143 悪夢の館 その3
「クマーッ ……え」
ブゥゥゥン。
車の音。
気が付くと朝の自宅、縁側で伸びをしていた。
晴れの日が眩しい。
「い、いまのは、一体!」
思わず、キョロキョロするが平和な庭が広がるだけ。
虫が飛んでいる。
「……」
訳が分からなかった。
(まさか、因果を飛ばした? たぶん違う、タイムループ?)
そのようなことはよほどの超常存在でなければできない。
じっと『エルベスの瞳』を見た。
気配はないが深淵を秘めている。
「翔ちゃん」
母の声が聞こえる。
「えっと、そうだ。庭に雑草が増えてるから雑草刈りするよ」
「あら、先日抜いたと思ったのに、もう生えてきたの」
エプロンを外しながら詩乃がやってくる。
先ほどまで朝食を用意してくれたのだ。
「今日は僕が雑草退治するクマー」
翔一はそういうと倉庫に向かう。
鎌を一本取り出すと、雑草をザクザクと刈り始めた。
(今さっき起きたことは幻覚? いや、絶対違う。あれは本当に起きたことだ)
母が見てないことを確認してから一瞬だけ人間になる。
腕や顔に痕跡はなかった。
(何かの炎を浴びて死んだ? 死にかけたのかな。でも死んだのならタイムループしても助からないだろう。死ぬ寸前にループ? でもそれなら腕に新しい傷跡があるはず)
少年の腕は元々すさまじい傷だらけだったが、先ほど感じた腕の衝撃に相当する傷跡はなかった。
子熊になって、草を刈る。
(魔王の因果飛ばしに近い。でも、それなら不幸になる方向だから別の存在の意思だろう)
黙々と雑草を積み上げる。
(しかし、魔王のような悪意はない。たぶん、超常存在が僕にやり直せと……いや、待て、そういう希望的観測はやめよう、起きたことだけを考えるんだ)
翔一は休息のふりをして縁側に座る。
(何があったか思い出すんだ。子猫と出会い、すずちゃんと同道。警官と出会って屋敷に入る。僕以外は行方不明になり、数字と各部屋をたどる……)
屋敷の間取りを思い出す。
位置関係はバラバラだった。
(歩かせて、紋章を描かせるとかそういうのじゃないのかな。そうだ、数字!)
よくわからないランダムな数字をメモ帳に書いていく。
「九、十四、六、五、十八、十四、十五……なんだこれ、暗号かな」
スマホを出して検索する。
「あ」
調べると暗号に関する初歩的なものに出会った。
「アルファベットに番号を振ってAが一、Bが二……、じゃあ九、十四、六、五……はINFE……!」
ぎょっとする。
「インフェルノ。地獄」
「翔ちゃん」
母が声をかけてくる。
「お母ちゃん」
手に台本を持っている。
見たことのあるドラマの題名が見えた。
「お勉強してるの? 草刈はもう終わり?」
「ちょっと気になったことがあったクマ。大丈夫、最後までやるよ」
「ウフフ。ありがとう」
詩乃はそういうと、奥に引っ込む。
(インフェルノを踏ませることで呪術が完成したということだろうか。たぶん黒魔術か何かだよね。誰かに聞くとしても、緋月さんなら詳しいかな……聖美沙さん、彼女は忙しいから助けてくれないよね)
急いで草を刈ると、以前隅に動かした石の上に座ってスマホを出す。
しかし、緋月のアドレスを押す前にモフ指が止まった。
(敵はたぶん組織。どこのかは知らないけど。下手に会話したら盗聴されて彼女たちにも迷惑がかかる)
結局スマホはしまった。
どうするか悩んでいると、
「にゃーん」
子猫が顔を出す。
(因果が動き出した。でも、この子猫が何らかの邪悪には見えない)
子猫を撫でながら霊視するが、幼く小さな魂が見えるだけで何の異常もなかった。
「芥川さん」
名札プレートも同じだ。
(芥川さんという家があるのはなんとなく覚えている。だけど、それは失踪前の記憶になると思う。失踪前の記憶はほとんどないし、そんな細かいことだけ思い出すというのも変だ)
「お母ちゃん」
「あら、可愛い子猫ね。どこの子?」
「僕、返しに行くよ。近所のお家みたいだから」
「人間形で行きなさいね」
「大丈夫クマ。パトロール中に見つけたといえば誰も不審に思わないよ」
「……」
子熊の翔一は子猫を抱いて、そっと家を出る。
(すぐにすずちゃんに出会うはず。彼女も子猫も連れて行くのはやめよう)
おぞましい結果を思い出す。
嫌な思い出を振り切るように頭を振ってからモフモフと歩く。
「クマちゃん!」
家を出て十メートルも行かないところで室町すずと出会った。
「すずちゃん」
「お久しぶり。元気してた?」
「僕は元気クマーです」
「その猫ちゃんは?」
「近所の人の飼い猫みたいだから返しに行く途中です」
「へぇ、偉いわねぇ。私もついて行っていいかしら」
「それはダメクマ。お母ちゃんが待ってると思うクマです」
「ええ、ケチね。私一緒に行きたいの」
「ダメダメ。僕はパトロール中クマ。今は忙しいのです」
「いいじゃない、ちょっとぐらい」
「ダメ」
「なによ、もう!」
ついにはすずが怒りだしてしまった。
「お母ちゃんにあってきて」
「知らないわ!」
憤然と御剣山家に向かうすず。
(怒らせちゃったけど、このほうがいいに決まってるクマ)
「今の女、何者」
「うわ!」
突然、声をかけられる。
振り返ると、後ろに聖美沙がいた。
白いブラウスにプリーツスカート、白いハット。黒い皮のブーツ。
肩から掛けたブランドのバッグ。
お嬢さんらしい私服。
「美沙さん。こんにちわクマ。なぜ、ここに?」
彼女の家は近くではあるが、バスで行くような距離でもある。
しかし、治癒クマーの問いには答えず、
「今の女、女優よね。知り合いなの」
「ええ、御剣山詩乃さんの事務所繋がりで会ったことが」
一応、他人のふり。
「悪いけど、私治癒クマーちゃんの正体知ってるの」
「そ、そうだったクマ」
「ところでその猫は何」
「にゃん」
「ええっとこの子はパトロール中に見つけたので、今からどこかで放そうと」
翔一はあの家に行かずどこか別の場所で放そうかと考えていた。
(殺されるよりはましだ)
「ダメよそんなの。プレートが付いているじゃない」
聖美沙は子猫のプレートをまじまじと見る。
「芥川さん、かしら。かなり金属が痛んでいるわね」
「そ、そこはダメです」
「どうして、返してあげるのが当然でしょ」
「美沙さんには関係がないことです。僕は行きますから」
一歩引く子熊の翔一。
「ダメ。そんなの無責任だわ。一緒に行きます。そして、そのお家に帰すの」
意外と頑固な少女だった。
「……うーん。二級上位の聖美沙さんだから、本当のことをいいますね」
「何よ、急に」
「この子猫は一連の邪悪な魔術の一環です」
「魔術? 何なの、教えて」
彼女の顔が本気になる。
「今から僕は芥川さんの家に行きます。そこは廃屋になっていて、邪悪な黒魔術の罠があるのです。僕と一緒に行った人は皆死ぬんです」
「……」
普通の人間がそんなことを聞けば一笑にふすだろう。
しかし、魔術師聖美沙は真剣に聞いた。
「どうして死ぬとわかるの」
「夢か現実かわからないですけど、僕は一度、その屋敷で血みどろの黒魔術を目撃してしまったんです。そして、最悪の結果になる前にタイムリープさせられた。理由はわかりませんが」
「……」
「だから、僕一人で行きます。子猫をお願いできませんか」
「ダメよ、私も行くわ」
「危険ですよ。敵は相当な奴です」
「白魔術師として、邪悪は見逃せないの。私が足手まといになると思うの?」
「ふう。わかりました。でも、絶対無理はしないで。僕から離れないで」
「あなたは四級でしょ、それは私がいうことよ」
結局、二人で屋敷に向かう。
途中、近所の老婆とすれ違った。
「こんにちわクマ」
「治癒クマーちゃん。パトロール中なの? 偉いわね」
「クマクマ」
会釈して通り過ぎる。
屋敷が見えてきた。
翔一は子猫を適当な空き地に放つ。
「悪いけど連れていけないんだ」
「にゃーん」
子猫はクンクン匂いを嗅ぎながら、子熊から離れない。
「ダメダメ、遠くに逃げるんだよ」
「にゃん」
叱って追っ払うべきか迷った。可愛い子猫にそんなことをするのがやるせない。
迷っていると、
「おい、君。捨て猫は法律違反だぞ」
警官が二人、後ろに立っていた。
(成田さんと上杉さん)
「というか、動物が動物を」
相棒の警官が考え込んでいる。
「あら、すみません。やっぱり駄目ですよね。たぶん、芥川さんというお家の猫ちゃんなんですけど、心当たりありませんか」
聖美沙が謝って、警官に問う。
「芥川家……ああ、あの家じゃないか」
二人は件の家を指さす。
(前と若干展開が違うけど……修正される。変えないと)
「あの家は誰も住んでいないクマ」
「そうだったか。さっき通り過ぎた時車が止まっていたぞ」
「ああ」
成田と上杉は少し頭を振りながら翔一に反論する。
(記憶を植え付けられている?)
「一度、そこまで行って様子を見ましょうよ」
聖美沙に促されて渋々向かう。
猫をモフ腕に抱いた。
警官も一緒にくるようだ。
「パトロールはいいんですか」
「せっかくだから見届けるよ。もし、誰もいなかったら我々で保護施設に連れて行こう」
成田が答える。うなずく上杉。
(おじさんたちはすごくいい人クマ、それをあんな目に……)
血まみれの亡骸を思い出す。
「ところで。あのいつもついてくるあの黒い影はいないのね」
連れ立って歩きながら、小声で聞いてくる聖美沙。
「黒い影、ああ、ダーク君のことクマですね」
精霊界を見る。
いつもなら危機を感じるとやってくるのだが、今はいない。
「今はいないクマ。これも術の影響かも」
「でしょうね、何らかの黒い渦を感じるわ。すでに渦は私たちを取り巻いている」
「黒い渦……」
屋敷の前にきた。
「やっぱり廃屋クマ」
「あれ、おかしいなぁ」
成田が首をかしげる。
確かに、その家は表札もなく、家は大きいが人が住んでいる気配はなかった。
大きな木が手入れもされず繁茂している。
(話し合っていると、勝手に門が少し開くクマ)
ガタ。
門が風に揺れたのか、少し開いた。
(このまま、漫然と敵の手に乗ってはいけない!)
翔一はそう考え、子猫を精霊界に入れた。
呪力は使うが、人間を入れるほどでもない。
「おとなしくしてるクマ」
「にゃーん」
寂しそうに異界で鳴く子猫。
「え? 子猫ちゃんの声が聞こえたけど、いなくなったわ、どこにやったの」
「大丈夫、保護してるクマ」
「おい! 今、屋敷の中に人影があったぞ」
上杉が指さして声を出す。
「不法侵入者かもしれない。報告する」
成田が本部と連絡を取り始めた、どうやら、現行犯逮捕するために乗り込むらしい。
「まって! この家は危険です」
翔一はそう声をあげたが、
「これは職務ですから。というか、子猫はどこにやったんです?」
成田に聞かれる。
「一瞬目を離したすきに逃げたクマ」
「猫だから仕方がない」
上杉が首を振る。
彼らは猫のことは忘れて、不審者のことが気になって仕方がないようだった。
二人は警棒を出して玄関を開ける。
もう言葉では止めようがないと翔一は思った。
「おじさんたち、ごめんなさい」
「え?」
「ぬん!」
一瞬で木刀を出して、彼らの急所を激しく突いた。
防具を着ているため、普通では通用しない。
不意をつけた一撃目の成田は気絶したが、二撃目の上杉はよろけて警棒を構える。
「ごめんなさい」
更に木刀を突き立てようとしたが、上杉はクタッと力が抜けたように倒れる。
「眠りなさい。警官さん」
聖美沙が魔術を使ったようだ。
「美沙さん」
「この人たちを入れたくないのね。この人たちはこのままだと」
「敵の罠にかかって死ぬことに」
うなずく翔一。
「ありがとう美沙さん。この人たちをよろしくお願いします。僕は一人で屋敷の悪を」
「ダメよ、私も行くわ」
「しかし」
「以前、あなたには出し抜かれたわ。あれじゃあ、私はもう役に立たないっていわれてるみたいだったわ」
学園の悪魔襲撃事件のことをいっているのだろう。
「ごめんなさい」
「とにかく、この人たちの記憶を少しいじっておくわ。私も一緒に入るから」
聖美沙は何か彼らの耳につぶやき、さらに眠りを深くした。
「よいしょっと」
二人を屋敷の前の空き地に座らせる。
空き地は膝の高さ程度の擁壁があって道路より高くなっていた。
彼らはそこに座って休んでいるようにも見える。
「本当に危険ですよ、絶対油断しないでください、それと」
「何」
「こいつを手元においてください。チビクマです」
「キュークマクマ」
ベージュの毛皮、一匹のチビクマがふわっと浮く。
これは未契約のノーマルなチビクマだった。尚、海岸での儀式の後、チビクマは全て強化されている。
「あ、これ……やっぱりあなたの使い魔だったのね。どういう経緯で倫のものに?」
「それより、短期で契約してください。この屋敷に入っている間とか。本気で契約すると僕と切れてしまうので」
「わかったわ。簡単ね」
チビクマと短期の主従契約を結び、二人の間の懸け橋となった。
「彼は光弾を撃てて、他にもう一つ能力があります。なんだったかな」
「魔力消去できるみたいね。小規模だけど」
「そう、そうです。それとあなたへの禍を呪に転じて消します」
「相当高度な魔術生命よね。あなた、どういう存在なの」
「今は説明する暇もないクマです、そんなことより行きましょう」
「そうね」
子熊と少女は連れ立って屋敷に入った。
屋敷の庭は広いが雑草と灌木が生い茂っている。
「嫌な瘴気があるわ。確かに、罠ね」
「ところでどうして僕の家の近くにいたんです」
二人はぐるりと屋敷を回ることにした。
最初の探索ではこの時点で敵の攻撃があったのだ。
翔一はいくつかの精霊を呼び、聖美沙も短期的で強力な防御術を使う。
「夢で呼ばれたのよ。誰かはわからないけど、御剣山家に危機があるから助けに行けって。たぶん、年配の女性だったわ」
(迷宮のお婆さんが助けを呼んでくれたのかな)
翔一はそう思ったが、口には出さない。
「あ、雨」
いつの間にか空はどんよりと曇り、ぽつぽつと雨が落ちてくる。
そして、半分も回らないうちに、ザーっと強く降ってきた。
「この雨に圧されて家に飛び込んだんです。猫ちゃんとすずさん、警官の一人がこの時点で行方不明でした」
「屋敷の敷地に入った時点で呪術が回りだしたのよ。それまでは呼び水でしかないわ」
「どうします」
「屋敷に入りましょう。目的はそれだから」
うなずいて屋敷の玄関に向かう。
玄関は少し開いており、雨から逃げるように二人して飛び込む。
2022/6/26 微修正




