【Day 1】午前9:00:日常の終わり
【Day 1】午前9:00:日常の終わり
2026年、7月某日の朝。
アレンは、何年も着古した黒いパーカーのフードを深く被り
大容量のタクティカル・バックパックを背負ってマルドローの街へと足を踏み出した。
外の空気は、驚くほど平和だった。
ジリジリと照りつける夏の太陽。
向かいの家の主人は、いつもと変わらず
気怠そうに芝刈り機のエンジンをふかしている。
通りを走り抜ける郵便配達員のバン。
まだ誰も、1週間後に自分たちが
互いの肉を貪り合う化物になるなんて
夢にも思っていない。
この圧倒的な「日常」の景色に
アレンの胸は奇妙な焦燥感で満たされた。
「おい、アレン!
朝からずいぶん気合の入った格好だな。
どこか遠出でもするのか?」
声をかけてきたのは、近所のガソリンスタンドで働く青年
ボブだった。
彼はいつものように気さくな笑みを浮かべていたが
その顔色はどこか土気色で、額には薄っすらと
脂汗がにじんでいる。
アレンの鋭い視線は、ボブの首筋にある
小さな虫刺されのような「赤い腫れ」に釘付けになった。
(……感染経路はまだ不明だが、すでに潜伏期間に入っている)
アレンは本能的に一歩身を引いた。
ギーク特有の対人恐怖症を装いながら
ボブの目をまっすぐ見ずに、早口で告げた。
「……ボブ。もし僕の言葉を1%でも信じるなら
今すぐスタンドの店を閉めて
裏の倉庫に缶詰と水を詰め込めるだけ詰め込んで鍵を閉めろ。
あと、風邪薬と防刃用の厚手のジャケットも忘れるな」
「はは、またお前の終末論か?
ネットの掲示板の見すぎだって。
今日はただの酷い風邪さ、のどが焼けるように熱くてね」
ボブはゴホゴホと激しく咳き込みながら
笑って手を振って去っていった。
アレンはそれ以上、彼を追いかけなかった。
説得する時間は1秒だって惜しい。
他人を救う余裕など、今の彼にはない。
彼には、彼自身のサバイバルがあった。




