第72話 俺はお前。お前は俺
颯太と姫希は宿泊先にいた。
部屋へ戻ると、二人はようやく肩の力を抜いた。
今日一日、張りつめていた空気が少しずつほどけていく。
ベッドへ腰を下ろした颯太は、小さく息を吐いた。
「ギター受け取ってもらえなかったね。」
その声に悔しさはなかった。
どこか寂しさだけが残っている。
姫希は隣へ座り、優しく微笑んだ。
「うん。でも大丈夫。」
「奏も『今は』って言ってたから。」
颯太は静かに頷く。
「うん。」
姫希は立ち上がり、颯太へ手を差し出した。
「今日はもうゆっくりしよ。」
「ご飯食べて、温泉入って。ねっ?」
颯太もその手を見て、小さく笑う。
「そうだね。」
その夜。
ミホは奏の家を訪れていた。
部屋の隅には、閉じられたままのギターケース。
奏はその前へ座り込み、ただ黙って見つめていた。
ミホも隣へ腰を下ろす。
「何で受け取らなかったの?」
しばらく沈黙が続く。
やがて奏は静かに口を開いた。
「俺は颯太にレスポール渡した。」
「俺の魂だって言って。」
あの日の景色を思い出すように、遠くを見る。
「颯太は、そのつもりで今日ギターを持ってきてるはずなんだよ。」
一度言葉を切る。
「俺は颯太のプレイを尊敬してる。」
「だから託した。」
拳を強く握る。
「なのに、俺はまだあいつを満足させれてない。」
「受け取れるわけがない。」
ミホはギターケースへ目を向けた。
「じゃあ、このギターは持ち主不在のまま過ごすことになるね。」
その一言に、奏の表情が止まる。
考えたこともなかった。
ミホは静かに続けた。
「颯太くんは昔みたいに楽しくやろうって言ってたよ。」
「奏君と見てる景色、違うのかなって感じて少し寂しかった。」
ケースへ手を添える。
「弾かなくても良いから。」
「一度構えてみて。」
留め具を外し、レフティのエクスプローラを取り出す。
ふと、ギターの裏へ目が留まった。
一枚のプリクラ。
思わず笑みがこぼれる。
姫希らしい。
何も言わず、そのまま奏へ差し出した。
「受け取って。」
「みんなの思いが詰まってる。」
少しだけ照れ笑いを浮かべる。
「私の思いも詰め込んであげる。」
そう言って、ミホはエクスプローラへそっと口づけた。
奏はゆっくりとギターを受け取る。
肩へ掛けようとした、その時だった。
「……なんだ、これ。」
裏に貼られたプリクラが目に入る。
「チッ。」
「こんなの剥がす訳にいかないだろうが。」
思わず苦笑いが漏れる。
そのまま静かにギターを構えた。
右手がネックへ添えられる。
左手が自然と弦へ伸びる。
その瞬間だった。
頭の中へ、一つのフレーズが流れ込む。
止まらない。
次から次へと音が溢れてくる。
「あぁ……。」
「この感覚だ。」
「ここにあったんだ。」
胸の奥で止まっていた歯車が、一気に回り始める。
「俺は俺。」
「お前はお前。」
それが当たり前だと思っていた。
でも違う。
「俺たちはツインギターなんだ。」
「俺はお前。」
「お前は俺。」
「これだったんだ。」
奏は夢中でギターを鳴らし始めた。
新しいメロディーが止まることなく溢れ続ける。
ミホは何も言わない。
ただ、その音を嬉しそうに聴いていた。
夜中。
宿泊先の部屋は静まり返っていた。
枕元へ置いていた携帯電話が震える。
颯太は眠そうに画面を見る。
表示されていた名前に、一気に目が覚めた。
――奏。
すぐに電話へ出る。
「もしもし。」
受話器の向こうから聞こえてきた声に、思わず笑みがこぼれる。
明るい。
弾むような声だった。
「明日、何時の新幹線だ?」
「帰る前に来てくれ。」
「聞かせたい曲がある。」
「新曲だ。」
「今日と同じ、ミホの家。」
言葉が次々と飛び出してくる。
その声は、リハビリに苦しみ続けていた奏のものではなかった。
颯太は静かに目を閉じる。
電話越しに、その声を噛みしめる。
――帰ってきた。
昔の奏が。
自然と笑みがこぼれた。
「うん。」
「絶対行く。」




