第50話 そんなはずはない
「そんなはずはない。」
颯太の口から、思わず言葉が漏れた。
スタジオに静かな空気が流れる。
「この曲は……。」
それ以上、言葉が続かなかった。
flagshipのメンバーが真剣な表情で頷く。
「いや、マジっすよ。」
「こないだ遠征した時に見たライブで、同じ曲をやってるバンドがいました。」
誰も冗談を言っている顔ではない。
颯太はその場に立ったまま動かなかった。
考えがまとまらない。
信じられない。
ただ、それだけだった。
静まり返ったスタジオに、誰も次の言葉を口にしない。
壁掛け時計の秒針だけが、小さく時を刻んでいた。
やがて颯太はゆっくり息を吐く。
「……一旦、姫ちゃんと合流しよう。」
達磨が不思議そうに眉を上げた。
「姫が今どこにいるか知ってるのか?」
「うちにいるよ。」
その返事を聞いた瞬間だった。
「え?」
達磨と大地の声がきれいに重なる。
二人は顔を見合わせると、どちらからともなくニヤニヤし始めた。
「何?」
颯太だけが状況を理解できずに首をかしげる。
達磨は笑いをこらえるように口元を押さえ、大地も肩を揺らしている。
「いや、何でもねぇ。」
それ以上は何も言わない。
颯太は納得できないまま、小さく首を傾げた。
「とりあえず行こう。」
その一言で、一同はスタジオをあとにした。
やがて颯太の家へ着く。
玄関の扉を開けると、ふわりと温かい空気が流れてきた。
「ただいま。」
声を掛けると、すぐにリビングから明るい返事が聞こえる。
「おかえり。」
「早かったね。」
姫希だった。
その声だけで、家の中はいつも通りの空気だと分かる。
リビングへ入ると、食卓では母と姫希がお茶を飲んでいた。
テーブルの上には急須と湯のみが並び、湯気と一緒にお茶の香りが部屋中へ広がっている。
その横にはノートとペン。
何ページか開かれたままになっていた。
歌詞を書こうとしていたのだろう。
それでも二人は肩の力を抜いて話をしている。
スタジオで感じた張り詰めた空気とは正反対だった。
颯太は苦笑しながら声を掛ける。
「何してんの?」
姫希は「あっ」という顔をすると、小さく笑った。
「ごめん。」
「全く出来なかった。」
「イメージがわかんなくて。」
そう言ってノートへ目を落とす。
書きかけの言葉はいくつも並んでいる。
けれど、どれもしっくり来なかったのだろう。
姫希は照れくさそうに頭をかいた。
その時、玄関から声が響く。
「お邪魔します。」
達磨だった。
いつもの豪快な口調とは裏腹に、脱いだ靴をきちんと揃えて端へ寄せる。
その様子を見て、颯太は思わず笑みを浮かべた。
昔から変わらない。
こういうところだけは妙に几帳面だった。
続いて大地も家へ上がる。
「姫、久しぶり。」
「大地さん、久しぶり!」
姫希は嬉しそうに手を振った。
母も二人に気付き、にこやかに立ち上がる。
「あらあら、お客さん。」
「待ってね、お茶入れるから。」
そう言うと急須を手に取り、慣れた手つきで新しいお茶の支度を始めた。
さっきまで静まり返っていた空気が嘘だったかのように、リビングにはゆっくりと穏やかな時間が流れ始めていた。




