第42話 俺の魂だ
姫希が帰ったあと。
部屋は再び静寂に包まれた。
さっきまでいたはずなのに、今は時計の針が進む音だけしか聞こえない。
颯太はベッドに腰を下ろし、膝の上へギターを乗せた。
弦には触れない。
ただ、じっと見つめている。
何を弾けばいいのか分からない。
何を弾きたいのかも分からない。
JJは解散した。
達磨は新しい場所へ進む。
大地も、自分の音楽を続ける。
奏もリハビリのため、この街を離れる。
みんな前へ進んでいる。
それなのに、自分だけが取り残されている気がした。
静かに目を閉じる。
その時だった。
ふと、一つの曲が頭をよぎる。
『Spicy Girl』
颯太が、生まれて初めて作ろうとした曲。
姫希がバンドへ加入してから感じた楽しさ。
毎日が刺激的で、自然と浮かんできたメロディ。
それを一曲にしたくて、ギターを抱えた。
けれど、自分一人では完成させられなかった。
だから奏へ託した。
「時間はかかるかもしれない。でも、ちゃんと形にしよう。」
そう言って笑ってくれた。
あの日の約束。
でも、その約束は事故で止まってしまった。
曲は未完成のまま。
奏も弾けなくなった。
それでも。
『Spicy Girl』だけは消えなかった。
姫希は言った。
「私は颯太の横で歌い続けるから。」
その言葉が胸の中で何度も響く。
歌う人はいる。
完成を待っている曲もある。
まだ終わっていない。
『Spicy Girl』は、颯太に残された最後の希望だった。
数日後。
奏がリハビリのため引っ越す日がやってきた。
駅へ向かう車の前。
荷物が積み込まれていく。
段ボール。
ギターケース。
アンプ。
見慣れた機材が、一つずつ車へ運ばれていく。
颯太はゆっくり歩いて奏の前へ立った。
奏はいつも通り笑う。
「来たか。」
その笑顔は事故の前と何も変わらない。
だからこそ、少しだけ安心した。
「まだ、絶不調だよ。」
颯太は苦笑いを浮かべる。
「ギター弾いても、何も浮かばない。」
少しだけ俯く。
「でも。」
顔を上げる。
「ギターはやめない。」
「弾き続けるよ。」
奏は何も言わず頷いた。
そして車の奥へ手を伸ばす。
一本のギターケースを取り出した。
「なら、これやる。」
ケースを開く。
そこには一本のレスポール。
ライブで何度も見てきたギター。
奏がいつも肩から下げていた相棒だった。
「ライブ用レスポール。」
少しだけ得意そうに笑う。
「Gibsonだぜ。」
颯太は思わず首を横へ振る。
「いや、もらえないよ。」
そんな大切なものを受け取れるはずがない。
奏は笑いながらケースを押し出す。
「じゃあ貸してやる。」
「ギター少年の憧れ。」
「Gibsonのレスポールだ。」
その木目を優しく撫でる。
「大事に使えよ。」
少しだけ目を伏せた。
「これだけは処分出来なかった。」
左手を見つめる。
もう自由には動かないその手。
それでも静かに笑う。
「俺の魂だ。」
颯太はゆっくりケースを受け取った。
ずしりと腕へ重さが伝わる。
何百回ものライブ。
何千時間もの練習。
奏が積み重ねてきた時間。
全部、この一本へ詰まっているような気がした。
「……わかった。」
静かに頷く。
「借りとく。」
奏は満足そうに笑った。
「忘れるなよ。」
左手のギプスへ視線を落とす。
「俺はギタリストだ。」
迷いなく続ける。
「何があってもだ。」
その言葉に、颯太は強く頷いた。
「うん。」
「忘れない。」
レスポールを胸へ抱き寄せる。
「先に進んで待ってるよ。」
奏は照れくさそうに鼻で笑う。
「俺は天才だからな。」
少しだけ振り返る。
「またな。」
助手席へ乗り込む。
車がゆっくり走り始めた。
颯太は、その姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
腕の中には、奏の魂が宿るレスポール。
胸の中には、まだ完成していない『Spicy Girl』。
そして、どこまでも歌い続けると約束してくれた姫希の声。
希望はまだ小さい。
未来も、まだ見えない。
それでも。
颯太はもう、暗い未来だけを見るのはやめた。
第六章 「ジターバグ」 完




