第38話 奏の曲を残すんだ!!
アルバム制作の日が近づき、JJのメンバーはそれぞれの場所で個人練習に励んでいた。
新曲の細かなフレーズを詰める者。
レコーディングを意識してテンポを確認する者。
それぞれが、初めてのアルバムに向けて準備を進めていた。
そんな静かな午後だった。
突然、大地の携帯電話が鳴る。
画面に表示されたのは、後輩の名前だった。
「もしもし。」
普段なら気軽に出る電話だった。
しかし、受話器の向こうから聞こえてきた声は、震えていた。
「大地さん……大変っす!」
ただ事ではない。
大地は思わず立ち上がる。
「どうした!」
「奏くんが交通事故。」
その瞬間、時間が止まった。
「……交通事故?」
「轢き逃げです。さっき病院に運ばれました。」
それだけ聞くと、大地は電話を切った。
すぐに颯太、姫希、達磨へ連絡を入れる。
「全員、○○病院に来てくれ。」
それ以上は言えなかった。
四人は急いで病院へ向かう。
病院に着いた頃には、奏は手術室へ運ばれていた。
赤いランプが静かに灯り続けている。
誰も口を開かなかった。
颯太は椅子に腰掛けたまま、青ざめた顔で手術室の扉だけを見つめている。
姫希は必死に涙を堪えようとするが、頬を伝う涙は止まらない。
達磨は拳を握り締め、歯を食いしばっていた。
目は血走り、今にも壁を殴りそうなほど怒りを押し殺している。
大地だけは深呼吸を繰り返し、無理に冷静さを保っていた。
「まだ意識が戻らない。」
誰に向けた言葉でもない。
自分自身に言い聞かせるようだった。
「待つしかない。」
時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえる。
「きっと大丈夫だ。」
その言葉に返事をする者はいなかった。
ただ、それを信じるしかなかった。
数時間後。
手術室のランプが消え、医師が姿を現す。
「ご家族の方。」
奏の両親が立ち上がる。
「メンバーの皆さんも一緒にどうぞ。」
診察室へ案内される。
医師はカルテを見ながら静かに話し始めた。
「手術は成功しました。」
その一言だけで、一同の肩から力が抜ける。
「頭を強く打っていますので、しばらくは病院で安静です。」
医師は続ける。
「日常生活には支障はないでしょう。」
助かった。
その事実だけで十分だった。
姫希は涙を拭い、颯太もようやく小さく息を吐く。
しかし、医師は少し間を置いて言葉を続けた。
「音楽をされていると伺っています。」
部屋の空気が一変する。
「今回、左手の被害が激しく、リハビリを続けても元の通りにはならないと思います。」
誰も動かなかった。
耳では聞こえている。
だが、理解したくなかった。
ギタリストである奏にとって、左手は命だった。
コードを押さえ、速弾きを支え、音楽を生み出す手。
その左手が、もう元には戻らない。
その現実だけが、重く突き刺さる。
診察室を出ても、誰一人言葉を発しなかった。
病院の廊下を歩く足音だけが響いている。
その日はいったん帰ることになった。
アルバム制作は目前。
レコーディングの日程も押さえてある。
今さら止めることはできない。
沈黙を破ったのは大地だった。
「……奏抜きでやるしかない。」
苦しい決断だった。
それでも、前へ進むしかなかった。
大地は颯太を見る。
「颯太。」
颯太はゆっくり顔を上げる。
「二人分の録音をやる事になるが、大丈夫か?」
「……うん。」
返事は返ってきた。
しかし、その目には何も映っていなかった。
反射で返しただけだと誰でも分かった。
その瞬間だった。
「奏の曲を残すんだ!!」
大地の怒鳴り声が病院の廊下に響く。
全員が驚いて大地を見る。
普段は誰よりも穏やかな大地が、声を荒げた。
「しっかりしろ!」
颯太はハッとしたように目を見開く。
大地は震える声で続けた。
「最高のアルバムを作るんだ。」
その目から涙が溢れる。
「JJに復帰したい。」
涙は止まらない。
「だからリハビリ頑張って、元通り弾けるようになって……。」
言葉が詰まる。
それでも、大地は最後まで絞り出した。
「……そう思わせるんだ。」
大地は泣いていた。
誰よりも冷静で、誰よりも頼れる存在だった大地が、人目も気にせず涙を流していた。
その姿を見て、颯太は拳を握る。
姫希は再び涙を流し、達磨は静かに目を閉じた。
四人は深い失意の中にいた。
それでも、歩みを止めるわけにはいかなかった。
奏が帰ってくる場所を守るために。
その日、四人は悲しみを胸に抱えたまま、それでも前を向くことを選んだ。




