらっていない。
随分と大きなミスがあったものだ。
そんな聖女側にもやり残したことがあったようだ、が。
その話は一旦おいておこう。
気にはなるが。
あのグレイ・ルーヴァからの報酬なんて、とても気になるが。
報酬と言えばお金。
あるいは、価値のある物。
だが、その辺の話は不躾に触れていいことではない。
「神の酒樽、キーブン先生に見てもらった?」
開拓地の温室で、そんな話をしていたはずだ。
――神の酒樽に使われている木材は?
――摩耗して読めなくなった古代文字は?
クノンや聖女ではわからなかった。
だが、豊富な知識を持つ現役教師なら、何かわかるかもしれない。
……そういえば、彼も偽教師だったか。
手続き忘れの失効中だった。
無事、新しい身分証を受け取れただろうか。
「ええ、かなり以前のことになりますが。
確証はない、と前置きして教えてくれましたよ」
さすが教師、心当たりがあったらしい。
「古代文字の方はわからないとのことでしたが。
材料は、聖樹ロゼ・アセロではないか、とのことです」
聖樹ロゼ・アセロ。
これもまた、昔話や神話で有名な樹木だ。
「あの龍滅山の溶岩に生えてるっていう……」
過去、文字を覚える段階で。
クノンは児童向けの絵本で読んだ。
かいつまんで言うと。
浄炎龍ローバンキューの死骸に樹がそびえた、とかなんとか。
そんな話だったはず。
あの当時は、何の疑問も抱かなかった。
普通のおとぎ話だ、と思ったのだ。
でも今は……なんというか。
ありえる、気がする。
逸話の真偽はともかく。
溶岩にそそり立つ樹木なら、あるんじゃないかと。
何せ、知っているから。
霊樹輝魂樹が実在することを。
ならば、他の神樹だの聖樹だのがあってもおかしくないだろう。
「そう、そのロゼ・アセロです。
キーブン先生はロゼ・アセロの木片を持っていて」
「持っていて!? え、実際に!?」
「本人はそう言っていました」
なんということだ。
神話、結構身近にあったらしい。
「そして私に見せてくれました」
「見せてくれたの!?」
「ええ、とても立派でしたよ。木彫りの像でしたが」
なるほど、加工品の原料のようだ。
「もちろん触ったりもしました」
「触ったの!? ど、どうだった!?」
「興奮しましたね。私にしては珍しく」
興奮したらしい。
あの感情が乏しい聖女が。
「私が見て触ったロゼ・アセロは、その辺にある木とまるで変わりませんでした。
ただ――燃やしても燃えなかった。
焚火にくべても火が点かないのです。
もっと言うと、木片に熱が通らないようです。
ついさっきまで火で焙られていたのに、引き上げてすぐに触れても熱くなかった。
不思議な物体でした。
魔的なものもあまり感じなかっただけに、とても」
つまり、熱に滅法強いということか。
「興奮しましたね」
二回も言うほど興奮したらしい。
あの聖女が。
実際、龍滅山はあるのか。
どこにあるのか。
ロゼ・アセロは溶岩の中にどのように生えているのか。
疑問は尽きないが、しかし。
本題はそこではないので、今はいいだろう。
――材料が神話級だったので、神の酒樽の再現は無理そう。
ひとまず、それだけわかればいい。
……いずれキーブンには、その木彫りの像を見せてほしいと頼むとして、だ。
「ありがとう、レイエス嬢。参考になったよ」
クノンのやりたいことには、たぶん拘わらないが。
貴重な話が聞けたのは間違いない。
「忘れないでくださいね。
キーブン先生は『恐らくは』と念を押していたので、確証はありません。
あくまでも可能性が高い、というだけの話です」
聖女の言葉に、クノンは頷く。
――確かめようがない話、ということだ。
本当にロゼ・アセロかどうかを確かめるなら。
神の酒樽を燃やせば、少なくとも信憑性は増すかもしれない。
しかしそれは、取り返しのつかない事故を起こしかねない。
グレイ・ルーヴァの私物を害するなど……。
そんな恐ろしいこと、できるわけがない。
そうじゃなくても貴重な魔道具。
失われた時の損失は計り知れない。
「……ねえレイエス嬢、軽い気持ちで聞くんだけどさ」
「何でしょう?」
「もしロゼ・アセロの種が手に入ったら……育てられる?」
ぴくり、と聖女の眉が動いた。
珍しくちょっと動揺したらしい。
「……いえ、神話通りの聖樹であるなら、きっと溶岩こそがロゼ・アセロの養分なのだと思います。
いくら豊穣の力が働いても、ただの土では育たないと思います」
冷静な判断である。
クノンも、そう思う。
水や水分といったものでは生長しない樹ではないか、と思う。
「――しかし、霊樹輝魂樹の傍に植えた場合は、どうでしょうね」
「……」
クノンは何も言えなかった。
そんなこと、まるで考えていなかったら。
「私には育てられませんが、あの霊樹なら育てられるかもしれません」
なるほど、とクノンは頷く。
「興味はあるけど、試した結果が怖いね」
あの樹の傍なら、どんな植物も芽吹くという。
霊草の類も育つらしいので。
可能性は、あるのだろう。
あの樹なら、植生環境の問題さえ力尽くで乗り越えそうだ。
「そうですね。……ロゼ・アセロの種ですか……」
「……」
思案げな聖女に、クノンは嫌な予感がした。
なんだか聖女がよくない興味を抱き始めた気がする。
だが、まあ。
アレだ。
ロゼ・アセロの種なんて簡単に手に入るものではないだろう。
だから、大丈夫。
きっと。
クノンは聖女の教室を後にした。
一応「可憐なレディに危険な思想は似合わないよ」とだけ言っておいた。
あまり聞いている感じはなかったが……。
まあ、いい。
クノンの言葉が響かないのはいつものことだし。
「さて」
気持ちを切り替えよう。
神の酒樽は再現できない。
これは確定だ。参考にもするべきではない。
ならば、やはり魔道具の醸造樽を当たるべきだ。
図書館にレポートがあるかもしれない。
今度はそっちに行ってみよう。





