141 悪夢の館 その1
ある夏の日。
休日の朝。
「クマー」
伸びをする子熊の御剣山翔一。
ブゥゥゥン。
車の音。
今日は珍しく予定がない。
縁側に座って庭を眺めた。
庭の半分ぐらいが奇麗にガーデニングされている。
しかし、気のせいか雑草が目立つようだ。
「お母ちゃん、雑草が生えてきたクマ」
「あら、先日抜いたと思ったのに、もう生えてきたの」
台本を片手に詩乃がやってくる。
次の仕事の台本だろうか、かなり読みこなしたのかボロボロになっている。
題名が見えた。
(『愛しい君と、青空の下で』青春恋愛ものって感じクマ)
「今日は僕が雑草退治するクマー」
「ありがとう。じゃあお願いしようかしら」
「庭の隅の方が生えてるからここをきれいにするクマ」
「物置に鎌があるから使って」
「頑張るクマ」
早速、鎌を出し作業開始する。
「二本持ってきたクマ。両手鎌でダブル除草! 矢車夢想雑草斬り、フン!」
両手に鎌を持ち、ものすごい勢いで雑草を切り刻んでいく。
まき散らされる雑草。
「そこか!」
ジャンプし大きな雑草を四つに切り刻む。
「フ。決まったクマ」
「翔ちゃん!」
詩乃が大きな声。
「ん? どうしたクマ」
「そのやり方だと、危ないし雑草がまき散らされるし、第一、雑になってるわ」
「そ、そうだよね」
「お母さんが手本見せるから……」
結局、詩乃の指導の元、鎌を片手におとなしく除草作業をすることになる。
「クマクマ」
「じゃあ、あとはよろしくね。この辺りまでやっておいてくれると助かるわ」
「任せるクマ」
「私、台本読まないと」
「お母ちゃんも頑張って」
そのあとは黙々と雑草を始末していく。
「そろそろ終わりクマ」
「にゃー」
「ん?」
振り返ると、家庭菜園の中に黄色い毛皮が見えた。
「クマ?」
「にゃーん」
「おいで」
精霊界ポケットからおやつを取り出す。
「食べるクマ?」
「にゃーん」
かわいい小さな子猫が茂みから顔を出すと、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「茶トラ猫ちゃんクマ。首輪がついている……」
見ると、
『芥川トラ子』
「芥川さんの飼い猫かな」
芥川家は百メートルほど先にあるご近所である。
そこの飼い猫だろうか。逃げ出してここまできたのである。
猫の行動半径は思った以上に広いとも聞く。
御剣山家は豪邸だが古い家で、庭を囲む塀には随所に隙間があった。
猫なら簡単に侵入できるだろう。
猫を見せに行く。
母がリビングでコーヒーを飲みながら台本を読んでいるのが見えた。
「お母ちゃん、猫拾ったクマ」
「あら、可愛いわ。首輪してるわね」
「芥川さんのトラ子ちゃんクマ」
「芥川さん……近所にそんなお家あったかしら」
首をかしげる詩乃。
「すぐそこにあったと思うクマだけど」
「うーん。私の子供の時は芥川さんという方の家はなかったと思うわ。最近ならどうかしら……仕事が忙しいからご近所付き合いも疎かだから、そういう方が引っ越してきたとしても不思議ではないけど……翔ちゃんは覚えているのね」
詩乃は頑張って思い出そうとする。
「うん。たぶん、そんなお家があったクマだよ」
「それなら、そこに帰してあげて。心配しているはずよ」
「わかったクマ」
「あ、人間形で行きなさいね」
「大丈夫クマ」
ふわっと人間に戻ると、トラ子は驚いた様子で毛を逆立てる。
「フー!」
「大丈夫、怖くないよ」
「ダメね。逃げちゃうわ。クマちゃんじゃないと怖いのよ」
「普通逆のような気がするけど。仕方がないなぁ」
熊に戻ると、子猫は警戒を解く。
「子熊形態で行ってくるクマ」
子猫をひょいと抱く。
毛皮に包まれると安心しきった表情になる子猫。
「驚かれないかしら」
「四級ヒーロー治癒クマーとしていけばいいクマ。パトロール中に見つけましたといえば大丈夫だと思うクマです」
「そうね。それなら大丈夫かも。気を付けていきなさい」
「うん」
翔一は子猫を抱き、人が通っていないタイミングを見計らって家から出る。
「クマちゃん!」
家を出て十メートルも行かないところで曲がり角を曲がってきた女性とばったり出会う。
「あ、えっと。室町すずちゃん」
美しきモデル兼女優。今日は白いワンピースと白いハイヒール。涼し気な夏の衣装。
「お久しぶり。元気してた?」
「僕は元気クマーです」
「その猫ちゃんは?」
「近所の人の飼い猫みたいだから返しに行く途中です」
「へぇ、偉いわねぇ。私もついて行っていいかしら」
「別にいいですけど、お母ちゃん……あわわ、御剣山詩乃さんに何か御用じゃなかったんですか」
彼女は母と同じ事務所の女優だが、翔一が治癒クマーであることはわかっているのかどうか、微妙である。
「ええっと、予定より早くきたみたいだから、少しくらい大丈夫なのよ」
時計を見るすず。
「じゃあ一緒に行くクマーです」
美しき少女と一緒に歩く子熊。
「にゃーん」
「すぐお家クマー。もう脱走したらダメだよ」
モフがモフを抱き、住宅街を歩く。
室町すずは子猫と子熊を交互に撫でる。
「モフモフね」
近所の老婆に出会うが、挨拶すると笑顔で返してくれる。
「こんにちわクマ」
「治癒クマーちゃん。パトロール中なの? 偉いわね」
「クマクマ」
会釈して通り過ぎる。
室町すずも笑顔で老婆に挨拶する。
少し歩くと、件の家は見えてくる。
豪邸と呼べる大きな家。
(あれれ? そういえば僕はこの街の記憶は帰ってきてからのはず。どこで芥川さんのことを知ったのだろう)
考えても、なぜかそう思ったとしかいいようがない。
(うーん。いつ知ったんだ。知っているということは最近のはずだけど……昔から知っている気がする)
少し頭を振る。
心配そうにつぶらな瞳で見つめる子猫。
「大丈夫クマ。気にしないで」
返事をしない子猫に声を掛けつつ、門の前まできた。
この付近の家は門があり庭があって玄関という間取りの広い家が多い。
「この家、人が……住んでいないわよね。空き家に見えるけど」
室町すずが細い腕をさする。
「とにかく、呼び鈴鳴らすクマ」
呼び鈴を押す。
設備が古く、インターホンすらない。
子熊は耳をぴくぴくさせた。
「誰も出ないわね」
「かすかな物音がするけど、風に何かが動いているだけかも。人の気配ないクマ」
「匂いとかどうなの」
「クンクン。ん? カビの匂いぐらい」
「子猫ちゃんが住んでたのなら、猫ちゃんの匂いは?」
「ごく微かに」
「それならここの飼い猫なのよね」
「うーん、ちょっと弱すぎるかなぁ。通り過ぎたことがあるだけかも」
「どちらにしても、誰もいないのなら返すこともできないわ」
そのとき、ガタという音がする。
振り返ると門が少し開いていた。
「にゃーん」
子猫は子熊の腕からひょいと抜け出すと、素早い動きで門の中に入ってしまった。
「あ、猫ちゃん!」
すずは止めようとしたのだが、動きが遅すぎて子熊に抱き着く。
「腕の中で脱力していたから油断したクマー」
二人して庭を覗く。
「猫ちゃんいないクマだね」
「うん、見えなくなったわ。逃げる猫ちゃんを探すなんて難しいわよ」
「おい、君たち」
門を覗いていた二人は、また振り返ることになる。
後ろにパトロールの警官が二人いた。
「あ……ご、ごめんなさい」
室町すずは以前テロ騒ぎで厳しく取り調べられたことがある。
恐怖で顔が真っ青になった。
慌てて、治癒クマー翔一が前に出る。
「パトロールご苦労様ですクマ。僕は四級ヒーロー治癒クマーです」
敬礼する子熊。
思わず、微笑む警官二人。
「こんにちわ。ところでその廃屋にどのような御用なのです?」
「僕たちは子猫を拾ったのです。その子猫の……」
ここにきた経緯を話す。
「芥川さん……いずれにしても、表札も外されて、廃屋になってます。今は誰も住んでいないのでは」
警官の指摘。
相棒の警官がうなずいてネットで家の情報を調べ始めた。
「でも、子猫の首輪には『芥川トラ子』とあったクマです。僕の記憶ではここは芥川さんのお家だったクマ」
「出ました。数年前に転居されて今は誰も住んでいませんね。売家になってます」
相棒が告げる。
「それなら、子猫ちゃんを連れて帰るクマ。このまま野良ちゃんになったら心配クマ」
「しかし、私有地ですからね。勝手に入るわけにも」
警官も思案している。
「地権者に連絡してみます」
相棒の警官が電話をかけている。
翔一は知らなかったが、つい最近、個人情報保護法は緩和されて地権者と連絡が取りやすくなっているのだ。
「すずちゃん、時間かかるみたいだから。詩乃さんに会いに行ってはどうですクマ」
しかし、返事はなく、背後には少し開いた門が見えるだけだった。
「あ、あれ? 女の子いましたよね」
「いつの間に。入ったとしか思えないですよ」
「あの子、警察さんが怖いクマです」
「しかし、こう堂々と不法侵入されては」
警官も渋い顔。
「ええ、わかりました。……地権者は警官なら家を調べてもいいと仰ってます」
相棒が告げる。
「僕は公認ヒーロークマです。一緒に行ってもいいですか。聴覚と嗅覚は動物のそれですからすぐに見つけられますよ」
広い敷地は雑草と灌木が生い茂り、隠れられたら簡単に見つけることは難しいだろう。
警官二人は少し相談していたが。
「いいでしょう、ならば治癒クマー殿よろしくお願いします」
警官二人と治癒クマーは敷地に足を踏み入れる。
警官は主に話をしてたのが成田。相棒が上杉というらしい。
翔一はなんとなく二人の会話を捉えていたのだ。
雑草を踏んで廃屋に入る。
「クマ君、匂いはしますか?」
成田が聞く。
「クンクン、猫ちゃんの匂いとすずちゃんの匂いがするクマです」
「方角は?」
「ちょっとわからないクマ。少しうろうろしたのかな、二人とも」
「とにかく庭を探しましょう。中はそのあとで」
上杉の提案にうなずく二人。
むっと湿度が上がってきた。
ふと空を見ると、晴天は消えどんよりと曇っている。
「そういえば、今日は珍しく正午辺りから雨が降るって」
成田が汗を拭きながらつぶやく。
ぽつぽつと雨が降ってきた。
「急いで庭を見て、中に入りましょう」
三人はぐるっと一周して庭を探すが、猫の子一匹いない。
「あれ? 上杉さんは?」
ふと見ると、警官の相棒の姿がなかった。
「ん? さっきまで床下の方を見ていたのに。おい! 上杉!」
大声を出すが、返事がない。
「すずちゃん!」
翔一も声を出したが、返事はなかった。
「熊耳で聞こえますか?」
「……うーん。風の音だけ。湿った匂いがします。もう雨が降りますよ」
大粒の雨がぽつぽつと降ってきた。
「もう、屋敷の中以外ありえませんよ」
雨に追われるように屋敷の玄関を開ける。
ガラッと玄関の引き戸を開けて入る。
元から少し開いていたのだ。
「ふう、酷い雨だったクマ」
ブルブルッとやって水滴を飛ばす治癒クマー。
「うわ、かかりましたよ」
警官はさすがにちょっと嫌な顔をする。
「ごめんなさい。つい本能でやってしまうクマ」
床はかなり荒廃している。
雨漏りがあったのだろう。
外見の立派さとは裏腹に中はかなり汚い状況だったのだ。
何人もの人間が侵入した気配があった。
落書きはされていないが、家具や設備が破壊されたり持ち去られたりしている。
「ものすごい廃墟の匂いクマ。鼻がちょっと効かないですよ」
「わかりました。物音に注意してください」
成田を先頭に静かに進んでいく。
「上杉。いないのか」
声をあげるが、返事はない。
玄関は正面まっすぐと右手前に廊下。左右に部屋がある。
廊下は逆コの字で屋敷の中心を通る。玄関は左下角の所にあった。
右手は台所で土間、左手には縁側のある和室。
「広いクマ」
「ええ」
成田は台所が気になるのか、懐中電灯で念入りに照らしている。
「あ、猫の足跡があるクマ」
左手の縁側に向かっている。
「ん。しかし、あの猫ちゃんの足跡かどうか……クンクン」
無理やり匂いを嗅ぐがはっきりしなかった。
「何だこれは」
警官の声が聞こえる。
「何かあったクマ?」
台所に行く。
しかし、
「あ、あれ? 誰もいないクマ」
警官の懐中電灯が落ちている。
その灯は壁の一部を照らし、文字が見えた。
『たすけて。二階、一番奥の和室。九』
ボールペンのようなもので白い壁に小さく書き込んである。
「九? 何だろう。とにかく、お巡りさん。どこ行ったクマ?」
声を出すが、返事がない。
外の雨の音が響き、小さな音は聞き取りにくいが、薄暗い室内に人の気配が感じられないのだ。
懐中電灯を拾い、玄関正面に向かう。
廊下の突き当りに階段が見えたのだ。
2022/5/16 微修正




