521.神の酒樽のその後の話
それはそれ。
やることはやらねばならない。
偽教師界隈の激震。
偽教師たちへの学校の対処。
――それから連なる、ラサミン・アウリッツの逮捕。
そんな衝撃的な事件もあったが。
それはそれ、だ。
気にはなるが、クノンがすべきことは、変わらない。
魔術の研鑽と単位取得。
これを優先するだけだ。
ラサミンとはもっと話をしたい。
水魔術について、語りたい。
とは思うのだが。
今はきっと無理だろう。
偽教師界隈については、少し落ち着くまで待つしかないと思う。
「……」
朝食を食べながら、クノンは考えていた。
第一校舎の掃除。
偽教師の調査。
それと少々別件で。
「実力の派閥」代表ベイルとエリアの関係の進展状況。
魔術学校三年目。
まだ始まったばかりだが、すでにいろんなことが起こっている。
――優先順位に迷う。
「何かお悩みですか?」
「え? ああ」
専属侍女リンコに声を掛けられ、クノンは顔を上げた。
朝食を食べる手が止まっていた。
だから気になったのだろう。
「これから何をしようかな、って」
やるべきことは、結構多い。
やりたいことも多い。
だから、迷っている。
特に。
――凸面鏡の視界。
――初級魔術の早打ち。
この二つの存在感は、非常に大きい。
……が、優先順位は低い気がするのだ。
視界も早打ちも、家でできるから。
昼は魔術学校でしかできないことをして。
魔術の研鑽は、夜、家でやってもいいだろう。
となると……と。
やるべきことを、悩んでいる。
「何をしようか、ですか。
クノン様はいつも忙しそうですけど、そんなにやることがあるんですか?」
「あるんだよね。
もちろんリンコとのデートなら、いつでも予定を空けるけど?」
「ああ、いいですねー。
でも私、どちらかと言えばデートの時間分でも稼いできてほしいですねー」
とまあ、いつもの冗談を言い合ったところで。
「そういえば、あの話ってどうなったんですか?」
「僕とリンコのデート? ここで暮らして長いのにしたことないね」
「毎日会ってますからね。あえてデートするまでもないってことでしょう」
まあ、そうかもしれない。
何せ一緒に住んでいるくらいだから。
「それじゃなくて、ほら、えっと……なんとかズィガーとかって例のアレのやつ」
ズィガー?
侍女からはよく、知らない食材や料理、調理法の名を聞くが。
これまた謎の名前が――
「……あ、神の酒樽?」
「酒を捧げよ、神の渇きを癒せ」。
妙に聞いたことがあると思えば、例のアレのことか。
「そうそう、一緒に遠征したあの魔法の酒樽。
ミリカ様と約束してたでしょう? 開拓地でお酒を造るとか造らないとかって」
あの件はどうなったのか、と。
どうなったか。
今、思い出したくらいだが。
侍女に問われて、今。
「そうだ、酒の件があったか……すっかり忘れてたな」
遠征から帰って、忙しかったのもあり。
いつの間にか失念していた。
「……聞きに行ってみようかな」
また先延ばしにしたら、忘れてしまうかもしれない。
今日はあの一件について聞いてみよう。
クノンは予定を決め、朝食を片付けた。
聖女はすでに登校していた。
彼女の朝は、かなり早い。
「――おはよう、レイエス嬢」
今日は朝から、聖女の教室を訪ねてみた。
何度見ても、おびただしい数の鉢植えだ。
緑と水の匂いがする。
今まさに水まきを終えたところ、だろうか。
「おはようございます。何か用事でも?」
基本、クノンや同期たちがここに来るのは昼頃だ。
――朝から来るのは、用事がある時だけ。
聖女もそれくらいは認識している。
「ちょっと聞きたいことがあってね。
ところで昨日の君を百点の可憐さだとしたら、今日は百十点ってことでいいかな?」
「少々寝不足なので四十六点くらいでいいのでは?」
少々の寝不足くらいでそこまで減点されるのか。
自分に厳しい聖女である。
「それで? 四十六点の私に何か?」
「あ、うん。思い出したんだよ。
神の酒樽の件、どうなったのかなって」
あれから結構な時間が経っている。
あの遠征に、神の酒樽を持って行った理由。
それは、あの世界一の魔女グレイ・ルーヴァの依頼だったからだ。
これぞという酒を造れ、とか。
そういうアバウトな依頼だった、と記憶している。
聖女が引き受けて。
遠征先で酒を造って。
まあ、婚約者が飲んだり飲まなかったり、という感じだった。
で、結局酒はできたそうだ。
そして、それ以降の情報はない。
――神の酒樽はともかく。
酒のことも。
酒が造れる魔道具についても。
開拓地にいるミリカのために。
そろそろ調べ始めてもいい気はするが……いや。
やはりまだ早いか。
三年目が始まった日、教師クラヴィスが依頼書を持ってきた。
要件は醸造樽の作成だった。
要するに、神の酒樽に似た魔道具を造れ、というものだ。
頼まれたあの時は、年齢の都合で断ったのだ。
クノンはまだ飲める歳ではないから。
年齢など間違うわけがない。
「あの酒樽は返しましたよ。酒も渡しました」
それはそうだろう。
あれから結構経っているから。
さすがにもう決着はついているだろう。
「グレイちゃ……グレイ・ルーヴァの感想は?」
――グレイ・ルーヴァとは、少しだけ関わった。
その時の癖で「グレイちゃん」と呼びそうになってしまったが。
「特にありません」
クノンの言い間違いを、聖女は気にしなかった。
「酒樽を返し、酒を提出して、終わりです。続報はありません」
そうか。
ならば、造られた酒を。
グレイ・ルーヴァが気に入ったかどうかさえ、わからないのか。
「あ」
今度は、聖女が何かを思い出したようだ。
「そういえば、まだグレイ先生から報酬を貰っていませんね」
酒樽を返して、提出して。
そのまま。
なるほど。
報酬の話がまだ浮いているらしい。





